極上の肴③☆
出逢い
幼馴染の残した孤独感は大きく、
私は連日朝晩と外食するようになっていた。
五日目
マリエラセス暦四〇一〇年七月七日
紫曜日の夕方には
とうとうアパートの管理人を心配させてしまったのだろう。
割引券を束で握らされて
強く勧められるままに
アパート裏手に建つワケイザ王国料理の店へ入った。
橙色の灯りの下、
彼方此方で
蒸籠から湯気が立ち昇る
様々な訛りが大声で飛び交う
通路を縫って、
陽気な笑顔の猫獣人の店員が
梁の上から案内して指差した席へ座り、
心躍る写真付きの分厚い品書きを眺めていると、
小さな鐘の音が真っ直ぐ
私に向けて鳴らされたように感じて、
つい軽率に左斜め前方へ振り向いた。
淡い金色の巻毛の房越しに
真っ黒な睫毛に縁取られた吊り目の中で
喫驚と緊張の入り混じる瞳が
微かに揺れて
私の心臓を鷲掴んで、
一瞬の後に落胆を滲ませて
するりと手放した。
手放されても尚、
私の両の眼は
残像のように淡い金糸の残る項に縫い付けられたまま、
私の胸の握り締められるが如しの息細さも、
水気を血管に吸い上げられたかのように干上がった喉も、
全身の血液が逆流したかの頬の火照りも、
唯の一つとして治まりはしなかった。
注文を訊かれて店員を振り仰いだ後、
彼の卓とは三つも卓を挟んでおり、
次に見つけるのに大層苦労する程の
人影に埋もれていた事に気付いて己に苦笑した。
邂逅が視界いっぱいに飛び込んできたように感じたのは、
大いに私の側の心理的作用に因るものだったのだ。
生まれて初めての一目惚れというやつだ。
だが、あの眼は明らかに落胆した。
私に望みは無いと吐き捨てるかのように。
赤曜日、
あの強気そうな面立ちに反して
何かに震えていた双眸に心が囚えられ、
上の空で一日を過ごした
私は夕方には気を取り直した。
気づかれずに眺めるくらいは許されるだろうと、
昨夜の店へ早めに行って
呑みながらちまちまと注文して粘って待ったが、
ラスト・オーダーの時間になっても彼等は現れなかった。
前日人影に見え隠れしていた彼等は
写真付きの分厚い品書きを熱心に眺めるでなく、
二人で熱心に話すでもなかったので、
場慣れているように見受けられたのだが
見当違いだったか。
肩を竦めて会計すると、
人懐こい笑顔で犬獣人の店員が目尻を下げた。
「大丈夫か?
待ち合わせコナカッタか?」
「ああ、
待ち合わせじゃないから大丈夫さ。
んー……
俺と同じ歳くらいの
金髪と赤髪の二人連れは
結構来てるって訳じゃないのかな?」
「アー!
あのトモダチは今日はコナイよ、
ダイタイ青色が混じる日にクルね、
紫曜日青曜日緑曜日黒曜日」
「そうだったのか、ありがとう!」
「ドウイタシマシテ。
トモダチたくさん作るは良いよ!
