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敢えて察しない場面 ~察するより待つ~

こんにちは。今日も読んでくださりありがとうございます。
子どもの様子はよく見ておいて、手助けをしてあげましょう、ってよく言われますよね。でも、すぐに手助けをしないで待っていることが、子供の成長の手助けになることもあると思います。そんなエピソードです。


我が家の第2子、年少のたいようくんは、家族にはひょうきんでウケ狙いのボケを連発しています。家の外では恥ずかしがりやで、スーパーで親友級に仲良しの子に会っても顔を隠してしまうお年頃です。

先日おじいちゃんおばあちゃんと電車のおもちゃで遊べる小さな遊園地に行きました。案の定、恥ずかしがりモードです。両手で顔を隠しながらおじいちゃんおばあちゃんに再会しました。その方が逆にはずかしくないかい?(笑)

おじいちゃんおばあちゃんは会うと何か買ってくれるので、期待は持っていたのでしょう。前日夜には、「あしたは、がまんしない!」と買ってもらう気満々でした。が、これも案の定、遊び終わって帰る頃になっても買ってほしいと言い出しません。
お土産コーナーにある電車のプルバックカーに目をつけているなーというのに私も夫も気が付いていましたが、敢えて何も言わず。楽しかったねーと普通に帰る流れで行きます。(実際は普通よりも言い出すタイミングができやすいようちょっとだけゆっくりめ。こういう知られざる優しさが親の役目だな、と思っています。)

お土産コーナーの前を通りかかると、手をつないでいたたいようくんが立ち止まって私の手を引っ張り出しました。よしよし、来たな。
私は、ここも察しないで、「えー、なあに?」と聞くだけ。さらに手をひっぱるので、今度は私もしゃがんで目線を合わせて「どうしたの?」。たいようくんから何かのアクションが出てくるかなー、と待っています。
あまり長引かせるのもプレッシャーになってしまうなー、と思ってそろそろほしいものがあるの?と聞こうかと思ったところでちょうど良くおばあちゃんが来てくれました。「これがほしいの?」とおばあちゃんに聞かれて、コクンとうなずきました。
ちゃんと自己主張して、他者と関わって自分のやりたいことを叶えていく、そういうトレーニングになっているかな、と思っています。

心技体で言うと、一番下の「体」。非認知能力の他者と共同する能力、あるいはビッグ5の外向性、もしくはアサーショントレーニングともいえるかもしれません。

うなずいて意思表示しただけですが、恥ずかしがりなたいようくんが他者からの問いかけに対して自己表現できた、小さいけれど大事なステップを積み重ねられたな、と思います。

親が安全基地の役割を発揮する場面では察することが必要ですよね。今回のような安全基地を出て社会性をはぐくんでいる場面では、察していたとしても待つことが成長を促していきます。
待つのって意外と親としてはタフネスがいるので、私にとっては、遊園地の終わりで疲れ気味の中で心の余裕をが残っててよかった、という事例でもあります。

毎日、こういう小さなことを積み重ねて、自分も人も幸せにしていける人に育っていってほしいと願いながら子育てをしています。
よんでくださったあなたの中にも、幸せが育っていきますように。


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