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コロナ禍で始めた外国語の勉強 - 英語以外の言語を身につけるということ

コロナ禍が2年目に突入した2021年の1月に、新年の誓いを2つ考えた。その1つが、

外国語を勉強する

というものだった。
コロナ禍で、海外に全くいけなくなったことの反動だったような気がする。
勉強しようと思った外国語は、中国語とスペイン語だった。
両方とも昔一度勉強したことがあり、簡単な会話くらいならできた時期があった。
この2つをもう一度自分の中で思い出してそこから更に知識を深めていこうと考えた。

中国語に関しては、会社のメンバーに話せる人がいるので聞くことができる。
スペイン語に関しては先生がいないので、前職の元上司で親友でもあるスペイン人に先生になってくれないかメッセしてみた。
彼の返事は、「う〜ん、教えたことないからなぁ、基本の基本だったらスペイン語でも、バスク語でも教えられるんだけど、」
という返事だった。

ん?、バスク語?

彼はスペイン人と言ってもバスク地方の出身でバスク語とスペイン語が母語であることを思い出した。「バスク語かぁ、いいねぇ」などと話していると、急に、じゃあスペイン語は自分である程度復習はできるからバスク語にして見ようかなと思い立ち、「じゃあ、バスク語を教えて下さい」とお願いした。
まずは、こっちでも日本語で読めるバスク語の本などを探していろいろ準備してから、レッスンをお願いできるようになったら連絡すると言ってチャットを終えた。

そこから、本を買ってまず自分で基礎を勉強してみることにした。
しかし、そこからなかなか勉強が進まないうちに半年以上が経過した。。

バスク語、スペイン語に似ているのかなと思ったけど、全くの別物の言語だった。

通常、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語などはラテン語をベースにしているので、文法や単語などに共通点がいくつも有る。ドイツ語やスウェーデン語にすら英語との共通点を見つけることができるが、バスク語はこういう共通点が全くない、完全に独自の言語だった。

英語であれば、主語 -> 述語 -> 目的語という順序になっていて、
これは他のラテン系言語も同じである。
I had udonのように
私 食べた うどん
という語順になる。

一方バスクは、主語 -> 目的語 -> 述語という日本語と同じような語順になり
私 うどん 食べた
という語順になるのである。

バスクの人は一体どこから来たんだろう。。。と不思議になる。

自分で買った1冊の超導入本を呼んでみたがイマイチ理解できているとは言い難い状態で、このままでは、学習が進まないなと思ったので、もう知識ほぼゼロでも、いきなりネイティブの先生の授業を受けようと思い、先述の元上司にレッスンを始めたいとメッセを送った。

そして、そこから、脳が苦痛に耐えかねて限界のシグナルを毎度送ってくるような授業が始まった。

バスク語、とにかく難しい。

前置詞がなく、目的語が語形変化することで前置詞の代わりをしたり、コピュラと呼ばれるB動詞と助動詞の両方の役割をするような存在のものがあり、こいつがバンバン活用形があって語形変化していく。
最初は気持ちは前向きなのだが、脳が限界のシグナルを送ってきて、授業中意識が飛びそうになることが何度かあった。

突破した壁

授業を受けて2ヶ月ほどした今年の2月、あるとき、急に壁を突破したような感覚があった。

脳が自動シャットダウンをしようとしなくなり、先生の言っていることに、50%くらいの確率で返答できるようになった。

また新しい文法を教わる時に、「あぁ、これはそういうことか」などと新しいことがすっと入ってくるようになった。

また活用形が増えるときに、「あぁ、またか、うわぁ〜」と圧倒されていたものが、急にいくら活用が増えても、「ふむふむ、またかね、いつでもかかってきなさい」というような精神状態になることができるようになったのである。

まだまだ精神的な壁を突破したようなもので、難解なバスク語文法の10分の1くらいがわかった気になっている程度のレベルであるが、独習を開始してから1年が経ってようやくバスク語の勉強が軌道に乗ったような気がした。

マイナー言語を勉強するメリット

バスク語をマイナー言語と言っては大変失礼だが、日本で勉強する人がほとんどいないような言語を勉強するメリットは確かに存在する。

100点満点のゲームではない

バスク語は、Amazonで検索しても英語とちがって単語集などの本は存在しない。単語集がないから、自分で少しずつ習った単語、調べた単語から単語集をつくる。

バスク語 ⇔ 日本語の辞書も存在しないので、習った単語、調べた単語が、原型なのか活用形なのかもわからない、わからないなりに自分で単語集を作るので、英語のように覚えるために単語帳を作るのではなく、研究のような要素がある。

英語を学ぶ時は、英検何級に受かる、テストで100点を取る、試験に合格する、TOEIC800点以上を取るなど、ゴールが明確に設定されていて、100点満点を目指すゲームになっている。間違った単語で単語集を作ることはこういうゲームでは自殺行為になる。

