デモクラシー理解度クイズ 解答と解説

1、×

デモクラシーとは、国民が主体となって政治を行う仕組みのことで、本来政治に参加すべき国民が、多くの場合政治に参加することができないから、代わりに政治を行ってもらう人を選挙で選ぶ仕組みのこと(代議制民主政体)である。

国民は本来最高権力者であるが、その持つ権力を別の者、機関に委譲する。権力とは恐ろしいもので、人を拘束し自由を奪いまたその者の命を奪うこともできる。また外国に宣戦を布告し、国民を動員して外国を侵略することもできる。権力とは凄まじいまでに恐ろしい力を持っているので、それは全ての権力の上に位置する国民が厳しく監視し、その力を制限しなてくはならない。その、国民が権力を監視し厳しく縛るものが「憲法」であり「法律」であり、各種法令である。

「憲法」も「法律」も、ともに「国民が(委譲した)国家権力を監視し厳しく縛るものであるから、どちらも「国民が国家権力に命令する」ものである。「憲法は国民が国に命令したものだが、法律は国が国民に命令したものだ」などと言う人がいるが、それは全くの誤りである。半可通の言う言葉である。憲法も法律も「国民が国家に対して命令したもの」である。これは何度言っても言い足りることはないぐらい、非常に重要な概念である。

2、×

「1」で確認したように、「法律は国民による国家に対する命令」である。だから刑法も、あくまでも「国民が国家に命令したもの」である。だから、命令されていない国民は「法律に違反すること」などできない。「法律に違反すること」ができるのは、命令を受けている「国家」つまりそれを動かしている「公務員」のみである。

法に命令されていない国民を裁くことなど、不可能である。犯罪を犯した可能性のある人物(被疑者)を、物的証拠のみによって身柄を拘束し、取り調べをし、裁判にかけるように命令したのは国民であり、命令されたのは公務員である。だから法に基づいて正しい行いをしたかどうか裁かれるのは、被疑者を裁判に持ち込んだ「検察官」である。刑事裁判で裁かれるのは、その行いが法に合致しているかどうか、検察官が裁かれるのである。

3、×

デモクラシーという制度と多数決とは、何の関係もない。もし多数決でないならデモクラシーでないなら、国会における一部の議決(例えば法律案の衆院による再可決)が2/3以上であるとか、閣議は全会一致であるとか、これらはデモクラシーでないことになる。議決の一手段として、場合によっては「多数決」という方法を用いているだけである。議決の仕方を多数決でなく前記のような「2/3決」でも「全会一致決」でも、また例えば「過半数決」でも、そう国民が決めたのなら、それでデモクラシーである。

4、×

「民主主義」の「主義」は、英訳すると「ism」である。「Democracy」は「ism」ではないから、「民主『主義』」と訳すのは、明らかに間違い。「Democracy」は「1」に書いたように「代議制民主政体」と訳すのが正しい。

5、×

国会が、三権の内で最も力を持っている

「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」憲法第41条

6、×

自衛隊は、完全に合憲である。そもそも民主国家(国民国家)は、国民の生命と財産を守ることを第一義として、存在しているのだから、国民の生命と財産を守る国家の行動は無条件に合憲である。反対に国民の生命、財産を脅かす国家の行動は、全て無条件に違憲である。

他国の侵略を受けた場合、国民の生命、財産を守るために、国家がその侵略行為を撃退するのは、もちろん合憲であり、それは国家の義務である。その義務を果たすために、自衛のための軍を持つことも、当然合憲となる。

ここで9条との整合性が問題になる訳であるが、実はこれは全く問題にならない。例えば他人の敷地にその所有者の許可なく立ち入ると「不法侵入」の罪になる。しかし、例えば公道を歩いていて、前から向かってきた自動車を避けるために、やむなく他人の敷地に侵入してしまった。それが、他にその自動車を避ける方法がなかった場合、これは罪にはならない。緊急避難という。また、人を殺すと「殺人」の罪になるが、例えば刃物を持った不審者に襲われて、自分が傷つけられることを避けるにはその不審者に相当なる重症を負わせないと仕方がなかったと判断された場合、その不審者を傷つけても、場合によっては殺しても、これは傷害罪、あるいは殺人罪に問われない。正当防衛という。

これらいずれも、法の条文には相当の刑を与えるべきと書かれているにも関わらず、それに刑を与えてはいけない。自分の生命、財産を守るための避けられない必要な行動については、条文通りの刑には当たらないとされる。これを「違法性阻却事由」という。法は、国民の生命と財産を守るために存在しているのだから、国民がその生命と財産を守る行為については、如何なる法も適用されない、ということである。

同じく、憲法についても、それが国民の生命と財産を守るためなら、「違法性阻却事由」で、違憲とはならない。だから他国が侵略してきた場合、それを撃退する行為は、仮令9条で「戦争放棄」を謳っていたとしても、全く合憲である。

また1928年の「不戦条約」は、日本国憲法第9条の元になったものであるが、その条文

第一條 締約󠄁國ハ國際紛󠄁爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於󠄁テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於󠄁テ嚴肅ニ宣言ス
第二條 締約󠄁國ハ相互間ニ起󠄁ルコトアルベキ一切ノ紛󠄁爭又ハ紛󠄁議ハ其ノ性質又ハ起󠄁因ノ如何ヲ問ハズ平󠄁和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約󠄁ス
  ↓
第一条 締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴うることをあらずとし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において、厳粛に宣言す。
第二条 締約国は、相互間に起こることあるべき一切の紛争または紛議は、その性質または起因のいかんを問わず平和的手段によるのほか、これが処理または解決を求めざることを約す。