おやすみ」
「そうするよ、おやすみ!」
翌日青曜日の夕方
また早めに店へ行き、
ちまちまと注文しながら呑んで粘って待とうと
覚悟を決めた瞬間に、
彼等は現れ、
一つ空き卓を挟んだ左斜め前方の席に
案内されて座った。
いざ遮るものの無い近くに居るとなると
直視できる訳がなく、
私は顔を伏せて
ひたすら呑みながら
品書きを眺める振りを続ける以外できなかった。
折角傍に居るというのに、
微かに話し声も聞こえるというのに、
何方の声なのか確かめる事もできず、
彼方から見えず
此方から見える魔法でも有るなら
練習すべきだろうかなどと思いついた時、
再び小さな鐘の音に呼ばれた。
反射的に音の方へ振り向くと、
髪の掻き上げられた
真っ黒な睫毛に縁取られた
松葉色の瞳と直に目が合い、
心臓を鷲掴まれ、
一瞬の後に、
今度はあからさまに、
また落胆されて乱暴に放り出された。
私はすっかり落ち込んで早々に店を後にした。
翌緑曜日、
傷心の私は少し遅い時間に他の店へ向かったのだが、
遣いに出ていたらしい
紫曜日に言葉を交わした
犬獣人の店員に見つかり、
半ば強引に店へ引きずり込まれ、
常時私が最初に注文する
ワケイザ名産麦酒と大きな蒸籠一つを
奢りだと押し付けられて
彼等の右斜め前の席に腰掛けさせられた。
居た堪れなく
身を縮めて麦酒を啜ると、
早々にあの小さな鐘の音に呼ばれた。
一瞬の躊躇、
胸の痛みより
あの双眸への乞い心が勝り、
私は痛みと怯えを振り払って
振り向いていた。
彼は己の気を惹いた相手が
またしても私だと認めると、
今度は小さく噴き出して苦笑しながら
身体ごと顔を背けた。
一瞬だけ見せた、
僅かに下がった目尻に溜まる
真っ黒な睫毛と
口角が上がって
一気に華やいだ容貌に、
私は人生一番の大きな雷に射たれた。
あの目でどんな言葉を紡ぐのか、
あの唇でどんな声で奏でるのか、
俄然知りたくなっていた。
はたと、
完全に望みが無い訳ではないのだと気づき、
連れの目を盗んで
三度もつい魅入る程には
私の外見の何かは完全に彼の好みなのだと気づき、
私の心はすっかり奮い立った。
そして、
無遠慮に噴飯された礼として、
私も食事しながら無遠慮に眺めさせてもらう事にした。
但し、連れの方を。
連れは、赤髪のヒューマン、
前の二回とも同じようだった。
二人とも歳はやはり私と同じくらいか、
違っても精々一二歳か。
暫く眺めていると、
連れも彼も
to"M"則ち
異性体男性自覚者であるように感じられた。
元が無性か両性か中性か女性かは判らないが、
姿勢や仕草や服装・装飾品から
伊達男で在ろうとする
強い意志を感じたのだ。
連れは度々彼に性的な触れ方をしている、
なかなか複雑な性的指向のようだ。
若しくは、
私同様に
顔が好みなら性別は二の次三の次というお仲間か。
二人は付き合い始めなのだろうか、
硬さが特に連れの方から感じられた。
しかし視線の強さに執着は感じるが、
何故か恋情を感じさせない、
かと言って
『性的指向及び嗜好探険』していた頃の
私とソーの様な爽やかさは無く
何かが異なる、
不思議な違和感を感じた。
「痛ッ……」
不意に
顎を摩っていた右手に疼痛が走り、
咄嗟に左手で押さえながら
原因を探るべく視線を落とすと、
鍼を携えた精霊が
仁王立ちしていた。
人工物を携えているのは
それを扱う神に仕える聖霊だから高位の精霊だ。
加護無き者と話す術も持っている訳なのだろう。
聖霊は文字を浮かび上がらせた特殊な筆談紙を私へ向けた。
「我が愛し子に何用か?」
「お宅の愛し子ってのは
彼処の赤毛の哥さん?」
「そう」
「そうか。
幾つか訊きたいんだけど良いかな?」
「答えよう」
「此処で頻繁に見るって事は
地元はワケイザ?」
「そう」
「そうか。
地元料理店に来るって事は家出?」
「そう」
「そうか。
お宅が加護してるって事は
彼はワケイザの王宮鍼術師の嫡子?」
「そう」
「そうか。
ワケイザ王宮は民草に優しい
しっかり者の
『締まり屋』だと聞いた事があるぞ、
割引券は配られてるみたいだが
毎日のように外食してて大丈夫なのか?」
「あまり大丈夫ではない」
「ふっ、もしかして
俺が料理できると見透したから来た?」
「できるなら何故此処に?」
「一人分なんか作っても、
独りでなんか食べても、
楽しくないからさ」
「そうか。
我が愛し子に何用か?」
「くくっ、そうだなぁ……
一先ずトモダチになって、
明日の晩飯にでも招待しようかな」
「そうか。
相席するが良い」
「今?」
「今」
「了解」
斯くして
私は彼の連れの加護精霊に
お近づきの許可を与えられた。
加護精霊は聖霊ともなると
家出中の未成年者には保護者にも等しいと聞く。
余程食生活に不安があるのだろう。
「はじめまして。
フレデリックだ、
『加護聖霊』から話は聞いてる?」
「ああ、聞いてる。
話せて嬉しいよ、フレデリック。
オレは響哉、
彼は音隠。
家出中なんで偽名で失礼するぜ」
「なるほど、
じゃ俺も家出中なんで……
そうだな、
香治で頼むよ」
「了解。
香治、
音隠を三度も釣ったらしいな?」
「三度ともがっかりさせたみたいだけどな?
