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【タイ】チェンラーイ再訪記(11)

チェンラーイ県の西側はミャンマーである。メコン川に沿ってラオスおよびミャンマーとの国境となっている最北部の場所は、ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)として有名である。

いままで見てきたように、タイ北部の山岳地帯は、様々な「少数民族」が共存する世界なのだが、実はこの地にも「世界の最大の民族」が少数民族のように定住している。

そう、チャイニーズである。正確には、中華民国国民党軍の子孫である。

中国の国共内戦で敗北を重ねた国民党軍は、1949年までにすべてが台湾に逃れたわけではなく、一部は広東省からイギリスの植民地だった香港や、雲南省からミャンマー北部のカチン州・シャン州経由タイ北部に逃れた。

このうちタイ北部に逃れた部隊のひとつ、国民党軍第27集団軍隷下の「第93軍」は、冷戦期間中、共産党勢力の南下を防ぐ為の防共戦線としてこの地に留まった。

国民党軍は、共産化した中国からの国土奪還(反攻)のための資金集めとして、アヘン栽培で資金集めをしていた。そのために「アヘン・アーミー」「ドラッグ・アーミー」とも呼ばれた。焼畑農業で移動を繰り返す少数民族が入り乱れ、国境管理が困難なゴールデントライアングルに定住、反抗の可能性が限りなくゼロになっても「少数民族解放運動」を建前に武装を続けた。

現在は、ゴールデントライアングルと呼ばれる地域のうちタイ領内では麻薬の生産は取り締りと、民族衣装をあしらった手工芸品やコーヒーなどの換金作物の栽培が王室プロジェクトとして奨励の結果撲滅している。タイでコーヒー豆が保護対象となり、輸入品目規制の対象になっている背景でもある。

台湾との繋がりから、中国茶の高級銘柄もこの地で生産されているものが多い。

ゴールデントライアングルでの麻薬密造が最盛期を迎え国際的にも大きな批判を浴びるようになるのは1980年代だが、この地で「麻薬王」と呼ばれた男は、国民党軍第93軍兵士とシャン族女性の間に生まれたクン・サ(中国名:張奇夫)である。

クン・サは国民党軍に入隊していたが、混血児ということもあって、国民党軍の大部分が台湾に撤収した後も現地に残り、ビルマ政府公認の軍閥を作り、ビルマ共産党軍(中国共産党の支援を受けていた)と戦った。

経済的には、アヘン利権を巡る争いなのだが、拡大の勢いに危機感を覚えたビルマ政府軍に身柄を捕獲される。しかし、クン・サの軍閥の残党がソ連人医師を人質に、ビルマ政府に対してクン・サの釈放を要求、タイ政府の仲介で釈放された。活動拠点をタイ北部に移すことになったのにはこのような経緯がある。

クン・サは1980年代後半になると麻薬ビジネスを大々的に展開した。結果、3カ国の警察権が及ばないこの地は「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」と呼ばれる世界最大の麻薬密造のための無法地帯となった。 しかし、1990年代に入ると、アヘン生産拠点の主力は、中央アジアのアフガニスタン及び中南米へと移って行く。

背景としては、タイ政府が国際的な批判をかわすために麻薬の取締に注力するようになったことが挙げられるが、本当の理由は東西冷戦が終結し、この地での東西対立の構図が解消された為、麻薬ビジネスによる戦線維持のための資金調達が不要になったことだろう。 アメリカ自身も麻薬ビジネスの取締り強化の美名の下、クン・サにアメリカ政府から200万ドルの懸賞金がかけた国際指名手配がなされる。

結果、クン・サはタイ北部から国境未確定地帯を超えてミャンマー側に逃げ込み、1993年にはシャン族独立を掲げて「シャン邦共和国」の独立を宣言した。麻薬王から少数民族の部族のリーダーへ転身したかったのだが、肝心のシャン族が離反してしまう。結局、1996年1月、クン・サはミャンマー政府に投降。投降後はミャンマー政府の庇護の下で、麻薬ビジネスで得た資金を転用し、ミャンマー・タイにまたがる財閥を作り上げた。

アメリカ政府はクン・サの身柄の引き渡しをミャンマー政府に要求したものの、最後まで応じなかった。アメリカの犠牲者であることを理解していたからである。2007年10月26日にヤンゴンにて死去。一時代が去り、その後ミャンマーはアメリカとの関係改善を模索するようになる。アメリカの絡む紛争の影に常に麻薬の匂いがするのは気のせいであろうか…

なお、麻薬王クン・サの転向と第93軍指揮官である段希文が死去したこともあり、第93軍の元兵士および家族は1987年に武装放棄、タイ国籍を取得している。

いまやここは中国茶葉の一大産地でもある。

(12)につづく