体験を共有することーー「明るい地上には あなたの姿が見える」
水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の内藤礼さんの個展「明るい地上には あなたの姿が見える」へ行ってきました。
会場が混むであろう三連休のど真ん中にはるばる出かけて行ったのは、視覚に障害がある人との観賞ツアー「セッション!」に参加するためでした。ツアーを通して、見えること、伝えること、美術作品を観賞することについて多くの気づきを得られたので、書き留めておこうと思います。
参加の理由
空間を満たす光と、ともすると見落としてしまいそうな繊細な要素の構成で創られるインスタレーション作品。学生時代に小さなギャラリーで内藤礼さんの作品を見て以来、いつか個展をみてみたいと願い続けていました。
内藤さんにとって過去最大規模にして初の自然光のみによる展示が水戸芸術館で行われると知り、意気込んで企画展のページを見ていたところ、こんな関連プログラムを見つけました。
私は普段、DTPやウェブのデザインをしています。
目下一番の関心事はウェブアクセシビリティ。コンテンツをより多くの人に・より良く伝えるために学んできましたが、障害をもつ方々とお話する機会はこれまでほとんどありませんでした。
目が見えない人は、世界をどうやってみているのだろう?
純粋な興味関心と言ってしまうと怒られるかもしれませんが、自分の大好きな現代美術を、視覚情報なしにどんな風に感じることができるのか知りたくて、迷わず参加を申し込みました。
art の alt ?
ウェブページでは、写真やイラスト、グラフなどの画像に「代替テキスト(alt)」という情報をつけることで、目の見えない人も音声読み上げ機能を通してそのイメージを得ることができます。
ウェブサイトを作るとき、記事を書くとき、発信者はその画像で伝えたいことを代替テキストに託すことができます。
それでは、美術作品ではどうでしょうか。どんな「代替テキスト」があれば作品を共有することができるのでしょうか。わくわくしながら水戸へと向かいました。
水戸芸術館のシンボルタワー。空に向かって銀色の三角形がらせんを描いたような多面体フォルムがかっこいい。
体験をあらわすことば
内藤礼さんの作品世界を直に感じることも今回の一大目的だったので、プログラムの前に、まっさらな状態で一人で展示を鑑賞しました。
そしていざ鑑賞プログラムツアー開始。
内藤礼さんのファンの人、美術館で働く人、盲学校の先生、美大生など、年齢も性別もバックグラウンドも様々な人が参加していました。視覚に障害のある方を中心に4〜5人のグループに分かれて作品を鑑賞していきました。
プログラムに参加するまでは、触覚や音やにおいなど視覚以外の感覚を使って鑑賞するのかなと思っていました。しかし実際には、私たちに与えられた共通言語は「ことば」だけでした。
日本の美術館やギャラリーでは賑やかなおしゃべりはNGですが、このプログラムでは大歓迎。作品をみて、その様子や感じたことについて自由に発言し、みえる人もみえない人も全員で会話をしながら進んでいきました。
「1〜2センチくらいのガラス玉がたくさん宙に浮かんでいます」
「細い透明な糸で、天井から連なってぶらさがっています」
「シャボン玉が止まっているように見えます」
「人がうごくと、風で少し揺れます」
「真っ白な部屋で、天窓から自然光が入ってとても明るいです」
「ガラス玉じゃないものがあります。銀色の鈴みたいなものです」
「1つだけですか?」
「1つ…のように見えます。あ、こっちにも1つありました!」
作者でも美術評論家でも言葉のプロでもない一般人ばかりなので、理路整然とした作品解説という感じにはなりません。作品と対面して、場の意識が向かった順にみんなで言葉を連ねていきます。何をどう言えばいいか、どんな言葉を選べば体感として伝わりやすいか、伝え漏れがないか、もっと手がかりはないかーー。
頭をひねりながらツアーをすすめていくうちに、見えること、伝えること、美術作品を観賞することについて様々な疑問が湧いてきました。
サイズや素材や光源など展示の情報をすべて正確に伝えたところで、果たしてほんとうにその作品を表したことになるのでしょうか。目に写っているものの何が心を動かしているのか、言葉にならない感覚をことばに起こしていくプロセスの中で、一人で鑑賞したときより、ずっと多くの時間と集中力をかけて作品と向き合うことになりました。
共有の時間
作品を鑑賞した後に、参加者全員で感想を共有しました。今回の作品鑑賞に関することから、目がみえない人の日常についての質問まで、ナビゲーターの白鳥建二さんを囲んで和やかにディスカッションしました。
日本各地の美術館で鑑賞ツアーをされてきた白鳥さんいわく、専門家の作品解説を聴くよりも、作品を前にした普通の人たちの会話が面白いそうです。美術的背景や技法などの知識は音声ガイドや文献からも得られるので、わざわざ誰かと一緒に作品の前に立つ意味も薄いです。それよりも、作品を囲んで感じたことをライブで交わし合い、いろんな人の見え方や言葉に発見を得ながらイメージを共有して行く体験は、みえない人だけでなくみえる人にとっても刺激的で楽しいものでした。
「目がみえない人はどんな夢をみますか?」という質問に対して、いつ視覚を失ったか、少し見えているのか、その人の持っている視覚の記憶、イメージの捉え方によって違うというお話も非常に興味深いものでした。
自分が見ている世界と隣の人が見ている世界は違う。けれど体験を共有して得られる喜びや発見はお互いにとって豊かであることを実感できる良いイベントでした。
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