はじめまして、音隠。
きっちり釣り上げられなくて残念だったよ」
「はッ、
その鼻とその髪は
好み『ど真ん中』だけど、
ナンパして恋愛するなら
オンナノコが良いんだ」
「ふぅん、何的に?
視覚的とか聴覚的とか
触覚的とか嗅覚的とか第六感的とか、
あるだろ?」
「そうだな……
そう言われてみると…………」
音隠が答えを真剣に
考え始めた様子だったので
私は彼の返事を待たずに
響哉へ質問を始めた。
まだ音隠が本命だとは
誰にも覚らせるべきではないと
考えたのは事実だが、
そもそも
三人以上で連るむ際の鉄則でもあるからだ。
「響哉は?
音隠の何がお気に入りなんだ?」
「ぶふッ、オマエ面白いね」
「そうか?
だってアン……お前さん、
俺の何かも気に入ってるだろ?
まさか俺が女性自覚者に見えた
なんて事はないだろ」
「へぇ、
オレは……
どうやら顔が好きらしい、
かね?」
「くくっ、音隠も俺も?」
「ああ、音隠も香治も。
笑ったが
二人とも線が細いから
共通点はきちんとあるじゃねぇか」
「ああ、そうか、
そうだな」
「ふン。
太いのゴツいのは
オトコもオンナもパスって程度で、
未だ自分の指向がはっきりしねぇんだ」
「ふぅん?
全部好きで良いと思うぜ。
俺は今の所全部好きだと思ってるよ」
「全部試したのか?」
「ああ、性別なら試したよ。
四人の姉妹の所為で
オンナらしいオンナは
付き合うとなると苦手なんだけどな、
何故か
カラダは別に平気なんだ」
「ははぁ、
姉妹に性的な悪戯をされた
経験が無ぇ訳だな?」
「ああ、そうか、
だからか!
しょっちゅう下の姉に
暴行は喰らってたが
性的暴行は無かったよ、
確かに」
「ツイてたな。
オレは従兄に襲われた事があって、
チビと金髪碧眼と雀斑が
四拍子揃った野郎に
秋波送られると
殺したくなるんだよね」
「!
…………」
「あ、未遂で未通だからな。
そんな顔するなよ……
くすっ、
オマエ見た目通りなんだな」
私が音隠の過去と、
重めの過去を出逢ったばかりの者へ
さらりと云ってのける性情に驚き、
返す言葉に窮していると、
音隠はまたあの笑顔を一瞬だけ見せた。
心臓が爆ぜんばかりに鼓動したので、
私は自分の声が裏返るのを察知して
慎重に発声した。
「……見た目通り?」
「繊細で生真面目」
「……ふぅん、
初めて言われたよ。
で、
『何的』か分かったか?」
「ああ、十中八九視覚的だな。
響哉は、
複雑だろうけど『アリ』だからな」
「ふぅん、なるほどな」
「ところで香治、
飯を馳走してくれる
トモダチになってくれるんだって?」
「ああ、
姉妹の我儘を叶えてたら
家政師からお墨付きもらう程度には
料理できるようになってたって訳でさ、
料理自体は楽しめるから
要望をくれて構わないぞ」
「なら……
とりあえず、
ポタージュとグリルと蒸し物
以外を頼みてぇな、な?」
「それそれ、
まさしくその通り」
「ポタージュとグリルと蒸し物以外、ね。
了解。
他に苦手な物は?」
「鞘に入ってる豆」
「生の魚」
「了解、
響哉は
鞘から出てる豆は平気なのか?」
「ああ、鞘が許せん」
「筋が許せないのかね?」
「あぁ!
