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みずうみに眠るコンパス

クリエイティブ・ライティング講座を受けてから一年が過ぎた。

先日、同窓会イベントがあって、そこで久しぶりに同期と再会した。

あの場所で不思議な時間を過ごした仲間たちは、もう全然違う場所にいる。近況を聞いても、環境も興味も全てが違うので、初めて会ったような気がした。

私たちのグループ名は「patience」我慢、忍耐という意味だった。

私にはとても説得力ある単語だった。人生修行、それが当たり前と思って生きてきたところが、私にはあったのだ。そして、そこに集まった仲間にも、そういう性質が共通してあると感じた。

でも、先生は「苦痛のクラス」と呼ぶのは、ためらいがあったらしい。結局「ADHDクラス」と呼んでいたと後から聞いた。

自分から「ADHD傾向がある」と打ち明けた受講生がいた。それがNさんだった。でも全然そんな風には見えないし思えなかった。過去そうだったということなら、努力し成長して変わった、ということなのだろうか。

綺麗な刺繍が入ったトートバッグや柔らかな色味のロングスカートは、Nさんの雰囲気にぴったりなじんで似合っていた。細い黒縁メガネは裏側部分にだけスカイブルーが入っていて、そこだけ茶目っ気を感じた。最近、転職をして農業に興味があるという話を聞いた時、小柄で大人しそうに見えるけど、興味のあることにはアクティブなのかも、と想像した。

そして、声が印象的だった。柔らかくて聞きやすく、自然に大人の気遣いができる、明るく優しい性格が伝わってくるのだ。

Nさんは受講最終日に、思いがけない贈り物が来たことを私たちに教えてくれた。それは強烈なインパクトがあって、無関係の私にも希望や未来を感じさせてくれた。

「苦痛や我慢はもう終わり。好きなことをしていいんだよ」

先生がそう言ったら「でも、これからビッグウェーブが来るんですよ〜好きなことばかりしてられないし、大丈夫かな」とNさんは言った。

「人生はいつだって選べない事ばかりがくるじゃない。その中でも、やりたいこと、好きなことを選んでゆくのよ。きっとあなたは大丈夫」

その言葉はまるでお守りのようで、その場に居あわせた私達も一緒に包んでくれた。

久しぶりに連絡がきたときに、Nさんはブログを書いていることを教えてくれた。会わなかった日々の時間を、私にもお裾分けしてくれたのだった。

一読して驚き、次から次へと貪り読んだ。もっと早く読みたかったよ!すごい!!

そこには、一人の日本人女性がいた。

毎日、家族の食事を作り家事をして仕事をして、合間に本を読み、映画を見て、音楽を聞く。子どもの教育に悩み、地域活動に参加し、政治の動向に憤って、世界情勢に思いを馳せる。情報にはアンテナを張り、自分の意見がある。内省しながらも独りよがりにならない柔軟な感性を持っている。自分に向き合い、家族を愛し、丁寧に暮らしを紡いでいる。

ごくごく普通の、日本に住む女性の日常。

そして人生だ。

いや、これは文学だよ。私にとっては少なくともそうだよ。小説が全く売れないわけだよなぁ。リアルタイムで進行するドラマを、こんなに気軽に読めてしまうのだもの。これを開示してくれたNさんに深く感謝する。示唆に富む言葉や情報を、こんなにも愛情溢れる言葉で綴ってくれて、ありがとうございます。

彼女は、レイモンド・カーヴァーのようなフィクションを書きたいと言っていた。

もう、そのものじゃないだろうか。いや、フィクション以上だ。

大海原を泳ぐ鯨とか、風に乗って大陸へ渡る鳥のような、時代の趨勢に乗ることに長けた人が書く言葉がある。人々を魅了し煽り、SNSなどであっという間に拡散してゆく。

彼女は、山深くにあるみずうみだ。

その時分、頃合いの空や雲や風、日の光を水面に映し出す。

そのきらきら光る水底に、コンパスが眠っている。

その針がしめす方向へ、時代は動いている。

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