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極上の肴②☆


家出


 そもそも何故なぜソーと私は家出したのか。

 ソーはお袋さんの腹に宿った頃には既に、
祖父御が理事長を務める学園の
創立前から学園敷地内にあった
白樺しらかばの精霊の加護を得て、
私立学園の理事長の嫡子ちゃくしに選ばれていた。
学生経験を積んだ後は
教諭経験を積むべく教員免許取得し、
前後して経営学も身に着けるべしという
レールが丁寧にしつらえられていた。

それに異存はないし
三十までに全て履修するが、
その前に
ドロップアウト経験も積んどくわと彼はのたまった。
たぶん私を姉妹から引き離す為にひねり出した口実で、
本当はついてきてくれたのだろうと今は思う。

 私は上の姉と共に宝飾品店主の嫡子ちゃくしで、
最低限の経営学と宝石商の現場を
三十歳までに履修すべしという
緩めの家督命令があっただけだったが、
一月と七月の休校月と子等の誕生日以外は
仕入れ旅や加工旅に飛び回って
両親が留守勝ちな我が家での、
四人の姉妹の横暴と暴挙に、
下の妹が三歳になってからの六年間
日々辟易へきえきさせられていた私は、
自分の十七歳の誕生日が過ぎて
休校期も終わって
両親が再び旅立った明くる日、
唐突に
姉妹にひるんだり恐れたり嫌々従ったりする事に
嫌気がさした。
するとぐに全ての感情が怒りに変わった。

 早くも翌日には怒りが沸点に達して、
二人の姉と二人の妹の綿密な殺害計画を立て始めていた。
遅蒔おそまき故の
苛烈かれつな反抗期が訪れていたのだろう。

 計画に必要な物資をそろえ始めてから数日後に、
様子をいぶかしんだソーにばれて、
宥《なだ》める為に
家出に誘われたという次第だ。

 嫡子ちゃくしとは
正妻が産んだとか先に生まれたとか男とかは全く関係なく、
その家業にあたう精霊の加護を得た者で、
跡継ぎと決められた者をいう。
私には鉱物全般の精霊の加護が与えられていた。
ちなみに、
母フランセーズはコランダムの精霊、
父フォルティードは真珠の精霊、
上の姉フォリエラは金属鉱石全般の精霊、
下の姉フィールズは東風の精霊、
上の妹ファルセシアは井戸水の精霊、
下の妹フュルスナは林檎の精霊、
の加護を得ているらしい。

 マリエラセス暦四〇〇八年八月六日おう曜日
その日その夜、
私は紙製の拳大の箱を
何処に仕舞しまうか苦心惨憺くしんさんたんして
自室を右往左往うおうさおうしていた。

 箱の中身は二日足を棒にしてやっと手に入れた
魔法薬の稀少な材料の一つで、
他星から仕入れたという乾燥漿果かんそうしょうかだったが、
香りが強い上に、
枝から離れ、結実した星からも離れているというのに
精霊が付いて来ており、
その精霊がまたやかましく、
香りを遮断する容れ物に入れようものなら
大暴れするので私は弱り切っていた。
通常なら
私が加護を受けていない精霊の声は私には聞こえないので、
他室の姉妹にも聞こえている可能性が否めず、
私はあせり切ってもいたのだ。
でなければ、
ほぼ毎晩白樺しらかばを伝って
窓から来訪する幼馴染おさななじみの気配に、
私と私の加護精霊達が気づかない訳がなかった。

 遠慮勝ちながら硬質な二打音に飛び上がって振り向くと、
友が場都合ばつごうの悪そうな顔をかしげて、
開け放してあった電子端末を指差した。


ソー

「邪魔してるぞ。
まさか推理小説でも書こうってンじゃあ、
ェわな?」



フレデリック

「ああ、違うな」



ソー

「で、其奴そいつがコレか?」



フレデリック

「ああ、
此奴こいつれだ」



ソー

「フレよォ……
気持ちは知ってるがよォ……
……
とりあえずデータ・シュレッダー掛けるぞ。
こんなの見つかったら即立件成立だ」



フレデリック

「……ああ」



ソー

「……其奴そいつは他の
幸福な使いみちも有るって知ってるか?」



フレデリック

「いいや、知らん」



ソー

「ウチのお袋が欲しがってた。
香りが白樺しらかばの精霊の
滋養強壮になるんだそうだ」



フレデリック

「そうか、持って行ってくれ」



ソー

「おう、ありがとな」


 友は小箱を、
瞬速で胸衣嚢いのう(意:ポケット)に入っていた札全てと引き換えて、
上着の内衣嚢に仕舞しまうと、
端末の不穏な違法魔法薬のレシピ十二個と
計画表二個のデータを次々に見つけては消去して、
画面を見詰めたまま
右の拳から親指だけを立てて窓を指して、
首も窓へ向けてかしげて、
ゆっくりと決意を口にした。