たぶんそうだな。
嫌々食わざるを得ん
高級店だと意外と気にならんのは
丁寧に処理されてるからか」
「ああ、きっとそうだろうな。
音隠は生ってどの程度?
炙りとか湯引きとかって食った事ある?」
「ある、平気だ。
そうだな、
そう言われてみると
表面が生じゃなけりゃ大丈夫、
な気がしてきた」
「了解。
量は?
此処だと
二人でどれくらい食べるんだ、
見るぞ」
私は会計伝票を見て唖然とした。
この二人ときたら
酒と乾き物しか注文していなかったのだ。
よくよく思い出してみると三回とも
料理が卓に乗っている処を
見た事は無かったような気がしてきた。
「な、何だよ、
今日は昼に食い過ぎたんだよ」
「ふぅん?
でもこれで確信したぞ。
加護精霊はお前さん等の食生活を
心底不安に思ってるって事だ、
違うか?」
「う……
……まぁ……」
「最初は大丈夫だったんだ。
二人とも
全く(料理)できないって訳じゃあねぇから」
「そう、
オレはブツ切り
塩胡椒グリルなら作れるし、
音隠は
ポタージュなら天下一品だ」
「あー……
なるほど。
グリルとポタージュと
『此処の』蒸し物は、
嫌いなんじゃなくって
大概飽いちまったって事か、
合点がいったぜ。
加護精霊が心配する割りには
嫌いな物が少ないから
不思議だったんだ」
「嫌いな物は殆ど無いぞ、
味付けにも
そんなにウルサクない」
「ああ、
寧ろ折角だから、
ちょいと凝った味付けの物を
馳走になりてぇかなってくらいだ」
「了解。
なら最初は昼食に招待するよ、
明日で良いか?」
「まじで?!」
「まじで」
「有り難ぇよ……
この辺りの昼食は
予算的にファスト・フードしか無ぇから、
もう飽き飽きしちまっててさ」
「もしかして、
米も炊けないのか?」
「もしかしなくても、
米も炊けねぇし、
パンも焼けねぇし、
麺も茹でられねぇよ?」
「生地を捏ねるまでは
教科書通りなのに、
全くもって謎だよなァ……」
「この国で主食が調理できないって
破産宣告じゃないか!」
親切なストュスアイ王国では、
玄米と全粒粉と蕎麦粉が
住民と滞在者全てへ
年齢と身長体重に応じた栄養士の算出した最適量を、
女性体への生理用品と共に、
毎月国から滞在場所に宛てて支給される。
大筋は貧困救済と
精製炭水化物の過剰摂取に因る
不調や病気を防ぐ目的だから、
買うとなると
嗜好品扱いの税金が掛かるので、
異様に高額だ。
どの飲食店でも
調理済主食の持ち込みが常識で、
支給品を持ち込んで調理を頼む事もできるが
当然調理代金は掛かるという訳で、
主食の調理ができない事が
破産宣告に繋がるのだ。
ちなみに、
万が一食中毒が出ても
原因を獣人や精霊や神が容易く突き止められる為に
持ち込みが認められているという訳だ。
「そーなんだよなァ」
「加護聖霊が心配してるのは
そーゆー事もなんだよな……」
「何とまぁ……
通わせてやっても構わんが、
この際一緒に住むか?」
「まじで?!」
「ああ、まじで。
そっちが広けりゃ
俺が転がり込むけど、
こっちは一緒に出てきて
一緒に暮らしてた
幼馴染が帰ったから
部屋が余ってる」
「二部屋は無ぇよな?」
「は?
狭くて窓もベッドも無くて良けりゃ
納戸が空いてるけど、
二人一緒に寝てるんじゃないのか?」
「一緒に寝たって
個室は要るだろ……
音隠は要らねぇらしいんだけど、
オレは欲しいんだ」
「ふぅん、明日見てみれば良い。
気に入れば越して来たら良いさ」
「有り難ぇ……
まじで有り難ぇ、
何なの、オマエ?
