Mizutani Katsunori

はじめまして水谷勝範と申します。日本にモデリストという言葉は馴染みがないかもしれません…

Mizutani Katsunori

はじめまして水谷勝範と申します。日本にモデリストという言葉は馴染みがないかもしれませんが、ファッション界を目指す若者に希望が届くといいなぁと思います。若くないですが🤭お付き合いいただければ光栄です。https://www.fashioncreator.net

マガジン

  • 私の生き方

    出会いがあるから前を向く・・・歩んできた道に後悔はありませんが、最後は自分らしく生きたいと考えるようになりました。仕事はデジタルを活用する服創りに挑んでおりますが、私は「モッタイナイ」精神で質素に生きることに幸せを感じます。ファッションビジネスには向いていない気もしますが、長く愛用していただけるモノ創りに幸せを感じています。お付き合いいただければ光栄です。水谷勝範

  • ファッションモデリスト/ Fashion Modéliste

    『誰もが人生を愉しむことができる』私たちが大切にしているメッセージです。 私たちはモデリストの育成を目的に、コレクション制作に取り組んでおり、次世代のモノ創りは1枚生産が必要と考えております。私たちのメッセージが、皆さまの新たな創造につながりますことを願っております。どうぞよろしくお願いいたします。

最近の記事

ファッションの好きな二十歳の君へ

私は、どこかで道を間違えたのだろう・・・ ミャンマーの空をながめ、そんな気持ちになった。 海外での服作りに疑問はありましたが それはビジネスと、割り切っていました。 この路線を走り続ければ、何が起こるか 想像はできますが、この産業構造から ・・・ 離れる勇気はありませんでした。 しかし、何が 私を変えたのか・・・ ミャンマーの若者から受けた、たくさんの愛情 それ以外は、考えられません。 とっても、貧しい国ですが 彼女らは、人として輝いています。 人間は、何がいちば

    • 人種差別はしない、私の生き方

      1979年 south California, 小さな教会で・・・ 素敵な光景が 心に映りました。 1週間 作業着で 働き続けた人々・・・ 週末は、まさにファッションショーでした。 誇らしい表情の黒人の方々に出会い・・ 自分たちの生活の中に幸せは宿っている そんな気持ちになりましたが 今でも、それが原点のような気がします。 私が生まれたのは1960年、雪の1月 世話をかけ、産婆さんの手に落ちたという。 恩人の母は、人生最後まで ミシンを踏み続けた人でしたが 苦難な母の

      • 地球から多くの恩恵を受けますが、私は何も返していない

        最近の異常気象から ふと、思うことがある ・・・ 私は、自然や野生の生き物が大好きで ・・・ いつも心を癒してくる そんな地球から、多くの恩恵を受けても 私は、何も 返していない ・・・ そんな気持ちが 湧き出てきます。 人には、いろんな考えがあり 優先するものは、違いますが・・・ 私は、自然を残したいと思っています。 理想と現実は違う・・・と言われますが 当の本人が、それを求めているだけです。 と言う私も失敗は、しょっちゅうですが それも慣れたもので、心の回復

        • 私がチャイナドレスを創り続けたわけ

          はじめての中国訪問は 26歳・・・ 政府の派遣員としてチャンスをいただきました。 商社、小売、アパレル企業から6名にて上海へ 衣料製造業の現状分析という任務でしたが 商社の方が団長となり、盛り上げて下さいました。 私が一番若く、鞄持ちの存在でしたが 毎夜、皆様の武勇伝を聴かせていただきました。 この出会いが、私の人生を変える起点となり 5年後、上海に生産拠点をつくることができました。 当時はまだ、縫製業の中国進出はなく 技術の流出に繋がると脅されましたが・・・ 私の