ソー

「フレ、
俺ァ何年かこの町を離れる」



フレデリック

「そうか」



ソー

「お前一緒に……
来るだろ?」



フレデリック

「……そうだな、
そうしよう」


 滅多めったに話の強引な進め方をしない友に面喰めんくらった私だったが、
混ぜ返す事はせずに簡潔に返事すると、
彼はあからさまに安堵あんどして畳み掛けた。


ソー

「良し、善は急げだ。
荷物をまとめて……
良し、
一時間後に
駅前のカヴァルナで待ち合わせよう。
俺はダズに会わなきゃなンねェからさ」



フレデリック

「あ、ああ、分かった……
二時半にカヴァルナだな」



ソー

「そう、二時半にな!」


フレデリック

「ああ、後でな」


 またもや私は面喰めんくらったが、
此処を出る事、
一緒に出る事、
今直ぐに出る事、
それ等が今の自分に
最も必要な事のように直感し、
再び簡潔に返事して、
友が来た時と同じく
窓から梯子はしごを掛けた白樺しらかば伝いに降りて
隣家の自室の窓へ戻るのを見送った。

 駅までは歩いて四十分だから
大急ぎで荷造りして、
それでも姉妹に見つかりでもしたら
走らねばなるまい。
私は息をひそめて
物音も極力立てずに荷造りし始めた。
父の教えを思い出しながら。

 教えその一、
文明から離れたくなければ
文明人のよそおいを忘れぬ事。
私は迷う事無く最初に
ガーメント・バッグをつかんで
カジュアルなスーツと
フォーマルなスーツを一着ずつ包んだ。

 教えその二、
自分の投影逃避先を
一つ作って持ち歩く事。
次に幼い頃、
たぶん生まれて最初に見つけた、
私のもとに来る事を望んだ
特別な紅玉(ルビー)を首に掛けた。
私が唯一名を付けた精霊が付いている。

 教えその三、
僕達(父母)を信じて出掛ける事。
ああ、そうだ、
父は出て良いと言ったのだ。
そうだ、
母も父も良い子にして待っていろと、
世の多くの親のように言った事など
唯の一度として無かったのだ。
不意に胸が軽くなり、
じわりと熱くなった。

 私は何も考えられなくなって、
夢中でスーツケースを満たすと、
上着と外套がいとう羽織はおり、
身分証と旅券と財布二つを
四つの内衣嚢うちいのうへ分けて仕舞しまい、
全ての雨蓋あまぶたぼたんを掛け、
特殊な白板に『何年かしたら帰る』と書いて
署名すると伝言鳥に持たせた。

 前月に十七歳になったばかりの私は
――それ以前の一年半の間に
不良少年の御多分に漏れず
深夜に帰宅する事はしょっちゅうだったが――
深夜から出掛ける事はこの日が初めてで、
初めて深夜帰宅した時と同様に、
緊張に全身が強ばった。
自室の扉を前にして
立ちすくむ私の緊張を嗅ぎ取って、
コーツェ、紅玉の精霊が慌てて助力を申し出た。


コーツェ

「フレデリック、願いはある?」



フレデリック

……
ああ、
フィーにだけは会わずに済むよう
一緒に祈ってくれ」



コーツェ

「お祈りする、
フィールズにだけは会いませんように
フィールズにだけは会いませんように
フィールズにだけは会いませんように
――」


 私は耳を澄ませ神経を尖らせて
廊下に人の気配が無い事を確かめると
意を決して扉を滑り出て、
息を飲んで自室から一つ、
深夜に私以外が開く事は無かった
貯蔵室の扉を過ぎて息を吐き、
もう一つ息を飲んで、
屡々しばしば信じられない時間に
中からフィールズが出て来る
浴室の扉を過ぎて息を吐き、
階下のホールを覗き込んで
誰も居ない事を確かめてから、
誰も来ない事を祈りながら
翔ぶように回り階段を駆け降り、
薄明かりの漏れる台所の扉を
中も確かめず腰と首をかがめて過ぎて、
素早く玄関扉を滑り出た。

