がぞう1

自分で考える野球選手にするための王道

スシローーーーーーーーーー!

週末の外食、何を食べたい?子たちに聞くと必ずそうコールされる。子たちのスシロー愛は揺るぎない。イチローよりスシロー。三度の飯よりスシロー。将来、孫の名前はスシロー、そう確信してる。

スシローに子たちを奪われるのではないか?妻と二人、危機感を覚えるほど。そんなにスシローが好きならスシローの子になりなさい!と叱ったことがあるとか、ないとか。

焼肉、パスタ、フレンチ、色々ある。なのに、なぜスシローなのか…?

でも…最近気付いちゃったんだよね。スシローの秘密に。違う…なぜ子たちのファーストチョイスがスシローかに。

うち…スシローしか連れていってないんだよね。

家から近い、旨い、何より安い。だから子たちは物心ついたときからスシロー。生みの親が僕で、育ての親がスシロー。だから何を食べたい?と聞かれても、彼らはスシローしか知らない。スシロー以外の選択肢がないのです。寿司は回るもの。食べ終えた皿は10枚ずつ重ねておくもの。それが彼らの外食なのです。

なのに、またスシローかよ。スシロー以外ないのかよ、と言われても、彼らは全く響かない。「オラ南蛮のことは知らねー」と言う日本しか知らない
鎖国時代の日本人と同じなのだ。

で、ここから野球の話。

スシロー一択問題は、現代の小学生指導の問題のひとつとリンクする。自ら考える力を身に付けよ!とか、創造力をはたらかせよ!とか偉い人が言うでしょ?すると1から10まで教えてはいけない、ってなっちゃう。

でも、無い土をせっせと耕し、丁寧に種をまかず、愛情を込めることなく
水と肥料をやらず、芽を出せ、やりだせ あたまだせ、と、この世界の片隅で
叫んだところで何も出ない。出るわけがない。

アイデアは何もない部屋から生まれない。偉大な小説家たちの部屋は本が山積まれているでしょ?クリエイティブは雑然とした環境のほうが浮かびやすい。情報が入らないと考えも想像もはたらきにくいってわけ。

自主性を伸ばす、自ら考えさせる、気づかせる的なプロのコーチ論で小学生を教えるのは考え物。情報・経験値が違うもん。

やっぱり1から10まで教えなくちゃだめ。語らなきゃダメ。

知りたくば自ら来なさい、的な感じはしんどい。何を聞けばいいか、わかんないもん。40年連れ添う夫婦のように、1を言って10を知れは強引。ゴーイングマイウェイ過ぎる。

自ら発想し考える選手に育てるなら必要な情報と体験を提供し続ける必要がある。それが小学生コーチの仕事。親の仕事。

ついでに書くと、「型にはめるな」ってよく言うけど、型があるから誰でも一定のレベルで始められる。投げる時に右足を上げるべきか?左足を上げるべきか?考えていたら年を取る。型があるから自分なりの創意工夫が可能になる。

うっかりな僕は誰が言ったか忘れたけれど、型がある人間が型を破るから
「型破り」なわけで、型がない人間は「形無し」なわけです。

まとめるとね、上達は自分で創意工夫してく力が必要なんだけれど、そのための情報や体験は大人が提供する必要があるよ。という話。

ということで、今夜は「はま寿司」に行きます。


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