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ストーリーを手放して、被害者になることをやめる

朝、目が覚めた瞬間、昨日の記憶がよみがえる。

友達との会話のなかでの、何気ない言葉。

「お客さんがたくさん来る仕事だから仕事中はマスクするようにしてる。家にいるおばあちゃんにうつしちゃいけないから」。

ただ、それだけ。

その言葉を耳にした瞬間、会話の前後の流れもあって、ちょっとモヤっとチクっと傷ついた。
「もしかしてマスクをしていない私のこと、非常識な人間だと思ってるかな…」と感じてしまったのだ。

友達との会話はすぐに話題が変わり、最後まで楽しい時間が続いていった。それでもわざわざ朝に思い出すっていうことは、「やっぱり気になってたんだな」ということで、深堀り。

そしてその自動思考に気づいた瞬間、「しょうもない~」って、途端にどうでもよくなった。

それは、「他者にどう思われるのかが気になる」という思考。

人生において、他者がどう思うかより自分がどう思うかを大切にしようと思ってるし、他者を納得させて満足してもらうために生きてるわけでもない。

それでもやっぱり、「他者に認められなくちゃ」という自動思考がはたらくんだなあと、エゴと脳のシナプスを俯瞰した。

「他者に認められたい(認められなければならない)」って、根本的にはほとんど誰でも「お母さん・お父さんに認められたい(認められなければならない)」の欲求・観念からきているわけで、「そっか、そうだったんだな」って自分のなかのインナーチャイルドに共感する。

そして、認められたい気持ちの手前にある思考は、自分でつくりあげたストーリー。
「友達に非常識だと思われた」というストーリーは、決して真実ではない(さすがに深読みしすぎ)。

相手が感じ考えることは相手の領域のもので、相手の世界やそこにある背景について100%のリアルにはふれられない。

感情が動いた時は、自分がどんなストーリーをつくったのかを観察して、そのストーリーを手放していく。今回の例で自分が傷つくということは、「私は認められなかった」と思ったということ。だから、もうちょっと大きくいうと「自分は被害者だ」という設定をしたともいえる。だから、被害者になることもやめる。

これらの考察は、月並みだけれど「ありのままの自分でいい」っていうことにいきつく。相手が何を感じ考えても、自分の価値は損なわれない。相手の言葉や感情に影響されず、心地よい自分でいることを選択し続け、自分の価値をじゅうぶんに輝かせていく。そう決めたら、相手に向いていたフォーカスが自分に戻ってきて、エネルギーが湧いてくるから。日常の小さな出来事から、セルフラブを実践していく。


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今回の考察は、図書館でたまたま目にした「「怒り」がスーッと消える本」(水島広子さん)が役に立ちました。「自分のストーリーを確信しない、ストーリーを手放す」「被害者になるのはもうやめよう」などのお話が書かれています。それと、マドモアゼル・愛さんの著書「自分の素晴らしさに気づいてますか」のなかにある、「「傷つく」ということは、「自分の人生を他人にゆずること」だということを、私たちは決して忘れてはいけないのです」という言葉も思い出しました。どちらの本もおすすめ。


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