本当は
鍼術神の使い魔なんじゃねぇの?」
「くくっ、
混じり気無しの
しがない家出ヒューマンさ。
人生初の独り暮らし七日目で
ちょいと寂しかったりはするけどな」
「なるほどな……
オレは音隠を拉致ってはみたものの、
結構独りの時間も
欲しいモンなんだと気づいたからさ、
何時間かしか相手しねぇけど、
水のようにオトナシクしてるんなら
音隠が文句一つ言わず
始終傍に居てくれるぜ」
「……はぁ?」
「拉致?」
「ああ、
聞き間違いじゃないなら其処も」
「オレ、
えぇと、
何だっけ音隠
『ヤンデレ』?」
「そうそう、軽ヤンデレ。
響哉は
ちょっと唐突で極端なだけだよ。
別に命に危害は加えないから
心配要らねぇ」
「ふぅん……
音隠が良いなら良いのか」
「ふン、じゃ次は?」
「次?」
「『はぁ?』の箇所」
「ああ、それはもう良い。
それより二人とも
今夜はもう腹は減ってないのか?」
「…………」
「湯気と匂いで胸イッパイ。
此処に通ってるのは
祖父さんとの約束なんだ。
自由と仕送りの条件、
呑んだ暮れても良いから
週の半分は
国の仲間に顔を見せる事、つう」
「あー……
そういう事か、
なるほどな。
…………
音隠、
そんな情けない顔するなよ、
部屋に何が有っても笑わないと
誓うなら今から何か作ってやるよ」
「まじで?!」
「誓えよ」
「誓うとも!
魚の置物が山と置いてあっても
笑わねぇから、
しゅっとした蕎麦食わせてくれ、
頼む」
「音隠は?」
「誓う誓う。
オレ……
とりま白飯食いてぇよ」
「了解。
じゃ出て買い物行くぞ」
「やったー!」
可愛らしい歓声を上げた
音隠の加護精霊の姿を
視界の端で盗み見て
正体を確かめながら席を立つと、
食料品店へ急いだ。
私に声が聞こえるという事は
何らかの鉱物を含む聖霊なのだろうが、
修行が足りないらしく
一目では特定できなかった。
アパートの階段で、
フードを被った音隠の
背に斜め掛けされていた物の
正体に気づいて
私はうっかり足を踏み外した。
派手な音を立てて
緩やかな階段を数段転げ落ちた
私へ響哉が手を差し伸べた。
「おい、大丈夫か?!」
「痛てッ……
腰を打っただけだ、大丈夫だ。
ありがとう、響哉。
音隠、それってカタナ?!」
「あぁ、
これ見てコケたのか、
悪かったな。
打刀だよ」
「は? 何?
音隠、サムライ?」
「オレのお師さんがサムライの末裔、
みたいなモン?
らしいけど、
オレはただの辺境伯の実子」
「ふぅん、
なら、
武人ではあるんだな」
「ははっ、ゆるい括り。
オマエは?
オレの加護精霊の
声が聞こえたみたいだけど
金物屋?」
「ぶはっ……
そう言われてみれば
金物屋もできる……のか!
くくっ、
うちは宝飾品屋で
俺の加護は鉱物全般らしいんだ」
「凄ぇ!
将来掛け持ちで役員になって
左団扇確定じゃねぇか」
「まさか!