 庭の向こうの完全な暗闇で、
整然と街灯と道路灯がつらなって
我々を往路へかしている。

 そうなのだ、
祈りの甲斐かいあってか、
乱暴者のフィールズどころか
誰にも会う事無く前庭に出られたが、
今度は誰かが
恋人や友人に送られて帰宅したり、
偶然窓から見咎みとがめたり
するやもしれぬのだ。
再び具体的な不安に駆られて、
私は一目散に通用門を越えて
駅へ向かって疾走していた。

 家から離れるに従って
次第に歩を緩め息を整えつつ進むと、
街灯ごと飲み込まれそうな
真っ暗な夜道の先に、
きらびやかな六軒の
深夜営業遊興場に続いて、
二十六時間営業の
喫茶室カヴァルナの窓の灯りが
暖かい色で坂の下にゆったりと
待ち構えているさまに迎えられた。

 カヴァルナの橙色の灯りに
すっかり肩を抱かれると、
ダズの妹で
我々より一歳上のドゥーディが歩み寄り、
瞳を輝かせて
私のガーメント・バッグへ手を伸ばした。


ドゥーディ

「持つよ」



フレデリック

「そうか、ありがとう」



ドゥーディ

「ワタシが兄貴と交代で運転するからさ、
オマエさんは明日に備えて
英気を養ってたら良いよォ。
大舟に乗ったつもりでさ」



フレデリック

「?」



ソー

「早かったな、フレ。
喜べ、
ダズとドゥーディが
キャンピングカーで俺達を
テザーキャストまで送ってくれるんだ」



フレデリック

「まじで?!」



ソー

「まじで」


 せずして頓狂とんきょうな私の声に
答えた三人の声がそろい、
四人は顔を見合わせて笑った。
一昨年まで同年代の中で
指折りの不良少年だったダズは、
不良行為の限度と節度というものを
年少者にその背中で語り、
我々にとって
地域で最も信頼の置ける
非血縁者という存在になっていた。

 四人の震える肩が落ち着くと、
我々より四歳上のダズがゆるんだ頬のまま
私へ慈しみ深い眼差しを向けた。


ダズ

「良ォく決断したな、フレド。
俺がこんな事言ったのが
バレたらしめられちまうが、
フィールズはまだ後三年は
彼処あそこに縛られて
荒れ続けるからナァ、
離れられるほうが離れてやンのが
互いの為なんだナ」



フレデリック

「そうか……そうだな、
彼奴あいつも離れられない・・・・んだったな。
同じ歳で同じ加護を受けてる
ダズが『大人』だから忘れてたよ」



ダズ

「くくっ、まァ、
俺ァお袋も叔父さんも同じ(略:加護)で
先達に事欠かなかったからだァナ。
あと、
やっこさんだってセーリングなんて
ずっぷり加護に浸かった趣味
一つに絞ったりしなきゃ、
ああまでいらつきはしなかったはずだァナ」



フレデリック

「なるほど?」


 ダズと我が下の姉フィールズが
加護を受けた東風の精霊は、
防人さきもり神殿を交代で預かる
風の大神につかえる聖霊せいれいで、
八年毎に発生する
特殊な暴風雨で東西が交代して
やっと八年間の自由を得るのだそうだ。
縛られる間は、
此処ここ辺りでは穏やかな
北風にさえも前進を阻まれるが、
自由を得た時の加護は凄まじい程で、
風に乗るスポーツは
例え逆巻く風が必要でも
意のままになるという強さで、
この当時は
西風の精霊の加護を受けた連中の天下だった。
その昔、
東西の風が無秩序に吹き荒れては、
我々ヒューマン含む龍や動物や精霊や魔物、
生きとし生けるものを漏らすことなく
平等に翻弄ほんろうし傷付けた時代をて、
生き物総出で調査にあたった末に建てられた
防人神殿で結ばれた協定なのだそうだ。
恒星からの灯りを
うまり入れて増幅する事で
秩序を得られたのだと科学者は伝える。


ダズ

「三人とも何か食えよ。
テザーキャストまで
休憩無しで二十五時間だが、
急がないらしいから休み休み、
そォだな、
明日の朝九時頃に着くよう
行こうと思う。
フレド、どうだ?」



