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突然指しゃぶりをやめた息子から着想した、私の過去とこれからの育児の話

現在3歳の息子は、長らく指しゃぶりが治らなかった。

低年齢の頃はそれでも良かった。こちらが抱っこやスクワットなどしなくとも、指をしゃぶっていれば勝手に寝てくれたからだ。

しかし、彼の指しゃぶりの習慣は2歳を過ぎても治らなかった。暇さえあれば指をしゃぶっていたし、指をしゃぶらなければ自力で寝ることもできなかった。
彼の指には常に吸いタコがあり、冬場は乾燥も相まって指にはパックリと割れたヒビ割れもできた。市の歯科健診では、指しゃぶりが原因と思われる歯並びの悪さまで指摘されるようになっていた。

状況を変えようと、私は優しく言い聞かせたり、ある時は「赤ちゃんだー」と冷やかしてみたり、別の日にはなぜ指しゃぶりが良くないのか根気強く説明してみたり、それでも指しゃぶりをやめない別の日には強い言葉で注意したり、様々な方法で彼に働きかけた。
そんな私の努力も虚しく、彼の指しゃぶりは一向に治らなかった。

季節が流れて3歳は目前。私は焦りを強めていた。

が、私の焦りとは一切関係のないところで、息子の指しゃぶりはある1日の出来事をきっかけに消失した。


丁度コロナが落ち着いた時期と休みが重なり、私達は弟夫婦の間に誕生した赤ちゃんと初めて対面した。
よだれで手をベチャベチャにしながら指をしゃぶる、生後数ヶ月の従妹に会ったその日から、彼の指しゃぶりはピタリと止んだ。

これでもかと指をしゃぶる正真正銘の赤ちゃんを間近で見て、「自分は赤ちゃんじゃない」という思いに火がついたのかもしれない。
今までのことが嘘のように、彼は全く指をしゃぶらなくなった。

私の心境は正直言って複雑だった。
ほっとした気持ちは勿論あったが、それ以上に、これまでの彼に対する必死の働きかけは何だったのかと、何だか無力さに似た気持ちを感じていた。

が、よくよく考えてみる。
過去の自分はどうだっただろうか。


若い頃の私は特にだが、人から注意されても、その指摘が自分の中で心から納得できなければ行動を変えなかった。頑固なタイプとも言える。

自分の高校受験のことを思い出す。

毎月受けていた私の模試の成績は良くてB判定、大体はC判定で推移し、大きく上がりも下がりもしなかった。

1月の最終模試でE判定を取るまでは。

箱根駅伝の中継をラジオで流しながら(当時から箱根駅伝は大好きだった)、または洋楽を聴きながらダラダラと問題をこなし、親に勉強しろと言われても半分は聞き流していた私は、この時から別人になったかのように勉強に集中した。

幸い試験本番で巻き返し、最終的に志望校には合格した。
しかし影では相当心配を掛けていたようで、卒業式終了後、1,2学年次のクラス担任に「俺が3年次の担任だったら絶対にあの高校は受けさせなかった」とまで言われる有様だった。

この先生について、詳しくは別の機会に語りたいところだが、私はその先生のことを密かに尊敬していた。それだけに先生の言葉はショックだったし、入学後のことを考えると不安になった。
自分の身の丈に合わない高校の授業に、果たして私はついていけるのだろうか。

しかし、今考えれば先生の狙いは別にあったのだろう。
マイナスのスタートを切った私は、高校3年間で真面目に勉強し、落ちこぼれ同然から最終的に志望大学の指定校推薦枠を勝ち取るまでになった。

入試間際の痛恨のE判定と、恩師からの厳しい言葉。

いずれも苦い経験だ。しかしここまで痛い目を見て自分自身に自分のダメさを思い知らさなければ、私の行動は変わらなかった。
真の意味で「腹落ち」しない限り、人は変わらない。
自分が一番良く分かっているはずだった。


あれだけ固執していた指しゃぶりを自らあっさり卒業した息子を見て、ふと考える。

彼は怒られても、そう簡単には泣かない。
そしてどれだけ私が感情に任せて怒鳴ったとしても、安易にごめんなさいとは謝らない。

まるで、頑固な私自身を見ているかのようだ。親子同士、血は争えないのだろうか。

息子に対して、親ができることは何だろうか。

少なくとも、彼にはこちらから手取り足取り教えるのではなく、彼自身が自ら何かしらの気づきを得ることを願い、体験や機会を提供する。自分の行きたい道ややりたいことを、自分で探して見つける。
私はそれを助けられる存在でありたい。

勿論、彼のアンテナがどこに立つのかはわからない。

今はただ、指しゃぶりを自らの力でやめた時のように、彼の自らやる!という気持ちを信じてみよう。そう思っている。


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