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偶然の曲がり角【3】

今日も早起きし、早々にチェックアウトを済ませると荷物を預けて東へ向かう。ルーブル美術館の隣を通り、しばらくセーヌ川のほとりを歩くと瀟洒なカフェを見つけた。朝食としてクロワッサンとエスプレッソ、アップルソースを頂く。本当はリンゴのヨーグルトか何かを買ったつもりだったが、語学力の無さが露呈した結果の間違いである…美味しかったので問題ない。昨晩は鴨のコンフィのみならずリゾットや茄子のオーブン焼き、シトラスジェラートまで食べてしまったので朝食はこれぐらいで充分だ。また、東へ東へと歩き始める。ポン・ヌフ橋を通り過ぎ、セーヌ川に浮かぶ中洲を眺めていると思い出した。確かここを曲がれば直ぐそこに、あの椿事の結末が。
まだ一年と経っていない悲劇の余韻は、たくさんの工事用車両となってまず現れた。朝早くから働く人々を横目に、石畳の道を進んでいく。数分後にはノートルダム大聖堂の工事現場が目の前にあった。僅かに焼け残った尖塔は木材や鉄筋で補強され、その更に上空にはクレーン車がゆっくりと旋回する。高い防音壁に覆われた向こうでは、懸命な復旧作業が行なわれている事だろう。私が前回パリに来たのは約二年前。ノートルダム大聖堂は次来た時にでも見ようと思ったことを今でも忘れていない。かつて父が言っていた、「ノートルダム大聖堂は後ろから見た姿が一番美しい」と。その後方部分は全て焼失したようだ。あの壮麗な風格をたたえていた世界遺産は、今なんとも痛々しい姿を観光客に晒している。長い歴史の果ての、あまりに一瞬の破壊、一体誰が予想できただろうか?どれほどの予算と労力を犠牲にしても、もう二度と同一の建物は見られないのだろう。しかしいくら破壊され、何度建て直されようと、威厳と歴史、人の思いはきっと変わらない。ノートルダムとは「我らが貴婦人」という意味だそうだ。セーヌ川のほとりで、またあの厳かな婦人ががパリに花を添える日が来ることを切に願っている。

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中洲を後にし、川沿いをまた歩き始める。一度だけ曲がると目の前に高い塔が見えてきた。この場所こそバスティーユ広場。そう、フランス革命で著名なバスティーユ牢獄があった場所だ。広場の中央にある塔は1830年7月の記念柱。ペールグリーンの表面に、金色で刻まれた名前は英雄たちなのだろうか?てっぺんには燦然と輝く金の天使の像が立っていて、道を指し示すようだ。昨日のルーブル美術館で見た、ドラクロワによる「民衆を率いる自由の女神」の絵画が思い出される。女神と天使に背中を押されるかのように、私は広場を去った。
少々入り組んだ道に入り、不安定な石畳を行くとセンスの良いモノクロのロゴマークが見えてくる。当初の目的であるピカソ美術館だ。随分と寄り道したので予定より三十分近く遅れた到着となったが、問題なく入れた。ピカソは大変に多作な画家であり、時期によって作風も大きく変化した。それぞれの時期は「青の時代」「ばら色の時代」などと名前がつけられており、この美術館では多様な時代の側面を伺い知ることができた。昨日のルーブル美術館とは打って変わり、抽象と印象、線と図形に特化した絵画の数々。ピカソの絵は何よりも構図が秀逸であり、キャンバス全域にきちんと支配が及んでいる。いかなる単純な線、小さな点でも無駄では無いのだ。見終わると、路地を挟んだすぐ前にあるデザインショップに入る。カラフルながらも品のあるおしゃれな雑貨達が、真昼の日差しを受けて輝いていた。ピカソは国籍こそスペインであれ、人生の大半をパリで過ごしたらしい。ピカソもこの日差しに目を細め、キャンバスに向かった瞬間があるのだろうか?

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ハチドリのような色に、建物のカバーを外してしまったかのようなパイプデザイン。レトロな風で今でも新しさを忘れない建築こそがポンピドゥーセンターだ。今日は閉館日なので入ることは出来ないが、折角なので外見だけでもと見に来たのだ。ノープラン旅行の弊害である。お恥ずかしいことに全くの無知だったのだが、予想よりも遥かに大きな建物であった。地面に垂直なパイプ群達が更に高さを演出しているようだ。付近には噴水があり、そこにも謎めいた形状の彫刻達が飾られていた。色形、モチーフなどに一貫性は見出せなかったが、それらは不思議な秩序を保ち水面にその姿を映していた。


