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子どもの巣立ちを想像したら、今がキラキラして見えた。

長男は10歳。まだまだ全然可愛い。
そして、よく怒られる。
宿題に手をつけないまま、ゲームし続けて、
怒られる。
4歳の弟とブロックで武器を作り、戦って
泣かし、怒られる。
割り箸でゴム銃を作り、輪ゴムを床に散らかして、怒られる。

ふと目にした、Yahooニュースの記事で
「最後にわが子を抱きしめたのはいつ?」
というテーマで母親達のコメントを集めたものがあった。
小さな子どもの母親であれば「さっき」、大きくなってくると「小学生の時が最後」とか、「受験合格の時」などといったコメントが並ぶ。
記事の終盤、子どもが大学進学で親元を離れる時、
「最後に抱きしめたいと頼んで、『18年間ありがとう』と言われて、泣いた」
というコメントを読んだ途端、私も泣いてしまった。

そうだ、忘れていた!
子どもはいつか出ていくんだ!
そしてそれは、何なら割とあっという間に出ていってしまうんだ。もうターンを切ってるかもしれないんだ。

ああ、なのに、今日も昨日も、その前も、
怒りはしても、抱きしめてはいない!
ねーねー、と話しかけてきても、散らかった部屋が目について、「それよりも、これ片付けてよ!」だのと、話を遮ってしまった!
ああ、余計面倒くさいからと、ハンバーグをこねたがるのを、「今度にして」と、制してしまった!!

なんてもったいないことをしてるんだろう、私は。
あと数年、いや、下手したら来年にでも、子どもは反抗期を迎えて、私に話しかけてくれなくなるかもしれない。
ハンバーグを一緒にこねるチャンスなど、もう巡ってこないかもしれないというのに。

床に落としっぱなしのゴム銃の輪ゴムを踏んで、「ちぇ、こんなとこにまで輪ゴム落ちてる!」と、イラッとしたと同時に、
こんな風に、家の中に子どもの生活の痕跡が散らばっているのも、今だけなのか、と、
その輪ゴムが愛おしく、めんどくさい毎日が
キラキラと、宝物のように思えた。

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