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中小企業が多すぎないかという超個人的見解

なんだが漠然と「中小企業が多すぎやしないかい?」と思って、似たようなこと言ってる人いないかなと調べてみたら、David Atkinsonという方がヒットした。というか結構前からこういう議論はあったんですね。現代において情弱は致命的だなとひしひし感じるのでした。

彼のようにデータを見てどうのこうのと考えたわけではないが、ざっくり思ったことをざっくりメモしておく。


例えば、50人の少年サッカー団を10人ずつのチームに分け、チーム内で作戦を練って練習を重ねて、最後にチーム対抗試合をして、優勝したチームにお小遣いをプレゼント~!という企画をするとする。10人の中には元から運動神経のいい子、ちょっとどんくさいけど粘り強い子、切れ者で戦略を立てるのが上手い子と得意分野が分かれるだろう。このチームで切磋琢磨して、他のチームに負けるまいと頑張れば、最終的にチーム全体の底上げになりそうだ。
でももし一つのチームが2人とか3人とかだったら。
作戦を練るにしても2人の頭しかなかったらなかなか昇華していかないし、チームによって成長度合いにかなりばらつきが出そうだ。50人もいるんだからもうちょっと意見交換できるコミュニティ作ったらどない?と思う。

で、私が漠然と「中小企業が多すぎやしないかい?」と思うのは、いまこの2~3人チーム状態になってるんじゃないかと感じるからだ。さらに、今は仲介業が豊富にあるので、細々すればするほど「それいる???」というお金が増えるのもひとつある。

サッカー団の例はまだいい方で、なぜならこの50人は最終的には同じ目標に向かっている。でも世界はそうじゃない。企業の利益は必ずしも国の利益に一致しないし、国の利益は必ずしも地球の利益に一致しない。同じ目標に向かっていないどころか、他を出し抜いて蹴落としてやろうという意図がそこかしこにある。規模が大きすぎて止められない。なんだか地球全体で非効率・非生産的なことをやっている気がしてならない。経済危機のときだっていつもそうだ。破綻しかけると自国がよければそれでよぉぉぉし!となる。おっと、企業を飛び越えて国の話になってしまった。

まあ本来80億人とか1億2000万とかのチームを50人に例えるのは無理があるかもしれないけど、兎にも角にも、私が中小企業云々を考えるようになったのは以上の原理である。

物々交換だった取引はお金が出来たことで複雑化していった。昔は需要供給が比較的狭い範囲で成り立っていたが、いまでは交換手段も範囲も多様化し、下請けとか手数料とか複雑で、類似のサービスを提供する企業がたくさんあって競争も激しい。他社より勝たないといけない。
生業って本来はもっとシンプルなものなんじゃなかろうか。起業が"ブーム"になるってこと自体なんだか違和感を覚える。

かと言って自由な競争によって洗練された商品やサービスは間違いなく私の暮らしを豊かにしてくれている。企業の数が多すぎるとは思うものの、どういうバランスがいいと思うのかまではまだ意見を持てていない。


政治も経済も起源を考えるとなんだか悲しい。
少ない資源を求めて集まった人間は、放っておいたら資源を争ってしまう。争わないために分配ルールを作り、人数が増えれば全員参加では管理しきれないので、管理係を設ける。管理係は作物係とか水汲係とかと何ら変わらぬひとつの係だけど、全体を把握している分、なんだか上の立場のように見える。悪知恵が働けば自分の取り分を多くして力を増し、名実ともに上の立場になる。


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