フレデリック

「どうって……
全く見当もつかないから任せるよ」



ダズ

「了ォ解」


  我々の地元トテュフォードから
テザーキャストまでは千五百キロ程だから、
以前の無法時代なら
時速百キロで十五時間飛ばせば着いたが、
神々や生き物達との協定で
我々ヒューマンは
彼等が言う所の
『乱暴な鉄の化け物』を利用する時は、
たん』や煙を吐かせない事と、
時速六十一キロ以上を出させない事と、
共通道路交通法を
厳守させる事とを誓約している。
蒸気が当たって火傷やけどしたり、
排気ガスが様々なものを汚したり苦しめたり、
衝突死したり轢死れきししたりと、
散々我々に迷惑を掛けられた
一時代をてもなお
穏便に求められた協定だ。
時速六十キロが、
共通道交法を互いに守った上で、
彼等の対処できる最高速度なのだそうだ。
スピードリミッターで
厳格に制御された電気自動車や燃料電池車、
自転車、電動自転車、電車等が
我々の文明のすいらした
陸上移動手段だ。
隣の大陸に居る
大型俊足動物のほうがはるかに速いが、
彼等は身体能力的理由と本能的理由で
何かにぶつかるという事が有り得ないから
対象外という訳だ。
リミッター解除工事は簡単だが、
種族戦争を引き起こしかねない
大罪なので残忍な刑が決まっている。
この世はヒューマンが回している訳ではなく、
他の種族の都合も抱いて回っているという
理解が浸透して、
遅刻に関して人々は寛容だ。
そして法は、
どんなに優れた魔法を使っても
精霊と聖霊や神々の眼をあざむけはせず
遅かれ早かれ白日の下にさらされるから、
刑を覚悟の上でしか犯されない。
ちなみに、
生きたまま九日を掛けてなぶり殺される
最高刑を覚悟した者は、
道交法が整備されてからこの日まで
約八十年の間一人もいない。

 ダズは我々に
温かい消化の良い食物を差し出すと、
大きな保温ジャー二つを持って
再びカウンターに並んだ。

 ドゥーディが隣に座って
喜びを満面に表したまま
私とソーを交互に見遣みやる。

 彼等兄妹きょうだい
後輩の世話を焼くのが
三度の飯より好きだと
聞いた事があったからなのか、
多くの同年代の女性に対してき上がる
私の嫌悪感は完全になりをひそめていた。


ドゥーディ

「途中で温泉に寄ろうな。
すンごい良い
日帰り湯が有るンだよ」



フレデリック

「温泉かぁ……
うれしいよ。
そもそも今日は
風呂ってだけでも
有りがたいんだけどさ、
キャンピングカーも日帰り湯も……
あんた等に初めて聞いた時から、
もう五年?
ずっと憧れてたんだ……ッ」



ドゥーディ

「そォか、そォか、
そォだったンか。
帰ってくんのが
十年後ンなったって
何時だって
何度だって
乗せて連れてってやるからさ、
今回は身体を休めるンだよォ?」



フレデリック

「ん、
あり……がとう……」


 私は心を許している相手に、
そういった態度や言葉を表す事が
自然にできなかったのだが、
この時はほろりと口がほどけて
しみじみと感謝と憧憬どうけい
言葉にしていた。

 後で聞いた話では、
普段動じないように見えていたという
私の様子に一瞬驚いたそうだが、
ドゥーディはしきりにうなずいては、
たかぶり涙ぐんだ
私の背をさすってくれた。

 夜食と用足しが済むと
いよいよ憧れのキャンピングカーにいざなわれた。
手洗と貯蔵庫と続いて、
早速運転席上の
二人が寝転がるのに丁度良い広さの
寝台に案内された。

 ソーと私に脱がせた
靴と靴下をバスケットに入れさせ、
運転席裏の長座席を寝台に組み直しながら
ドゥーディが心底申し訳なさそうに眉を下げた。


ドゥーディ

「運転前にワタシも寝ときたいからさァ、
悪いけど
オマエさんは寝付けなくても
静かにしてておくれなァ?」



ソー

「了解。
つか、
さすがに俺達ももう眠いや。
なぁ?」



フレデリック

「ああ、今日はもう……
うん、寝かせてもらうよ。
おやすみ」



ドゥーディ

「ほいさ、おやすみ」


 清潔な毛布のりょく曜日の香りと
――下の姉フィールズと
下の妹フュルスナが発端の
柔軟剤闘争の結果、
我が家では家政師の通う平日は
各曜日毎に
柔軟剤を変えてもらう習慣になっており、
曜日はゼラニウム・
せき曜日はサイプレス・
せい曜日はアップルミント・
緑曜日はラベンダー、
各々がメインに
調合されている物を使ってもらっている――
同じ清廉なラベンダーの香りに
私は力強く眠りの沼底へ引き込まれ、
気づいた時には温泉に到着していた。