家業だけで精一杯だよ。
うちの親はピンポイント加護でも
年中仕入れと加工で飛び回ってるもんよ」
「へぇ、そーゆーモンなのか」
「って事は
香治は
先生がわんさか居るって事か?」
「難しいな……
今一緒に居るのは一人」
「産まれた時に加護をくれた加護精霊?」
「いいや、
その加護精霊達は
親父とお袋の見出した商品だから
もう居ない。
俺が産まれた時に
家中の地金と原石が言祝いで、
居合わせた祖母が
同じ加護だったから判ったらしいが……
皆何れ
見初めた客の許へ行ったそうだ」
「え……
加護をくれた加護精霊が、
もう居ない……?」
「うーむ、
難しいな、
加護をくれたっていうよりは、
加護を知らせてくれたって感じかね。
ウチの家族にとって
鉱物の精霊っていうのは、
土地を離れても
少々形を変えても
化学変化させなければ
分身したりして尾いてくるし、
誰かを見初めれば離れていくから
加護精霊って感じが薄いんだよ」
「ははぁ、
オレの加護精霊が
寧ろ珍しいって事かな・」
「へぇえ、
そーゆーのも在るのか。
聖霊と精霊の違いってやつかね」
「なるほど、
そうか、
聖霊と精霊の違いかもしれんな。
音隠のは?」
「オレの加護聖霊は
金剛石って
絶滅危惧種の填まってる手鐘」
「金剛石か、凄いな。
まだ見た事無いよ……
形が鐘?
お袋さんの持ち物とか?」
「そうそう、よく分かったな。
代々ウチの
『家政を執り仕切る者』に
受け継がれるらしいベル。
昔の言い方すると
女主人の手鐘ってやつな」
「なるほど。
家政を執り仕切るってのは
誰の言葉?」
「お袋」
「お袋さん、
凄く賢くて優しくて強そうだな」
「へぇ、
そんな風に言われたの初めてだぜ」
「まぁ、
人んちのお袋さん褒めたって
別に良い事無いからだろうな」
「ははっ、
違いねぇ違いねぇ」
「くっくっくっ、
たーしかに!」
「さ、着いたぞ。
野郎ども、
準備は良いか?」
「ああ、笑わねぇよ」
「ああ、
腿を抓る準備はできたぜ」
「良かろう、入りな。
左二部屋が空きだ」
「邪魔するぜー。
……へぇえ、
きちきちっとしてんなー……
敢えて言うなれば、
キレイ過ぎて
お袋の部屋みてぇ?」
「お邪魔さーん。
え、ツマンネ……
むちゃくちゃ片付いてるし、
全然フツーじゃん。
何かもっと、
こう、
楽しませるモン無ぇの……?」
案の定二人は
買った食材を台所の作業台へ放り出すと、
左の二部屋には目もくれず、
右の私の部屋へづかづかと入って
彼方此方を開けては
文句を垂れた。
「香治、オマエ幾つ?」
「明日十九になる」
「それでコレ?!」
「家から持ってきたのか、
コレを?」
「おい、お前等、
誓いを思い出せよ」
「覚えてるともさ!
なーるほどなー、
コレかァ」
「思い出した思い出した。
ま、これくらいは……
ちょーっと珍しい、
くらい、
か、
ネ」
そしてとうとう二人は
衣装室のスーツ二着を見つけるなり
顔を引き攣らせたのだった。
ソーにも落ち着いてから言われたが、
普通は十七の餓鬼が家出するのに、
スーツを持っていこうとは
思いつかないのだそうだ。
私は幼馴染の言う所の
『すかした店』に何十日も身を置けないと
心が荒んでくるから、
服装規定を満たす物を
一着も持たないという選択肢は
あり得無かったのだが。
二人が肩を震わせながらも
空き部屋へ大人しく向かったので、
私は大鍋に湯を沸かし、
精米済みの白米を砥ぎ始めた。
鍋の湯が沸いた頃、
すっかり真顔になった二人が台所に現れた。
「奥のベッド、
使って良いのか?」
「ああ、
此処の家具は全て
部屋備え付けだから
遠慮は要らないぞ」
「なら二人とも
此処へ転がり込ませてもらうよ」
「荷物は多いのか?」
「音隠の服が、な」
「響哉のリネンがなぁ」
「洋服はどれくらい?」
「衣装室が埋まる」
「まじか……。
リネンなんざ
高が知れてるんじゃないのか?」
「香治のスーツケース
三つ分はあるぜぇ」
「うっわ……
寝具カバー丸っと全部
毎日取り換えたい人種なのか?」
「御名察。
何ならバスマットもトイレマットも
毎日換えてぇよ」
「そうか。
洗濯までするなら
好きにすれば良いさ」
「モチロン洗濯はするが……
手伝うだろ?」
「そりゃ、まぁな。
お前が二百五十四方のシーツと格闘するのを
眺めるのも楽しそうだが、
どうせ見てるのは直ぐ飽きるからな。
家具はどうなってる?」
「ウチも備え付けだから
持っては来れん。
上置マットレスだけだ」
「そうか、
それは寧ろ助かるけど……
この階の倉庫室が
空いてるらしいから借りるか?
