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私のアトリエ

アトリエの隅に
信頼できる機械があります。

DURKOPPという名前ですが
私と同じ1960年に製造されました。
ドイツからやってきましたが
・・・日本語の記載はありません。

取り扱いは、私と同じように
とても不便で、クセがあります。

それでも、美しいものを創りだす
この機械に、いつも感謝しています。

いまの機械は、電子制御ですが
この機械は、それをカムで補います。

1針の針目から縫い幅・・・
その都度、カムを入れ替え縫製します。

そんな頑固者ですが・・・
かゆいところに手が届き
最高の美しさに仕上がります。

この機材は、初代の仕様ですが・・・
ドイツ人らしい創造と知恵の結晶です。

私の人生、何度も機材を入れ替え
また手放す機会がございましたが・・・

このDURKOPPは、いつも最新機材を押し退け
工場の隅に居座っていました。

それは、作業効率ではなく
美しさが存在するからです。

この不憫という代償の価値を
次世代に伝えたいと思うからです。

素材の特性を理解しなければ
美しい仕上がりにならないこと

このDURKOPPから学んだこと
何度も試す中、美しく仕上がる仕様を
感覚という数値で理解できるようになりました。

この機材が、私のところに
お嫁に来たいきさつですが・・・

『水谷さん、この機械 DURKOPP
  受け継いでいただけますか 』

当時、木下さまの言葉を
私は、軽く受け止めていました。

昭和35年、この機材を輸入され
名古屋の繊維街で独立されました。

当時、トヨタ車クラウンと同じ価格でした。
その言葉に・・・
木下さまが、伝えたい想いは理解できました。

英語のマニュアルは、ちんぷんかんぷん
あとは、機械との根比べでした。

小さな歯車を入れ替え
製品を一枚仕上げる作業

まさに木下さまの人生が
私の中でも・・・蘇りました。

私は、道具を大切にします。
その理由は・・・

常に現場に立つことを忘れない

頭でっかちの理想論に走らぬよう
それが心の歯止めになります。

日本を離れ中国の工場を設立した際に
多くの機械は、手放しましたが
このDURKOPPは、自宅に居座っていました。

いまアトリエを開設し・・・再び
鉄の顔をしたDURKOOPが、現れた次第です。

私のアトリエは、どの道具も
40年以上の骨董ですが

自分の手足と同じ働きをします。
みんなクセがありますが
私の生き方に合ってきました。

私が、目指しているのは・・・
高級なブランドを創ることではありません。

一人ひとり・・・
自分らしく人生を楽しむ未来です。

時代は変わり、道具は 古くても
服創りを通じた出逢いが・・・

いまの私の人生を支えています。

骨董な私も、道具も
次代に対応できるよう進化します。

わがままな生き方をnoteに宣言し
10年後に投稿を見ること
それが・・・私の楽しみです。

皆さまのご活躍を祈っております。
水谷勝範

Webからファッションを創る、それが私たちのプロジェクトです。服作りとはいえ、私たちが大切にしていることは、お互い共存し成長できる社会になることです。皆さまとの出会いを愉しみにしております。水谷勝範