は、日本国憲法と同じく「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」と謳っている。確かにこの条文だけを見ると一切の戦争を否定しているように見えるが、批准時の各国の了解事項として「自衛のための戦争は該当しない」ということで決着がついている。

もし日本国憲法第9条によって、自衛戦争も否定されると解釈するのなら、不戦条約批准国は全て自衛戦争も否定されなければならない。

7、×

日本銀行は「認可法人」であり、国の一組織ではない。日本銀行法によって、国の出資率が55%以上でなければならないとされており、事実上の行政組織であると判断する向きもあるが、もし日銀が行政の一組織として存在するべきものなら、そもそも民間から出資を募る必要がない。中央銀行は、政府とは独立した組織であるべきなのである。

8、×

人権とは、全ての人に等しく存在しなければならないものである。だから「女性の人権」など「人権」に修飾語がついたものは、全て間違いである。特定の者にだけ与えられる権利のことを「特権」という。だから、例えば「生理休暇」は女性にだけ認められたものであるから「人権」ではなく、これは女性の特権である。同じく少年法は少年の「人権」ではなく少年の「特権」である。

9、×

「差別」と「区別」は全く同じ意味の言葉である。もし「差別」と「区別」が違う意味の言葉だと言うなら、「Aは差別だから悪いが、Bが区別だから良い」を英訳してみろ。

百歩譲って「差別」は「悪い分け方」で「区別」は「良い分け方」だという意味だとして、では「Aは差別だから悪いが、Bが区別だから良い」は命題として成り立つか?全く成り立たない。これはトートロジー(同義反復)で、トートロジーは「何も言っていない」ことと等しい。

だから「9、男性トイレ、女性トイレと分けることは、差別ではなく区別である。」は文(命題)として、成り立っていない、意味のない文である。

10、×

憲法は国に対する命令だから、民間経営のレストランは命令を受ける立場にない。だからこのレストランは、憲法を守ることも憲法に違反することもできない。憲法違反をすることができるのは国家(地方公共団体)とそこで働く公務員、およびそれに準ずる者だけである。

11、○

「10」でも述べたように、憲法が命令している対象は国(地方公共団体)と公務員である。だから民間人、民間企業は憲法の制限を受けない。というより憲法を守りようがない。

しかし、「私鉄」の場合は、事情が異なる。鉄道は「鉄道事業法」に基づいて、認可制であり、国土交通大臣の管轄の下にある。ここに鉄道を敷けば儲かるだろうから、と思っても、国の認可が降りない限り鉄道事業を始めることはできない。

だから、鉄道会社は、民間企業ではあるが、国と同じように憲法および法律の制限を受けることになる。憲法第14条で、「性別」による「社会的」な差別をしてはいけないという条文がある以上、公営鉄道はもちろん、民間の鉄道会社もその命令に従わなければならない。

では現在運用されている「女性専用車両」とは何か?これは「女性専用車両」とは名付けられているものの、「女性『専用』」ではない。国土交通省あるいは鉄道会社に聞いてみればすぐにわかる。これはあくまでも「男性の協力の下」にあるものであって、「女性専用車両」は「男性の協力」で「女性ばかりが乗車している車両」として運用されているもので、決して鉄道会社が強制して「女性専用」にしているのではない、という立場を、鉄道会社はとっている。だから、「女性専用車両」に男性が乗ったとしても、乗務員や駅員は「この車両には乗らないように『お願いします』」としか言えない。万一、腕でも掴んでその車両から力づくで排除すれば、それは重大な憲法違反となる。鉄道会社にできるのは、ひたすらお願いすることや、女性専用車両に乗っている男性がその車両から「自分の意思で」出ていかない限り列車を運行させないことで、当該の男性を他の乗客(特に女性)の白い目に晒す、という方法しかあるまい。あるいは「こんなバカな男がいるんですよ」と、その男の動画を(非公式に)SNSにアップして、世論の同情を買うぐらいか。

「女性の安全を守るためだから、それは憲法違反ではない」という意見は、憲法の条文に「弱者を守るための場合は、この限りでない」などがない限り、通らない。また、「女性専用車両は『差別』ではなく『区別』だ」などという意見は、「9」で解説した通り、全く意味をなさない。

では、「『男性専用車両』も作れば、平等だろう」などという考えはどうか。もしこの「性別」の部分を例えば「人種」に変えて、弱者である白人を守るために「白人専用車両」というものを設けたら、それは明らかに差別であるとわかるだろう。なら「『白人専用車両』も作るが『黒人専用』、『黄色人種専用』も作るから、差別ではない」という意見はどうか?少し考えればわかる話だ。

さらに、「女性専用車両」が実は「女性蔑視」であることに気づかなければならない。諸外国で「女性専用車両」が見られないのはなぜか?「女性専用車両」は「弱者である女性」という前提に基づいているからだ。「女性」を「弱者」としている時点で、すでに「女性蔑視」である、というのが世界的な男女差別観である。だから、ラジカルフェミニストなど「ふざけるな!女性専用車両など許さない。もし作るなら『男性専用車両』を作って、そこに汚い男どもを閉じ込めろ!」と言う。

ちなみに、私は「女性専用車両賛成」である。列車内での性犯罪の被害者の大部分が女性で、加害者の大部分が男性だからだ。つまり、「男女は差別しなければならない」と考えている。男と女とでは、体力も大きく異なる。女性は子供を産む性であるなど、生理的機能も大きく異なる。だから、憲法で言う「政治的平等」には同意するが、「経済的」また「社会的」には、女性は優遇されなければならないと考えている。だから憲法第14条には、部分的に反対である。

12、×

「共和国」とは「国王=世襲制の国家の代表者」のいない国である。日本は「天皇」という国王がいるから、日本は「君主国」である。

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