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私がチャイナドレスを創り続けたわけ

はじめての中国訪問は 26歳・・・
政府の派遣員としてチャンスをいただきました。

商社、小売、アパレル企業から6名にて上海へ
衣料製造業の現状分析という任務でしたが
商社の方が団長となり、盛り上げて下さいました。

私が一番若く、鞄持ちの存在でしたが
毎夜、皆様の武勇伝を聴かせていただきました。

この出会いが、私の人生を変える起点となり
5年後、上海に生産拠点をつくることができました。

当時はまだ、縫製業の中国進出はなく
技術の流出に繋がると脅されましたが・・・

私の心に映ったのは、人が機械のように扱われる姿
農家の彼女らの収入は、日本の10分の1でした。

生意気にも・・・ 彼女らの人生に
希望を抱かすことができる、と考えてしまいました。

あれから30年、中国の彼女と私の収入は、
逆転していますから・・・ 人生は面白いものです。


上海近郊の小さな村に、日本から機材を持ち込み
中国スタッフと、共同生活が始まりました。

というより・・・生活面は、何から何まで
中国のスタッフに面倒をみてもらいました。

通勤に自転車で片道1時間半、平然な顔して
通ってくださる彼女らには、頭が下がりました。

中国政府から理不尽な要求は、多々ございましたが
私が 耐えられたのは・・・中国スタッフの
私を信じる気持ちが、伝わっていたからです。

出会いとは、不思議なもので
運命のような、そんな気持ちになりました。

私を最も理解していたのが、中国人の通訳でした。
当時74歳になる老師でしたが・・・
生涯、私は日本人に仕えますと言われました。

その理由を尋ねますと・・・
若い頃、日本軍の通訳をしていた経緯があり、
戦争は終わり、老師の人生は悲惨な環境でした。

それでも、私は人間として、日本人が好きです。
老師のその言葉に・・・
中国の歴史と、文化の奥深さを痛感いたしました。


私の出会った中国人は・・・
人を信じますと、裏切ることをしません。

その執念のような、強い信念が隠れていますから
世界中で華僑は、ビジネスでも活躍するわけです。

その生き方は、
中国の歴史が創り出したもの・・・
日本人にはない・・・心の強さを感じます。

今は 10年以上、中国とは交流はありませんが
日本人を信じ、逞しく生きている人がいることを
伝えるだけで・・・ 嬉しいです。

政治、経済、宗教、文化・・・
お互いに理解できないことは、多々ございますが

異国でも 人として、お互いを信じ合えることが
できるから、心は・・・不思議なものです。


私は、中国へ渡る前から日本の生産でも
工業製品の1枚生産へ挑む意識が眠っていました。

中国でのモノ作りが10年経過した時
商社の方から、次はインドへ渡ろうと相談されました。

この産業構造の中で、服作りを継続しても
インドの次は アフリカ・・・と、想像できました。

私は、この段階で撤退し・・・
日本でモノ創りをする決断ができました。

大袈裟に聞こえますが・・・
そこに次世代へ伝える、モノ創りがある。

そう考えることが・・・
モノ創りを継続できる道に繋がると感じました。

取引先からは・・・これから先も、
日本での縫製業はあり得ないと言われましたが

彼らの考えている製造業と、私の頭の中は違う
そう自分に言い聞かせていたことを思い出します。

日本へ戻る目的は、明確に見えていました。

オーダーメイドのチャイナドレスを作ろう
それが、日本へ戻る理由です。

多くの方から馬鹿げていると、言われましたが
1998年、私の1枚生産への挑戦が始まりました。


中国で、歴史、文化、人々の価値観、シルク、
いろんなモノ、考え、生き方に触れてきました。

そんな中、シンプルなチャイナドレスが
私は、美の結集と感じました。

日本人と異なる美意識もございますが
チャイナドレスの奥深い世界には驚きます。


私が、チャイナドレスを選んだ理由は・・・