一方でバスク語では、このように見聞きしたことを拾い集めていって、間違っていたとしても1点づつ積み上げて行き、1点でも多く積み上げればラッキー、というゲームをプレイしている気持ちになれる。

今までの学習の概念を変えられる

また単語集の話になるが、今は見聞きしたりGoogle Translateで出てきた単語を活用などがわかっていないので、活用が入った形のままどんどん単語集を作っている。たとえば動詞の語尾のどこからが活用形なのか、これが原型なのか過去形なのか、はたまた別の活用形なのかはわからないがとにかくそのまま単語帳に書いていく、という英語の学習とは全く違った闇雲に前に進んでいく感覚が自分にとってはかなり新しい学習感覚であった。
バスクの場合、1つの単語が英語の何倍ものパターンで語形変化するので、まずは見聞きしたものを頭に少しでもいれて間違いはもっと理解度が上がった時点で自然にわかってくるだろう、というスタイルで勉強するようになった。これが早道で自分ができる唯一の道だと悟るまでに随分時間を要したが、この思考方法はもちろん英語などのメジャーな言語の学習法にも使えるのではないかと思う。

例えば、wolvesを「狼」の単数形だと思って覚えてしまったとしても、必ずどこかで、あれsが付いてるから複数かな、と考えたり、「wolf」に出会った時に、あぁ、こっちが単数形だったんだ、じゃあ今まで狼単数だと思っていたwolvesは「狼たち」だったんだとこの時点で結果的に単複両方の単語を身につけれられる。

このようにとにかく前進する学習法を身につけられたのがバスク語を勉強してよかったことの1つである。

これまでの人生で、育った環境によってではなく、自分で学習して3つ以上の言語を流暢に操るマルチンリンガルになった人に出会ったことが何回かあるが、もしかしたらああいう人の思考方法、学習方法はこういうことだったのかもしれない。もしかしたらすごく貴重なことを発見できたのかもしれないと思っている。

話したらすごいことになる

まだ僕はバスク地方に行ったことがないが、このままバスク語の勉強を続けていつの日かバスク地方に行き、現地の人にバスク語で話しかけたら向こうの人はびっくりするんじゃないかと思う。バスクではスペイン語も公用語なので、バスクの人はバスク以外のスペイン人とはスペイン語で会話している。バスク以外のスペイン人でもバスク語を話す人は殆どいないのに、こんな東洋の顔をした人間がいきなりバスク語を話したら必ずみんなびっくりし、そして、暖かく接してくれるんじゃないかと期待している。

昔、僕は一時期インドネシア語を勉強していた。バリ島にときどきサーフィンをしに行っていて、そのとき朝サーフィンをしてからは何もやることがなかったので残りの時間、インドネシア語を勉強していたのである。

インドネシア語はバスク語と違って文法もものすごくシンプルで、一番習得しやすい外国語と言ってもよく、1ヶ月くらい勉強していると、かなりのベーシックな会話ができるようになるのだが、英語ではなく常にインドネシア語で話しかけるようにしてからバリの人たちが毎回ものすごく笑顔で接してくれるようになった。

ある時、散歩をしていると近くの小さな神社から祭り囃子がきこえてきた。「お祭りがあるんですか?」とインドネシア語で門のところにいるおばあさんに聞くと、びっくりした顔をした後、満面の笑みになり僕を中に招き入れてくれて、座る場所を作ってくれた。中ではバリの踊りをやっていて、地元の人が楽しそうに鑑賞している。隣からアイスやコーラなどがどんどん回ってきて、夜がふけるまで僕はずっとそこにいた。

こういうことがマイナー言語を話すパワーである。

英語ではこうは行かない。僕は英語は昔から流暢だが、アメリカに言って英語でアメリカ人に話しかけても、だれも満面の笑みになったりしない。

アメリカ人やイギリス人にとって、英語は「話せてあたりまえ」であって、相当に気の利いたことや面白いことを言わないかぎりは、むしろこちらのアクセントを「へんな発音だなぁ、」というような顔をされながら渋々聞いてくれるといった感じである。

コロナが収束するまではしばらくバスクには行けないだろうが、バスクでも僕がインドネシアで体験したようなマイナー言語を話すパワーが炸裂してくれると期待している。

バスクはピンチョスというフィンガーフード発祥の地であり、世界一の美食の街と言われるサン・セバスチャンもバスクにある。

サン・セバスチャンの海辺のバルで、ピンチョスを片手に地元のおじさんにバスク語で話しかけて見た時のことを想像して、この難解なバスク語の勉強を継続していきたい。

こころが折れそうになるたび美味しいピンチョスやワインを頭に浮かべるのであった。。

つづく。




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