見出し画像

12月10日「シェルター」

住んでいる部屋の裏側に小さな丘がある。丘の上にはベンチがあり、最近はそこに座って紅茶かコーヒーを飲むのが好きだ。早朝の太陽が登ってくる瞬間、追われる時間から逃げてきた昼下がり、夕方を越えて暗くなるまでの肌寒い時間。「そんな自由、今だけだよ」と言われたことを思い出す。

田舎と呼ばれるにふさわしいこの街の空はとても広いのに、ほとんど毎日曇っていてもったいない。それでも晴れている日は、飛行機が白い尾を引いて空の低い部分から上っていくのをよく目にする。ここは、大きな大きな国際空港の近くに位置している。

あの白い機体に何人もの人が乗っていて、永遠に知ることのない彼らの人生を想像する。これからどれくらいの時間をかけて、どこに行き、誰に会うために、何をするために、どんな気持ちで?

そして気がつくのはこの5年間、わたしもまた彼らであったということで、座り心地の悪い座席に座りながら、期待と絶望、それと少しの眠気にいつも包まれていたことを思い出す。絶望の比率が少しでも大きいとき、暗くなった機内で誰にも気づかれないように静かに泣いていた。

そうやって丘のベンチに座っているとき、何かを深く考えることはあまりなくて、大抵は思考の表面をさらさらとなぞっている。みんな右脳と左脳のバランスを、どうやって取っているんだろう。最近のわたしは自分でもわかるくらい考えることを放棄しているみたいで、そんなときロジカルな人と話すと自分の情けなさにただ恥ずかしく悲しくなる。

だからわたしはこうやって、自分を守る場所と時間を作り、最近よく聞く「最終的に達成したいゴールから逆算して導く直近の未来」をぼやぼやと思い浮かべたりする。ぼやぼやと、そんな未来は、本当にあるのだろうかと。

*

空の色が好きだ、特に曖昧な時間帯の。更に言うと、曖昧なものが好きだ。なにかとなにかが混ざり合ったものの、その間。

人々が動き出す時間の少し前、丘から見る朝焼けは、オレンジ、紫、ピンク、赤、白、金色、水色。そうやってはっきりと認識できる色々の間を繋ぐ曖昧な色が、何色であるのかをずっと見ようとしていたけれど結局わからなかった。わからないけど、それらをとても好きだと思った。

*

たまにどうにもたまらなく泣きたくなる。泣くという行為はなんの解決にもならないけれど、いつも少しだけわたしを救ってくれると思う。でも自分は恵まれ過ぎていて、そもそも泣くことなんて許されないのだ、とも思う。

そういえばわたしは、人前でよく泣く子どもだった。うまくいかなくて、思い通りにいかなくて、構ってもらえなくて寂しくて。理由は全部そんな感じだった気がするけど、そうやって好きなように泣けることは、きっと幸せなことだった。周りにとっては、ただの迷惑だったとしても。

最近はなにかが許してくれないと、泣きたくても泣けなくなった。きっとそれぞれが密かにもつ、もやもやした見えない感情と対峙しなければいけないとき、言葉や音楽や、その他のなんでもいいけれどそういう、見えないものを見えるようにしてくれて、尚且つわたしのなかのダムを壊してくれるようなものをずっと常に探している。そして最終的に、打つ手なく決壊してしまうのを待っている。

*

夕方と夜の合間に、丘のベンチに座っていた。その日はとても寒かったけれど、曇ってどんよりとしていた空気を、夜が侵食していく様子を見たかった。最近は気がついた頃にはいつも、あたりが真っ暗になっていたから。

灰色だった空が下の方から、青に塗り潰されていく工程を静かに見つめていた。そんな時間に居合わせたのは初めてか、思い出せないだけでとても久しぶりだった。空にはその二色と、目を凝らしてもよくわからない、中間の曖昧な色しかなかった。そしてやはり、それを好きだと思った。

好きな曲を集めたプレイリストをシャッフル再生していた。そのときちょうど流れた曲が「Blue & Grey」という曲で、出来過ぎていて少し笑ってしまった。後にこの曲を作った方のインタビューを読んだとき、わたしが欲しかったのはこれだったのか、とも思った。必要なものを必要な時に見つけた感じがした。

誰かが落ち込んでいる時、どうしたらいいか分からない人に「頑張って」と言うより、「最近、落ち込んでいるね」、「最近、頑張ってと言われても、頑張れない状況なんだね」と言ってあげた方がいいじゃないですか。「Blue & Grey」も同じです。「いま落ち込んでるよね、僕もそうなんだ、僕たち一緒だね」、「僕が今、君の気持ちを話してみようか。君は今、幸せになりたいんだよね。目まぐるしい中、何かが波のようにずっと押し寄せてきてるんだよね」といったことを伝えたかったです。

しんどいと言うことが、大人になっていくにつれてなんだかとてもよくないことだったり、構って欲しいだけみたいで恥ずかしかったり、でも本当はそうじゃないのになと思っていた。心配されたいわけでもないし、かといって「みんな同じように辛いんだし、あなたのその悩みなんて、比べてみればちっぽけなものだよ。」みたいな言葉には辟易としていた。なにと比べても、わたしの気持ちがいまこうしてあることは、事実として変わらないのに、と思っていた。

きっとただ、認めて欲しかった。それでいて、許して欲しかった。自分がなにをしたいのかわからないこと、どうしたらいいかわからないこと、何でかわからないけど、最近全然頑張れないこと。甘ったれで弱くて悲観的でポエミーでめんどくさい自分も、存在していいということ。

そうやって、濡れた顔に少しだけ吹いていた冷たい風が当たって、指先が悴んで、わたしのなかのダムは少しだけ平穏を取り戻して、飲んでいた紅茶はすっかり冷めてしまって、夜がとっくのとうに始まっていた。小さな丘に開けた空、そしてそのベンチはシェルターなんだと思った。きっとこれからこの街を去るまで、わたしは何度でもこの場所と時間に、抱きしめるように守られるんだろうなと思った。






この記事が参加している募集

#この街がすき

43,653件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?