確か衣装室と同じ奥行百五十で、
天井も此処と同じ高さ、
幅は浴室……三百で
月五千レイトだったと思う。
季節物を仕舞っても
此処の家具に収まりそう……に
ないか?」
竜人(各種龍の人態だが、
精神状態次第で尾や角が物理的に顕われる)や
大型獣人も
ヒューマンと変わりなく住宅を選べるよう、
また、
異種族間も親しく
互いに招待できるよう、
世界共通規格が定められている。
開口部は幅百五十センチ、
高さ二百二十センチ、
天井の高さは最低基準二百二十センチ、
床面は百五十センチ四方より狭い空間は
小型獣人や小人専用でなければ
設計が認められない。
住宅には様々な家具が備え付けられている。
ベッドは二百十センチ四方だ。
「大丈夫大丈夫、
きっと収まるようにするよ」
「助かるな。
ベッドに(シーツを)『重ねられる』量には
限度があるからな」
「ふっ、
なかなか合理的じゃないか」
「音隠の案。
拉致られても文句言わなかった癖に、
ベッドメイキングを二日手伝わせたら
ぶーぶー文句言いやがってさ、
従うしかねぇだろ」
「くくっ、
人の価値観はそれぞれって事だな」
「ふン。
で、
倉庫室が五千で
此処は?」
「六万。
響哉が拉致ったって事は
音隠の元の
住処はどうなってるんだ?」
「無い無い。
家出初日降り立った港で
早速拉致られたからな」
「ぶっ、
ははははははははははは!
まじで?」
「まじまじ。
お袋の仕置き隊にしちゃ
早過ぎるから
凄ぇびっくりしたよ」
「仕置き隊なんか来るのか?」
「まぁな。
……家賃光熱費食費で
オレと響哉が六万ずつ出す。
香治は足りない分と
調理の腕を頼む、って
トコでどうだ、響哉?」
「おぅ、
そんなトコだろ」
「それは有り難いけど
お前等、
収入なんかあるのか?
あ、
響哉は仕送りなんだっけ」
「ああ」
「大丈夫大丈夫、
オレは貯金がある。
もう買い揃える服も無ぇから、
香治が支給品を調理してくれりゃ
月十七万で三年は
三人ぼけっと
海に浸かってられる筈だ」
「あー……
それは良さそうだな。
海行きたいな」
「香治は此処に来てどンだけ?」
「このアパートは八ヶ月。
お前等は?」
「オレは一ヶ月半で
音隠は一ヶ月」
「海どうだった?」
「まだ行ってない。
ずっと盛かってたからな」
「まじか。
ま、
そーゆー時期もあるよな。
ホラ、
蕎麦できたぞ。
飯が炊けるまでもう少し掛かるから
音隠も食えよ」
「凄ぇ、
ちゃんと蕎麦だ……
いただきます。
うおっ、
ちゃんとしゅっとしてる……」
「もらうもらう、
いただきます」
「あー!
この喉越しだよなー!!
ねちょっとしたモンが纏わり付いてねぇ
この爽やかさよ!」
「あぁ、旨ぇ、
出汁何コレ凄ぇ旨い。
絶妙な濃さ」
「二人とも口に合ってよかったな。
何処にでも安価で売ってる
出汁の素の粉だから安心しな、
何れお前にも作れるようになるさ」
「うん、
まぁ、
きっと匂いと味だけならな」
「ふぅん?
ホラ、
白飯お待たせさん」
「ああああああ!
愛しの白飯!
あぁ堪んねぇ、
このほんのり甘い香り。
このふんわりした絶妙な装い方!
