脳内ゲームオブザイヤー アーカイブ 1991年
1991年は細かいことを語る必要がない年だ。結論から行こう。
スト2。
他はあり得ない。10馬身差くらいでスト2。
ぷよぷよもFF4相当やりこんだけどこいつの衝撃にはかなわなかったといえる。
ものすごく綺麗なグラで、超でかいキャラがすごく細かくヌルヌル動く。
ニュートラル立ち時の、上下にフットワークするモーションを見てキャラの息遣いさえも感じた。
さまざまなキャラがいて、だれを選んだかで戦略が異なることも、対戦プレイの楽しさも、CPU戦に謎のボスキャラがいて倒し方を模索したことも、全てが新しく、刺激的だった。
ゲーセンのゲームで、ここまで勝ち負けがはっきりしている(人と戦って負けたら退場)というのはおそらく初めてだったんじゃないかと思う。
そもそも知らない人と一緒にゲームしたのも初めてだった。
いまでいうeスポーツの原型というか、思想の始まりになったタイトルだと言っていい。
対戦型の格闘ゲームは、ゲーセンを運営している人からも歓迎されたと聞く。
80年代はシューティングやベルスク、あとはテトリスなんかがゲーセンの主流だった。これらのゲームは上手くなると長く遊べた。
80年代前半に大人気だったシューティング「ゼビウス」などは、1コインで閉店まで遊び続ける人がいるくらいだったという。
自分がゲーセンの店長だったらどう思うだろう? 店が筐体1台だとして(そんな少ないことは無いだろうけど)1日営業して収益が100円。年中無休でやっても1か月で3000円だ。店の家賃にもなりはしない。
もっと難しいゲームを入荷したい。そう思う人は多いだろう。
ゲーセンのゲームはそうやって高難易度化していった。
でもあんまりそっち方向に尖りすぎると客が離れるよね。
格ゲーはCPU難易度とは別のベクトルで、お客の回転効率を上げることに成功したのだ。
2台(対戦台)が絶え間なく対戦し続けてくれれば、2つある台のうちの片方には数分おきにコインが投入されることになる。
スト2登場後しばらくの間は、現代に多く見られる向かい合わせの「対戦台」はそんなに多くなかった。同じ台の、隣に座って対戦していた時期があった。2台の筐体を使った対戦が登場したのは少したってからで、それが爆発的に普及したのは、翌年の「スト2ダッシュ」からだったように思う。
(当時の都会のゲーセンに詳しくないため間違ってたらスイマセン。筆者が辺境に住んでいたからそう感じただけかもしれない)
プレイヤーとしては未知の強敵と戦えることにドキドキもしたけれど、強い相手に乱入されてすぐ負けてしまったり、自分が勝った場合も相手がキレてリアルストリートファイトを挑まれたり灰皿ソニックブームが筐体の向こう側から飛んできたり、といったネガティブな要素もなくはなかった。
そうなると家庭用がほしくなる。家で練習してゲーセンで腕試し。という図式もスト2で形作られたように思う。
スーファミ版が1年後くらいに登場。狂喜乱舞して受け入れやり込みまくった。
スーファミのスト2はとてもよくできていたけれど、ゲーセンと比較するとすこし劣化があり、本物(ゲーセン)と、代替品(スーファミ)という印象は少しあった。けどファミコン時代と比べたら、ちゃんとゲーセンと同じゲームが家庭でも遊べる!という完成度になっていた。
そう感じた理由は「キャラクターとステージが削除されなかった」からだと思う。
プレイヤー8キャラクターとボス4キャラクター。という数は今の格闘ゲームの感覚からすると少ないなと思うかもしれないが、当時は多いなというイメージだった。プレイヤーセレクトで8人もの選択肢があるアクションゲームはスト2以前にはなかったかも。
補足: ファミコンのキン肉マン・マッスルタッグマッチは8キャラいた
ストリートファイターは現在までシリーズが続いておりeスポーツの種目としても注目を集めているシリーズとなった。
「2」とか「ダッシュ」でもeスポーツやってほしいなぁ。
おじさんの参加者が増えそうじゃない?
追記
いちおう、ノミネート作品を追記しておく。
ぷよぷよ(ゲーセン)
ファイナルファンタジー4(スーパーファミコン)
シムシティ(スーパーファミコン)
改造町人シュビビンマン2(PCエンジン)
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