一人ひとり異なる着心地感を捉えるためです。

その上で・・・
身体を美しく魅せる、デザイン線
体型を美しく魅せる、カッティング線を描きます。

それをフリーハンドで描くことに意味があります。

人間がCAD機器に依存すると、何を失うか・・・
それを理解することが大切です。
そこから目的に沿った機械の使い方が見えてきます。

企業も学校も、デジタル機器の使い方から入ります。
技術がなくても作業効率を上げるには、確かに必要です。

それを否定するつもりもありませんが・・・
大切なことは、モノを創る喜びを知ることです。

そこに、人それぞれ・・・
人生の目的を見つけれる要素が隠れている気がします。

チャイナシルクは、華やかな生地ですが
厚地で着心地感は悪く、制作にも苦労します。

ドレスの緩みを少なくすれば
美しいですが、長く着用すると疲れます。

しかし、絹は長く愛用していると
身体に馴染むから、やはり素敵です。

一人ひとりの体型を捉え、美しさを表現するのには
この生地を克服することに意義がありました。

中国から素材を輸入し、いろんなデザインを試み
当時は成人式、結婚式にご愛用していただきました。

仮フィッティングでは、お客さまと試行錯誤・・・
時には、お客さまと笑い転げる仮縫いでした。


チャイナドレスを制作する中・・・
お客さまが、何を大切にしているか

それを捉えることが、最も重要と感じていました。

それを理解した上で・・・
デザインとドレスの設計が始まります。

ドレスの装飾は、お客様の生き方が現れました。
今でも、この出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。

たかがチャイナドレスと思われるでしょうが
私には、究極のシンプルなドレスでした。


私が、若い方へ 伝えたいことは・・・
1枚の服作りをアピールすることではありません。

次代に必要になるモノ創りと言っていますが
本当に必要な価値は、若者が創造していきます。

私が、服作りに拘ってきた理由は・・・
私自身が、生きている喜びを感じるからです。

私が、子供たちの笑顔が好きなのは、
無心で・・・ 腹の底から笑っているからです。

私は、そこに・・・
私の人生の目的があると考えるようになりました。

大袈裟に聞こえますが・・・・
私のエネルギー源、みたいな感覚です。

私は、いつも 凹んだ時には・・・
自分の人生の目的地に戻ります。

心が落ち着き、正い判断ができると感じています。

朝、散歩をしながら、心を原点に戻しますが
最近は、ASEANの子供たちの笑顔が浮かびます。

私に、何ができるだろう、散歩しながら
そう考えていると、エネルギーも溜まってきます。

人それぞれ、人生の目的を考えることも
・・・ 心の支えになる気がします。

散歩が終われば、現実に戻り 凹みますが
心に喜びを伝えることが、毎朝の習慣になりますと
凹んだ時も、心の切り替えが 早いものです。

偉そに、言えませんが・・・

私が、服創りを続けたいと思うのは
子供たちに 夢を抱かせてあげたい・・・

モノを創る喜びを感じさせてあげたい・・・

それが、私の人生の目的です・・・
みんなそれぞれ異なった、人生の目的があります。
2023年8月26日 秋肌月  水谷勝範

追伸
みんな社会の、いろんな枠に入れられ
それぞれ、不平不満もあるでしょう。

怒りをぶつけたい、気持ちもわかります。

しかし、その枠からは、
自由に出られることも
・・・・ 知っていただきたいです。

人生を、自分の責任で生きることで
自分らしい人生の目的が、定まってきます。

エネルギーを自分の人生に向けてみることです。
私は、そんな生き方をしています。

いつも ありがとうございます。
みなさま、お身体を大切にお過ごしくださいませ。
・・・ 感謝

Webからファッションを創る、それが私たちのプロジェクトです。服作りとはいえ、私たちが大切にしていることは、お互い共存し成長できる社会になることです。皆さまとの出会いを愉しみにしております。水谷勝範