堪んねぇえええ。
もうな、
かっちかちの濃い味べっとり
ライス・バーガーなんか十年は見たくねぇよ」
「くっくっくっ……
長い一ヶ月だったようだな」
「長かった長かった。
家で食った事の無かった
ファスト・フードに目ぇ輝かせたのは
メニュー制覇するまでだね。
あっという間だった」
「あー……
そうか、
伯爵家なんだっけ。
ファスト・フード食った事、
一回も無かったのか?」
「無い無い。
つか、
伯爵家だからってよか、
ウチはタングール連合王国だけど
ヒュウグス大陸領だから、
地龍との契約で
ファスト・フードを出店しちゃいけねぇから、
なんだけどな。
お袋に頼んだら
見た目そっくりなのを作ってくれたんだが、
本物食ったら全然違った。
あの不思議な軽食具合が病みつきになってな、
直ぐ飽きた訳なんだが。
あぁ旨ぇ。
あぁ幸せ。
白飯はヒューマン最高の文化だよ」
「ふっ、炒め物はどうする?
もう遅いから明日にするか?」
「うん、明日もらう」
「響哉は……
寝るならベッドへ行きな、
っと、
どうする、音隠?
道がわかるなら
俺が響哉を背負って送るけど?」
「背負って階段降りるのは危ねぇだろ、
泊めてくれれば良い」
「ああ、
じゃあお前等のベッドを整えるから
手伝えよ」
「嫌だね、
オレがこの世で一番キライな家事が
ベッド・メイキングなんだ。
オマエのベッドで川の字しようぜ」
「何とまぁ……
仕方ないなぁ。
つぅか、
そうだ、
音隠お前、
逃げたいなら好機だよな、
手を貸すぞ」
「全然」
「ふぅん、
じゃ、
浴室使うなら使えよ。
便所にポット出しといたから
(月経が)『来たら』使えば良い」
椅子にぐったりと体重を預けて
眠っている響哉を、
私のベッドへ運んで転がして
リネンを掛けるまで、
両の腕を組んで尾いてきて見守っていた
音隠が目を瞬かせた。
「いたつく(略:至れり尽くせり)だな……
オマエ、モテるだろ?」
「さぁな、
将来の客商売で活きれば
御の字って所かな」
「あ、そっか、
オマエはオンナにモテても
嬉しくねぇんだもんな」
「ま、何をもって
オンナとするかにも拠るけどな。
現状オトコにせよオンナにせよ、
お前等だったら歓迎だよ」
「ははッ、有り難き。
性自認について語り始めたら
異性自覚者よか
ウルセェ事言い出しそうだな」
「ふっ、
まぁまぁ嫌な目に
毎日遭ってたからな」
「解放からの維持おめでとう」
「ふっ、ありがとさん」
音隠は玄関のカレンダーの
七月二十五日と二十七日へ
右向き白三角を書き入れて
ペンの尾で叩いて私の注意を引くと、
『(月経)開始予定日』と呟いてから
浴室へ向かった。
しょっちゅう月経がまだ来ないだの、
予定が立たないだのと騒ぎ立てては、
私に八つ当たりしていた上の妹と異なり、
二人とも順調に来ている様で安堵した。
安堵してから、
八つ当たりされかねない自分の為ではなく、
心底彼等の為に安堵した事に
気づいて自嘲した。
私は母親か、と。
私は台所を洗面所代わりにして
寝支度を整えると、
部屋着上下一組を脱衣室へ投げ込んで、
響哉が端へ寄っていたベッドの逆端に横になった。
急展開の一日を振り返る暇どころか、
念願の音隠の話し声や
笑顔を反芻する暇も無く、
ずるりと眠りの谷へ落ちていた。
マリエラセス暦四〇一〇年七月十日緑曜日
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マリエラセス暦四〇三三年一月十日黒曜日
「と、まぁ、
こんな感じだ」
「くっくっくっくっ……
『致す』為にナンパして、
『お持ち帰り』したのが
居着いたって訳じゃなかったんだな!
へぇえ、
くっくっくっくっ……
続けてくれよ。
彼奴等の事も
端折らず聞かせてくれ」
「まじか……」
(第三話:出逢い:了)
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