ドゥーディ

「おはよう。
良ォく眠れたみたいで良かったよォ。
日帰り湯だけは絶対に
起こしてやンなきゃいけないと思ってなァ」


 何とあれから十八時間経って
現在二十一時で、
既にテザーキャストに最も近い
温泉地であるズィゴーキュまで来ており、
五回の休憩で毎回、
三回目以降はかなり強目に起こしたが、
私は界狭間かいはざまでも渡っているかの
無反応りだったのだそうだ。

 友は三回目で起きて、
休憩の都度つど
私が喜びそうな
実用的な土産物を手に入れてくれていた。


ダズ

「腹ァ減ったろ?
ぶっ倒れかねンから
先に軽食にしようなァ。
がっつり食うのは
風呂の後に一時間休憩してからだァぜ。
二十六時(=零時)まで居られるからなァ」


 貸し湯浴み着を纏った混浴露天風呂や、
貸し浴後着を纏った休憩室で、
我々は二人に乞うて
旅と家出の心得や注意事項、
人付き合いの秘訣等を指南してもらった。
車に戻る時間はあっという間に訪れ、
ドゥーディの運転する車内で一眠りすると、
朝食時にはダズに集中講座を再開してもらった。


ダズ

「あとはァ……
そうだなァ、
初対面の相手にゃ、
どんだけ第一印象が悪くっても
敬意を忘れねェこったナ」



ソー

「ゲ……何で?」



フレデリック

「え……難しすぎる」



ダズ

「難しいがナ、
お前さん等は何れ対人商売するだろ?
そン時の為だァナ。
今から癖つけとかなきゃァ
付け焼き刃は直ぐ看破られちまわァナ」



ソー

「あー……なるほど」



フレデリック

「そうか、そうだよな」



ドゥーディ

「あはは、
それもあるけどさぁ、
あとはさぁ、
わたしらガキ共が抱くような
第一印象なんか
アテにならないからなのさァ!
この兄さんだって
まだケイケンソクってやつが足りなくって
しょっちゅう勘を外してるからねェ。
第一印象で嫌って、
コッチの事も嫌わせちまうんじゃ、
人生勿体ないだろォ?
本当に、
一個も、
良いトコの無いヤツなんて、
そうそう居ないからねェ!
さ、着いたよ」



ダズ

「ヘヘッ、そーゆーこった。
出会って即
敵に回さないってのは大事だァナ。
連絡方法は覚えたな?」



ドゥーディ

「のっぴきならなくなる前に
風信子鋼ひやしんすこうの先生を
(ジルコン:ドゥーディの加護精霊)
寄越すンだよォ。
きっとヴァン・ライフ仲間に
渡りをつけてやるからねェ」



ソー

「ありがとう!」



フレデリック

「ありがとう!
本当に助かったし、楽しかったよ」



ドゥーディ

「良かったよ!
じゃぁなぁ!」


 見送ってくれた
ダズとドゥーディを振り返る事もせず、
我々は幅広く緩やかな斜面を
一目散に駆け上がった。
保護者としか来た事の無かった、
それも一度しか来た事の無かった、
空と海の両方の港を持つ、
ミュツール共和国この国最大の出入口ともいえる
テザーキャスト駅の巨大なアーチを潜った
我々の胸は弾んでいた。

 眼前の海路空路陸路れも選べ、
何処どこへでも行ける
巨大な世界地図に、
可能性が無限に広がるさまを夢想したのだ。

 ずらりと並んだ総合案内端末の
端の一台へ駆け寄って起動させると、
希望があれば遠慮なく申し出る友が、
頬を紅潮させ
瞳を輝かせて私に問うた。


ソー

「さァて、何処どこ行く?」



フレデリック

何処どこ行こうな?」


 咄嗟とっさに応えたものの、
冷静に思い返すと、
私がガーメントバッグに掛けたスーツは
二着とも夏物だったし、
スーツケースの中も
夏物しか入れてはいなかった。
怯えと怒りと憎しみに満ちた
暗く冷ややかな日々と訣別けつべつするに当たって
無意識下で
現状と正反対の環境を求めていた事は明白で、
私は慌てて言葉を継いだ。