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          マイノリティデザインと私の生き方

          私にとって、マイノリティとは これから更に少数派となる 縫製業と向き合うことかもしれません。 私は服作りという、好きな道を歩んできましたが 量産からクチュールまで経験することができました。 ただ、天国から地獄まで 歩んできた気分です。 私の天国とは、納得できる服が仕上がり お客さまと笑顔を共有できた時 地獄とは、バーゲン品の企画ですからと 安く早く仕上がる設計を依頼される・・・ 工場に入荷する資材は、不良品の材料ばかり B品を活用する意義から対応しますが 私が 許せな

          マイノリティデザインと私の生き方

          若者が服作りでメシが食えればいい、それが美しい地球につながる

          1980年 20代の頃、何を想ったのか 誰も 着ていない服を作りたいと からだに 布を巻き付け あ〜でもない、こ〜でもない そうして、創造力が 膨らんだ気がします。 いま社会に必要なのは、情報を集めることより 自分で考え行動してみることです。 そこから、達成したいイメージが想像でき 新たな価値が、生まれてきます。 人を批判しても、何も変わりません。 大切なのは、心をウキウキさせる行動 私は心に、そう言い聞かせています。 エネルギーは入りますが、 小さな幸せを見つける、私

          若者が服作りでメシが食えればいい、それが美しい地球につながる

          ファッション産業に新たなジャンルを創る、私の挑戦 / Fashion Creator vol.9

          服にも物語がある、そんな生き方がしたい 社会に対する 小さな抵抗かもしれませんが MOTTAINAI 精神を、次代へ進化させたい。 私は 僧侶ではございませんが、足るを知る それは ビジネスでも同様に思えます。 私は 消費社会が到来した時期に ファッション産業を知ることになりました。 夢を抱き、やりたい放題、大量の服を作り 残れば処分する・・・ すべてが、計算されたビジネスに 違和感はなかったのかと、情けなくなります。 もう一度、 服作りの人生を出直そうと、決意で

          ファッション産業に新たなジャンルを創る、私の挑戦 / Fashion Creator vol.9

          デジタルから 服をつくるという仕事

          私の仕事は、お客さまの生き方に向き合い お客さまらしさを想像することから始まります。 いろんな話をする中で・・・ 今回は、お持ちの服をリメイクしましょう そんな結果も、珍しくありません。 私が、大切にしていることは お客さま自身が・・・ 自分の生き方に、自信を持つことです。 私にとってファッションは・・・ 自分の生き方を表現するモノですが 自分の原点に、回帰する場所かもしれません。 私が デジタルの服作りにこだわる理由は 1着の服を創ることに向いているからです。

          デジタルから 服をつくるという仕事

          フィギュアスケートの出会いがなければ、いまの生き方はしていない

          私とフィギュアスケートの出会いは ソチオリンピック閉幕から始まりました。 次の平昌へ、全力で挑む、それは・・・ 彼女が、衣装に拘る姿勢に現れていました。 私は、佳菜子さんの笑顔が大好きです。 笑顔があったから、私も全力で挑めました。 私に欠けていたのは・・・ 日々を笑顔で生きる姿勢です。 どんな苦難でも・・・ 笑顔とユーモアで乗り切る姿勢です。 佳菜子ちゃんの笑顔には勝てませんが いまは 少し、近づいたと思っています。 彼女は、驚くほど繊細ですが 笑顔で乗り切る術

          フィギュアスケートの出会いがなければ、いまの生き方はしていない

          のら猫に寄り添う制作でした

          私は、いままで 猫の顔を まじめに観察したことはありませんが 今回、あらためて可愛いやつだなぁと実感 昔は、猫はネズミを捕まえる担当で ネズミを家の中に持ってくるなぁ〜と 私は、いつも叫んでいましたが・・・ 自慢げな猫の顔は、記憶があります。 ことの始まりは・・・ 先日、アトリエを覗く野良猫がいました。 また、これがブサイクな顔で 可愛いとは言えませんが、 個性があることにしましょう。 偶然にもヒョウ柄のサンプルを制作し終え ハギレがあり、猫の顔を作り・・・ 浅は

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          ファッション界を志す若者へ 私が伝えたいこと/ Fashion Creator note magazine vol.7