流石に疲れたので地下鉄を利用し、ルーブル美術館付近に帰ってきた。数時間余っている。オルセー美術館に立ち寄ろうという結論に至るまでに時間はかからなかった。鉄道駅舎の建物を改造して作られたこの美術館は、天窓からの採光を生かした開放的な空間が印象的だ。十九世紀の芸術はさながらismのカンブリア紀のようで、あらゆる技法が試されては作品という果実をつけた。何度味わおうと決して無くならず、朽ちることのない果実だ。今回であった絵画の中で一番驚いたのはクールベ作の「世界の起源」だ。これは女性の性器と腹部をクローズアップして描いたもので、描かれた当時はもちろん今でも物議を醸すような大変刺激的な絵だ。オルセー美術館に来たのはこれが初めてではないが、この絵を見たのは初めてだった。徹底的なリアリズムを追求したクールベは理想化された女体を描くことをよしとするアカデミズムに対抗するべく、この絵を描いたそうだ。1866年に描かれたこの絵は今なお多くの衝撃をもって迎えられる。膠着した美術の世界に一石を投じるクールベの目的は大成功だったわけだ。柔らかい太陽光に照らされた場所とは対照的な、薄暗い展示室に飾られた「世界の起源」。陽の当たらない場所にこそ、作者が表現したかったリアリズムがあるのだろう。


帰りのユーロスターが出発する駅へ向かう前に、ムーラン・ルージュにまた寄り道である。ムーラン・ルージュは「緋色の風車」という意味であり、その名の通り赤い風車のオブジェが飾られている建物である。内部は劇場となっており、フレンチカンカンというショーが観られるらしい。マイブームのSound Horizonという音楽ユニットに「緋色の風車」という楽曲があるのでなんとなく見に来たのだ。全体が赤く塗られたその建物は遠くからでもよく目立っていた。この風車はここ、モンマルトル地区に現存している三つの風車のうちの一つだそうだ。そんな歴史とは裏腹に、周囲は治安の良い場所とは言い難く、官能的な下着を身につけたマネキンが並べられているようなアダルトショップが多く見受けられた。流石はアモーレ(愛)の国だなぁ。長居する理由もないので歩き始める。このまま真っ直ぐ、サクレ・クール寺院の前を通って行けば駅にたどり着く。

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そうこうしているうちにサクレ・クール寺院の前の通りに差し掛かる。急な坂になっている往来を見上げれば、白く巨大な寺院が丘の上に立っている。寺院の前のテラスまで階段で登って行ったら綺麗な景色が見れるんだろうなぁ…時間は?ある。足は?疲れてはいるけど。行ってみたい?行ってみたい!じゃあ行くか!道を曲がって坂を登り始める。これがこの旅最後で最高の寄り道となった。あけすけにカラフルな、安っぽいキーホルダーが飾られたお土産店の数々を通り過ぎると芝の緑と白い外壁のコントラストが美しいサクレ・クール寺院が近づいてくる。石の階段を登り、曲がった坂道を行けばそこはモンマルトルの丘の上。寺院に背を向けて、パリの街並みを一望できる。
景観保護の一貫として、高層ビルがほとんど建てられていないパリは、丘の上から素晴らしい眺望を与えてくれる。都会であるパリの喧騒を、市井の営みを、歴史が飲み込んでいる。パリのほぼ全てが見渡せるこの場所は多くの観光客で賑わい、お世辞にも静かな場所とは言い難い。しかし、壮麗な景色を眺めている時は、不思議と静かな心持ちになれるものである。旅のフィナーレだ、地図を頼りに行ってきた場所を探そう。ポンピドゥーセンターはカラフルだから直ぐに見つかった。ルーブル美術館があそこなら、あぁ結構な距離歩いたな。バスティーユ広場とピカソ美術館は多分あっちの方だ。グラン・パリはよく見える。ミッション・インポッシブル/フォールアウトでトム・クルーズが飛び降りた所ね。そういえば今回は行かなかったな。

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頬に冷たさを感じ、メガネの視野にノイズが混じる。一陣の風が吹いて小雨が降り始めた。ついてない、寄り道してないでさっさと駅に向かえって事だろうか。仕方がないのでジャケットのフードを被り、階段を降り始める。一度だけ寺院を振り返り、ふと空を見上げると輝く雲の前に見事な虹彩。七色の平行な線が、色彩が、大きな弧を描いて煌めいていた。虹だ。冷たい風も雨も、一瞬全て止まったように思えた。永遠のような無音の衝撃の後、私は弾かれるように階段を駆け下りた。今寺院から離れて写真を撮れば、寺院と虹を一枚の写真に納められるかもしれない。何度も見上げて写真を撮った。周囲の人間はようやく虹に気づいたようで、丘の下の方では拍手が沸き起こっていた。白亜のサクレ・クール寺院の隣に現れた、副虹まではっきりと見える見事な空の橋。美しい、この言葉が使い古され、陳腐なものになったとしても私は言い続けるだろう。微かな偶然の曲がり角の結果の、息をのむほどに幽雅なスペクタクル。なんて美しいのだろう。美しいものを、素直に美しいと感じられる、私はなんて幸福なんだろう!
風が吹き、雲が分かれた。いつの間にか小雨も止み、華やかでいて儚い円弧はあっという間に消えてしまっていた。いつも通りの見慣れた青空。まさしく白昼夢のような瞬間に、突飛な風が連れて行ってくれたのかもしれない。旅という、日常から切断された時間の更に隣の世界。この旅で成すことは終わったと、今心から思える。一日中歩いたはずの足は不思議と軽く、私は一度も振り返らずに駅へと向かった。次にいつ風が吹くかはわからない。同じ場所かもわからないが、一つの確信はある。私はまたパリに来るだろう。異なる気づきと、偶然の曲がり角を求めて。

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おしまい。

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