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選択肢を狭める教育で成長してきた国:日本

おはようございます。Swiftもしくはtypescriptのエンジニアが見つかるまでnoteを辞めれない、カラバトの清原です。note7日目です。

今日は少し書き始めるのに苦労しました。僕はnoteを書く際にタイトル決めに1番多くの時間を使っています。(恐らく60%ぐらい)逆にタイトルが決まれば本当にすぐ書くことができるで、時間がある朝にパッと今まで書いてきました。ただ、今日は書き方によっては良からなくことが起きそうだなと思い、慎重に考えながら書いたので、時間を要してしまいました。

さて、今日のタイトルは「選択肢を狭める教育で成長してきた国:日本」です。少し難しいトピックですね。

日本は明治時代から急激に近代化が進み、第二次世界大戦の敗戦後でも、成長し続け、世界3位の経済大国にまで登り詰めました。

僕はその大きな要因は国による徹底した、選択肢を狭める近代教育の方針があると考えています。

明治時代から続いている日本の近代教育は徹底的に学生が選択肢について考えることを削ぎ落として来た印象を強く受けます。そして、管理者(教師)が圧倒的に管理しやすい、管理者に反抗することが出来ない仕組みを作り上げたのが、近代学校教育の功績であると思います。

例えば、学校の朝会や運動会、体育の時間の時に、「整列!気を付け!前に倣え!休め!」(背の順か出席番号順で並ぶ)や、体育座りとかを「管理者(教師)」に徹底させられた記憶が日本で学生をしていた方ならありませんか?

これは考えてみると恐ろしく異常なことで、管理者(教師)が徹底的に生徒の「好きな友達と好きな場所で一緒に座る」「自分の好きな座り方で座りたい」という選択肢(自由)を奪い、管理者が指定した一つの並び方、座り方のみが許される教育が施されていますよね。

ただ、これは良く言えば生徒は朝会の時などに40人もいるクラスの中から、学校全体で500人を超える人数の中から、誰と一緒に座るのか、という選択肢がなくなるので、考えずにすむので生徒にとっては楽という印象を抱くかもしれないです。(ただ、これを楽と思わせるのが僕は日本の近代教育の目的だと考えています)

また、他の例だと、偏差値と一発勝負のセンター試験によってほとんどの場合、進学する大学(もしくは中学、高校)が決まる超効率化が図られた自動学生分配システムです。

近代教育の管理者(教師)は学力を偏差値という数値で生徒を区別し、彼らのその後の人生を決めようとします。実際、生徒は自分の偏差値に近しい所に行くわけでそこに様々な選択肢があるというよりかは、この偏差値ならこの大学(中学、高校)にいけるだろうという受動的に近い決め方だと僕は思います。これも選択肢が狭まって考えるのが楽ですよね。自動的に自分が行けそうな大学が決まる訳なので。

また、その大学受験の第一関門と言われるセンター試験が一発勝負で決まるというのもすごく恐ろしいです。殆どの大学はその一発勝負の結果を元に足切りします。もし届かなかったら、また一年浪人するか、他の"滑り止め"に行くのでしょうか。ここにも、日本の学生には選択肢がありません。

ちなみにアメリカでは日本のセンター試験に値するものが2種類ほど(SAT,ACT)あり、一年の間で複数回何度でも受けることができます。また、別に高校3年生の時でなくても1年生の時にでも受けることも出来ます。

何のためにこのような選択肢を省く教育が今日に到るまで施されているのでしょうか?

僕は「管理下において高いパフォーマンスを出し続けることが出来る近代労働者養成のため」だと思います。日本は急激な近代化や戦後の復興を国の威信を国が持っているリソースを総動員して取り組んでいました。その中で、国民が色々選択肢を持って、あれやりたいだ、これをやりたいなどと自由に動いてしまったら国を一つに近代化を推し進めることはできないですよね。

昔だったら、天気が悪かったり、気分が乗らなかったりしたら働かないこともできたし、村で小さく、食うに困らない程度に働いて、あとはのんびりすることもできたのでしょう

近代化に向けて日本は、どんな状況下でも働くことが出来て、管理者に抗うことなく、集団行動や規律を乱さず、安定かつ大量な生産を担える労働者の育成が必須でした。

その近代労働者育成こそが今に続く近代学校教育の最大の目的です。このように選択肢を出来るだけ多く与えないように、国の利潤が最大化になるような人材配置が出来るように、徹底した近代教育が施されていたのかもしれないです。また、その人材配置に「意義」や「意味」を見出しくれるのも管理者(教師)でした。

ただ、今までそれが出来ていたのも、日本が成長期にあったことが主な理由だと思います。自分が労働した分だけ、自分も豊かになるし、周りも豊かになる、そして、社会がどんどんと変わっていくのを目の当たりに出来た時代だったからではないでしょうか。

他の皆さんが良く言うことの繰り返しですが、今日本は経済的に成熟していて、人口も今後大きく減っていきます。そして、近い将来、今まで近代労働者が担ってきた多くの労働がAIなどによりどんどんオートメーション化がされていくことでしょう。 そんな時代の流れにおいて、既存の"近代教育"が与えてくれる少ない選択肢の中から何か選ぶのはかなりリスクが伴うと思います。

考えるのって面倒くさいですよね。何も考えずに、管理されたまま、それなりにお金ももらえるなら、そっちの方が楽で良さそうですよね。ただ、僕はそれでも選択肢は多ければ、多いほど良いと考えています。(選択肢が多すぎて優柔不断になるのは良くない)

例えば何かやって失敗するにしても、自分はこの選択肢しかなかったからと他責に何かを恨み続けるよりかは、何か多くの選択肢の中から自分で選んだ上での失敗だったらそっちの方がダメージが低い気がします。あと、結局選択肢が多ければ、他にも色々とできることがたくさんありそうです。

またも、長々と書いてしまいましたが、僕はこの現代において、今だに選択肢を狭めるような明治時代から続いてるような近代教育を施してるような学校がまだ日本にあるのならば変わる時が来たのではないかとこのnoteを通じて伝えたいです。

あとエンジニアさん!!! 今のカラバトは成長期ですよ!! 頑張った分だけだけ、自分も豊かになるし、ユーザーも豊かになる、そして、社会がどんどんと変わっていくのを目の当たりに出来ますよ!!! うちにきてください!! 選択肢の一つとして、超始まったばかりの極小スタートアップもありだと僕は思いますよ!!!! メルカリとかもすごいけど!!

-------最後に--------

僕は偏差値、学歴レースでは勝つことは絶対に出来ないと悟って中学二年生の時以来海外に出た人間です。そして、そのまま高校卒業後すぐに起業しています。だから、もし現役の学生さんや日本でずっと学生をやられている方でこのnoteに違和感を感じましたら、ご意見を頂けますと幸いです。(無差別な攻撃コメントは怖くて泣いちゃうので愛がある議論を重ねて行きたいです)

最後まで読んでいただきありがとうございました。シェア、コメントなどしてくだされば嬉しいです。





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