          これからファッション界は、バーチャル、3Dモデリング 若者が、興味をそそる事にビジネスは流されます。 いまのビジネスは、効率に重点が置かれ 多くのプロセスは、自動化へ向かいます。 それでも若者は、すべてのプロセスを学び 自ら実践してみることが必要です。 それが 新しい種を見つける方法です。 企業のリーダーへ、問いたい・・・ 若者は、未来に何を望むのでしょう リーダーは、その答え示すべきです。 人は、それに共鳴し製品を買います。 それが 企業と消費者の共存する道であ

          ファッション界を志す若者へ 私が伝えたいこと/ Fashion Creator note magazine vol.7

          私が 辿り着いたフィロソフィー

          モノを作る価値を創造し 豊な心で過ごせるようにする これが、私の経営理念です。 幼い頃を振り返りますと いつも隣の席は、やさしい女の子でした。 勉強ぎらいの私に・・・ こそっと、教えてくれるんです。 不思議ですが・・・ その女の子には、いまでも頭が上がりません。 というより・・・ 楽しかった、私の大切な思い出なんです。 成績は悪かったですが・・・ 仲間と会うこと、遊ぶことが楽しかった。 もう一度、学生に戻れると言われても 勉強はしないで、遊んでいると思います。

          私が 辿り着いたフィロソフィー

          生地の染色と仕上げ /Fashion Creator note magazine vol.6

          次世代へ、モノ創りを伝えたい・・・ 私の note への想いであり・・・ どう技術を継承すべきか、日々その問いに向き合います。 noteに出会い1年を迎えますが みんなの生き方に、触れたことは感激です。 それと同時に・・・ 日本は、いろんな問題を抱えていると実感します。 あらためて、私は何をすべきかと・・・ 向き合えたことに感謝しております。 私が ミャンマーに入り、最初の印象は これからジャングルの中で生きていくんだぁ〜 ・・・という覚悟でした。 小さな露店の駄菓

          生地の染色と仕上げ /Fashion Creator note magazine vol.6

          #このデザインが好き

          シンプルなワンピース この1枚で、彼女らしさを表現する シンプルなデザインを・・・ 私は、いちばん大切にしています。 彼女の表情、肩、骨格、膝の位置 ・・・ 性格に合った、シルエット それを捉えるのが、私の仕事です。 私にとってファッションは 何だろうと、考える時があります。 無論、仕事は好きですが・・・ みんなが、自分らしい生き方を 見つけることが大切に思えます。 いまは、そんな気持ちで・・・ お客さまに向き合っています。 昨夜、#このデザインが好き・・・ この

          #このデザインが好き

          ファッションクリエイターという生き方

          はじめまして、水谷勝範と申します。 18歳、学生時代のアルバイトから始まり アパレル業界は、40年以上 お世話になりました。 こちらのnoteを通じ・・・皆さまに 偉そうなことを 言うつもりはありません。 私の目的は、自分の人生を自分らしく生きる そして 最後まで、社会に関わり続け、働く・・・ ・・・それが  私の人生観です。 私の note にタイトルをつけました・・・ 『ファッションクリエイターという生き方』です。 ファッションを通じ、人と繋がり共存する・・・

          ファッションクリエイターという生き方

          次代へ伝えたい・ファッションと生地の知識 / Fashion Creator note magazine vol.5

          いまの時代、無傷で生きることは 困難かもしれない・・・ そして、誰もが傷を背負い生きています。 そんな時代でも・・・ 若者たちは、何度も立ち上がり 自分らしく生きようとしている。 そんな世の中を眺めていると 自分が、正いと想っている道に ・・・疑問を持つこともあります。 スピード感あるビジネスの変化に ・・・置き去りにされることもあります。 しかし 信念を持ち、自分を偽っていない ・・・私には、それがいちばん大切です。 みんな異なる価値観で生きていますが・・・ 共

          次代へ伝えたい・ファッションと生地の知識 / Fashion Creator note magazine vol.5