フレデリック

「済まん、
夏物しか持ってない。
どうやら昨夜ゆうべの俺は
北半球か赤道下辺りに
行きたかったらしい」



ソー

「ぶはっ、ははは!
お前もか、俺もだ。
じゃあ、
そうだな……
誰かに会いかねねェ
別荘地を避けて、
暑くて安全が確実な所、
何処どこか思いつくか?」


 二人で交互に幾つか地名を挙げながら
我々の音声に反応して
自動で端末に映し出される
主要観光地を眺めていた所で、
母の気に入っていた幾つかの
赤道下の採石地の中で、
唯一父も気に入っていた
町の名を私は思い出した。
野趣やしゅに富んだものが好きな母とは異なり、
できればどんな時でも雅致がちを失したくない
父の好みが私には合っていたから、
機が熟したら
最初に行ってみたいと思ったのだった。


フレデリック

「思い出した!
セトフォルドだ、
ストュスアイ王国ストュスアイの。
俺達みたいな
坊々ぼんぼんでも大丈夫そうだった。
ウチの親父が気に入るくらいだから」



ソー

「フォル・ダドが?
ならきっとアタリだろう。
行こう!」



フレデリック

「行こう!」


 我々は夫々それぞれ五百万程の貯金を持っていたが、
金持ちの家の世間知らずの十七歳の子供らしく、
生活費というものが
幾ら掛かるものなのかすら知らず、
先行きを全く見通す事ができなかったので、
星の裏側近くに位置するセトフォルド到着まで、
五日で最安値でも百八十九万レイトの
空路を選択する訳にはゆかず、
三ヶ月掛かる海路の
最安値百万レイトの船旅を選択した訳だが、
翌日には
船客の九割を占めていた
出稼ぎ労働者と混同されて、
ヒューマンの添乗員と
馬獣人の出稼ぎ労働者取りまとめ役の勘違いから、
一年契約採石労働者名簿に組み込まれたお陰で、
少なくとも一年は金の心配が無用となった。

 二段寝台・茶十八種飲み放題・
三食主食と野菜付き五等室の客は、
各々無料で貸し出された
釣具で釣り上げた海棲生物を、
甲板に設えられている
無料バーベキュー・スペースで、
これまた無料で提供された
調理器具と調味料で調理して
各自メイン・ディッシュに充てるシステムで、
料理の得意な我々は、
次第に親しくなった者達から
調理を引き受けるようになり、
同時に何らかの対価を得られるようになった。

 十一月に目的地に着いた時点で、
一年も拘束されて働く理由はとかれると
『面白そうな人生経験になりそうだから』の
唯一言ただひとことに尽きる程度には
小遣いを稼げていた。

 作業の合間に
ソーを見初めて大騒ぎしたコランダム三つを発掘したり、
此等これら
私に身を委ねたいと申し出た
幾つかの原石について現場監督と交渉したり、
幾つかの原石の声を採掘管理人に伝えたり等、
期せずして
『宝石商の現場見習い』を履修する一年を経て、
翌年十一月に晴れて
二百五十二万レイトと幾つかの原石と自由を得ると、
二人で観光地寄りの地区に見つけた
二人暮らしにあつらえ向きな小奇麗なアパートが、
我々の誕生日と同じ部屋番号七一一だったので
即決で借りて、
寮から真っ直ぐに移り住んだ。

 一年間の勤労の反動で
怠惰に日々を浪費していたが、
十九歳の誕生日を目前にして、

入院していた
大好きな祖母御のホスピス退院宣言を機に、
宣告された余命数ヶ月を
一緒に過ごす為に、
マリエラセス暦四〇一〇年七月二日せい曜日
ソーは空路で帰国した。

 帰国するなら
隣町へ住居を移したがっている下の妹と
一緒に暮らして面倒をて欲しいと、
家出前すら滅多に接触してこなかった
上の姉フォリエラが
加護精霊を寄越してまで連絡してきたので、
私は急遽帰国を中止した。
ソーの母御がうちの母に
ソーが帰国すると話しているのを聞いて、
同行した私も帰国するだろうと踏んだ
――黙って迎えて
なし崩し的に騙し討ちするタイプの――
他の姉妹が企んだのを、
長姉が事前依頼という体裁をとって
警告を寄越してくれたという訳で、
私はフォリには今件でいたく感謝し、
以降態度を軟化させたのだった。


(第二話:家出:了)

【船上での思い出】
フレデリックとソー
【船上から】



宜しければサポートの程、お願い申し上げます。 頂戴したサポートは、 闘病生活と創作活動に充てさせていただきます。 スペインはグラナダへの長期取材を夢見ております。