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【まとめ】麓から富士登山

毎年約30万人もの登山客が(八合目以上を)訪れる富士山。その数だけ富士登山の挑戦がある訳で、登山紀行などそれこそ星の数くらいあるだろうとは思うのですが、親子で麓から登ってお鉢めぐりまでコンプリートする人はそんなに多くないのかも知れないと思い、敢えてNoteにアップしてみました。如何でしたでしょうか?

子どもであっても無理のない日程を組んだ結果、富士山駅から出発して戻ってくるまで28時間(実際のコースタイムは17時間)を要しました。馬返しから七合目までが6時間、山小屋での8時間の休憩・仮眠を挟んで、深夜に七合目から4時間かけて山頂まで登り、日の出を1時間待ってから、お鉢めぐりに3時間掛け、新五合目までの下山に休み休み4時間を使いました。標準タイムはもっと短いと思います。

なお、富士登山オフィシャルサイトに注意事項がまとまってますので、もし富士登山を計画される際には無理の無い山行計画となるように参考にしてみて下さい。

残念なことに毎年必ず遭難者が出ているのですよね。

※( )内数値は、夏山期間である7月上旬から9月上旬までの期間以外での数

なお、登山中にこまめにスマホで写真を撮ると、専用機器が無くてGPSによる位置情報が時刻と共に写真に記録され、足取りの可視化が出来ます。

ただ暗夜行路の写真だけはうまく撮れませんでした。月明かりでヘッドライトが無くても自分の影が見えるくらいだったのですが…

以下にリンク付き目次を作って見ましたので、ご興味のある方で、途中の回を見ていなかったという方は、ご利用頂ければと思います。

第0回:富士山駅から富士山を望む
第1回:富士山登山は馬返しから
第2回:馬返しでのおもてなし
第3回:あっと言う間に一合目
第4回:二合目は荒れ放題
第5回:三軒茶屋の三合目
第6回:何もないのが四合目
第7回:何ともややこしい五合目
第8回:本当の六合目はいずこ
第9回:七合目は岩場に立つ鳥居と山小屋
第10回:八合目からが本当の登山気分
第11回:頂上御来光と其の先にあるもの
第12回:山頂の中の山々と移り行く影
最終回:まとめ(今回)

2013年6月に世界文化遺産に登録された富士山。色々と調べてみると、江戸時代中期の1707年(宝永4年)の大噴火が、特定地域に対する江戸幕府主導の全国復興支援の枠組み作りに繋がり、周辺地域は火山灰の影響で農業では生計が立てられなくなったことから民間宗教としての「富士講」活動を通じて参拝者たる観光客を各地から招き、観光業振興の契機になっていることが分かります。単に自然災害としての側面よりも、その後の文化・社会面での影響や、地域経済のあり方への影響の方が大きかったのですね。

(富士山中腹に突き出る山頂から望む宝永山、噴火口は山頂だけでなく中腹に3つある)

登山道沿いに祀られている神仏の変遷や、富士山頂にある八峰の名称の変化は、明治時代に入ってからの廃仏毀釈・神仏分離運動の影響であるほか、戦後は周辺地域の観光資源開発により、地域経済にとって富士山への来訪者を呼び込む仕組みとしての「富士講」の存在意義が小さくなり、御師(おし)を通じた独特の宗教活動は衰退しました。また、1964年の東京オリンピックに合わせて開通した富士スバルラインは、五合目までの吉田登山道をほぼ遺跡の道にしてしまいました。

富士山の世界遺産登録は、決して文化遺産保護目的ではなく、周辺地域の経済活性化が真の目的であったのであろうと想像されますが、商業施設の開発においては世界遺産認定機関から景観問題や山中湖でのスピードボート騒音問題を提起されるなど、本音レベルでは利害の対立も生んでいるようです。

観光地として有名になればなるほど、軽装での安易な登山客が増え、遭難の危険性が増しますからね。今回見た限りにおいてはガイドが引率するグループツアーが非常に多かったです。事故防止の観点からも望ましいことと思います。

山の事故の8割は下山時に起きると言われ、体力の余裕を残して行動することが重要です。

特に悪天候が予想される場合は、無理は禁物と諦めるべきでしょう。せっかく訪れても、景色を殆ど楽しめませんしね。山小屋を利用しない日帰り弾丸登山などは、中級者であっても慎まなくてはなりません。

どうしても足が痛くて歩けなくなった時は、途中から馬の利用も出来ますが、下山道七号目から新五合目までで3万円だそうです。

疲れて無くても乗ってみたい気もしますが…

山頂で外国人訪問客が、富士山はいつか噴火する訳ねとか話してましたが、実際問題、文化遺産と言うよりも現役の活火山なんだよなと思った次第。

気がついたら毎日一本ペースであれこれ書いて早2週間。最後までお付き合い頂きありがとうございました。とても長くなりましたが、「麓から富士登山」でした。

(完)