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吉祥寺三丁目の夕日 5. ウィンナ・ワルツは踊れない・・ 遠くて近い小澤さん

 日本から世界に飛び出した指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。上の写真は、それを伝えるニューヨーク・タイムズの一面です。小澤さんの死は世界で伝えられ、吉祥寺三丁目からは、ちょっと「遠い」存在だったかもしれません。しかしテレビを含め、素顔に触れたことがある人はおわかりの通り、誰にでも「近い」距離感を抱かせる人でした。

小澤征爾さんのインタビューで

 小澤さんが2002年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートで指揮をする直前、私は、プロデューサーとして、東京での小澤さんのインタビューに立ち会いました。多忙な小澤さんは、二つのインタビューに連続して対応するとの事で、わざわざ2種類の服装を用意して下さいました。その合間に小澤さんは、「ちょっと暑いから一回りしてくるワ」と言って、上着を脱ぎ、(下着の)シャツのままインタビュー・ルームを抜け出し、何と、放送局の正面玄関周辺をグルッとまわって戻って来たのです。「じゃぁ、次、やりますか」・・・きっと、正面玄関にいたお客さんは驚いたに違いありません。いや、まさか、あのシャツでウロついている怪しげなオジサンが、世界のオザワだと気づいた人は、意外と少なかったかもしれませんが。

ウィンナワルツは踊れない・・

 その時、小澤さんは、まさにウィーンに乗り込む直前でした。しかも、まもなく世界最高峰、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になることも決まっていました。あの、音楽の都ウィーンで、あのウィンナ・ワルツを指揮するなんて、さすが世界のオザワ!
 しかし、ウィンナ・ワルツ独特の3拍子の話になった時、「実は、ウィンナ・ワルツは踊れないんですよ」と告白してくれました。

ニューイヤー・コンサートのCDジャケット ©Decca Music Group Limted

 しかし、その数日後に行われたウィーンからの中継で見たニューイヤー・コンサートでは、ウィンナ・ワルツが体に浸み込んだ名プレイヤーたちに、小澤さんは相変わらず細かな指示を出し、素晴らしい演奏を世界に届けてくれました。映像では、ウィーン国立バレエの素晴らしいワルツが挿入されていました。また、この時のCDは100万枚を超える大ヒットとなったそうです。ま、確かに、踊るのと、指揮するのは別か・・目からウロコの発見でした。

イタリア・オペラでは、ブーイングも

 冒頭のニューヨーク・タイムズの記事には、オペラでブーイングを浴びた事も書かれていたました。小澤さんは、特に晩年、オペラを振るのが大好きでしたが、実は育った環境は、やはり日本人であり、オペラには、あまり縁が無かったようです。ブーイングを浴びたのは、プッチーニ「トスカ」。しかも場所はイタリア・オペラ独特の歌いまわしが体に浸み込んだ客が通う、ミラノ・スカラ座でした。それでも小澤さんは信念を貫き、ウィーン国立歌劇場の総監督を務めあげ、数々の名演を残しました。

遠い音楽を近くに引き寄せる力

 小澤さんは、ベートーヴェンやブラームスといったドイツ物はもちろん、ウィンナ・ワルツ、イタリア・オペラと、日本人の生活感覚からは「遠い」と思われた曲も、天性の音楽性と努力で「近く」に引き寄せ、ついには自分のものにしてしまったのです。今の若い日本人アーティストでクラシック音楽を「遠い」と思っている人は少ないとは思いますが、それでも小澤さんの活躍で、どんな音楽でも「近く」に引き寄せる事ができるという自信につながったのではないでしょうか。小澤さんから感じられる距離感の「近さ」は、日本人とクラシック音楽の距離をも、縮めてくれた気がします(冒頭のニューヨーク・タイムズは、クラシック音楽の方を「変えた」と言っています。その相対的な位置は、時代や立場によるでしょう)。

 ちなみに最初にご紹介したインタビューの現場。小澤さんは電車に乗って、駅からは歩いて来たと言っていました。翌週には世界のひのき舞台に立つ、あのマエストロが!この距離感の「近さ」が、世界中の音楽家、音楽ファンを魅了したのかもしれません。
 吉祥寺三丁目でヴァイオリンをかついで教室に通っている子供たち。そしていろんな夢を持っている子供達。世界に臆することなく頑張れば、意外と「世界」は君たちの身近にあるのかもしれない。それを小澤征爾さんは教えてくれました。


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