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陽だまりに浮かぶ

 それは完璧なひとときだった。真冬の昼下がり、すこし角度のついた陽射しはリビングに長い影を作っていて、湯気とあわい黄色がほわほわ浮かびあがって、何を話したのか忘れてしまうくらい他愛のない話をして、誰の表情もやわらかで。
 その完璧を真空保存したくて、シャッターを切った。

「あ、ごめん!」
 ファインダーをのぞくわたしに気づいて、あわてて手を引っこめた姪に、妹が言った。
「いいのいいの、そのまんまで。うたはね、そのまんまを撮りたいんだから」

 

 

 小5の春、わたしは2回目の転校で両親の故郷に住むことになった。歴史あるその城下町には当時、家から歩いていける範囲に10軒以上もの和菓子屋さんがあった。どの店のお菓子も美しくておいしくて記憶に残っているけれど、ひときわ忘れられないお菓子がある。

 その店は電車通りから一本入った路地の角にひっそりと佇んでいた。とびきりおいしいのに、行列ができているのを見た覚えがない。でも、だからこそ、あのとんでもなく手間のかかるお菓子を食べることができたんだと思う。SNSのある今なら開店1時間を待たずに売り切れてしまうにちがいない。
 店がまえは素朴でちいさく、作っているお菓子は一種類だけ。通りからガラス越しに見える作業場でおじいさんが作って、いつも笑顔のおばあさんが売っていた。格子戸をからからと開けて店へ入ると、鼻腔に栗のふくよかな香りがひろがる。
 店の名前もたまらなく好きだった。「ねこもちや」っていうの。素敵でしょう? やわらかであたたかな響きで。父がまだその街で育っていた昔からあったらしい。

 8個買って、両手で箱をささげ持ち、揺すらないように歩く。揺すれば崩れてやわらかな餅が偏ってしまうし、翌日には硬くなって酸味がでてしまう繊細なお菓子。
 何の模様もない白い厚紙の箱のふたを開けると、淡い黄色のほわほわがならんでいて、これからやってくる夢のような味わいに、胸をときめかせたものだった。

 父も母も祖父母も愛してやまなかった ねこもちやの栗粉餅くりこもちは、わたしがその町へ住むようになってから数年後のある日突然、永遠に食べることができなくなってしまった。お菓子を作っていたおじいさんが亡くなってしまったから。それ以来、栗粉餅は記憶のなかでせつなく味わう、家族の思い出の味になっていった。

 

 

「利平栗が手に入ったから、あれ作ろうと思って。栗粉餅!」と母が言いだしたから驚いた。車で片道40分以上かかる田舎の道の駅まで、ふたりで買いに行ったとのこと。
「利平栗が穫れたときはインスタでお知らせがあるからさ、インスタ見て買いに行ったんだよ」
「じいじ、インスタ見るの?」
 姪が目をまるくして尋ねる。
「インスタでお知らせしますって言うんだから、しゃあないじゃない。アプリ入れてフォローしたよ」
 しゃあない・・・と首をすくめた父は、けっこうなドヤ顔をしていて、まるでアメリカのホームコメディのよう。

 どうやら栗粉餅は、すでにふたりで試作済らしい。
 母は目を輝かせて言った。
「前に作ったらね、本当にねこもちやの味みたいに作れたの!」
 それはいい! 楽しみすぎる!!
 ふたりで栗を買いにドライブして、ねこもちやごっこをしていた両親が、急にかわいらしく見えた。

 ねこもちやが店を閉めたあと、どうしても栗粉餅が食べたくて、作っている和菓子屋さんを探して食べてはみたものの、栗の香りや食感や甘みの塩梅が似ても似つかず、がっかりしたのを覚えている。
 まさか実家で、作りたての栗粉餅を食べられるだなんて!

 

 

「蒸してすぐじゃないと硬くなっちゃうからね、もういい?」とリビングに集う面々に確認してから、母は栗を蒸した。
 リビングの座卓には目のこまかいステンレスの裏ごし器と木べらが置かれ、スポーツ万能の姪は腕まくりをして待っている。
 蒸した栗が運ばれてくると、妹は栗を菜箸で裏ごし器へ乗せた。姪は木べらを手にとって栗を裏ごしはじめる。

「ちょっとー、ふたついっぺんに置かないでよ! やりにくいから」
「だって、割れてるんだもん。合わせたらひとつ分くらいじゃん」
「いいから手うごかして」
「はいはーい」
「写真はうたにまかせたからね! いつも私も撮るけど、結局、写真はうただよね…ってなるんだよね」
「撮ってるだけで働かなくてごめんよー。あぁ、いい香り!」
「ほんと、いいにおい! 楽しみだわ」

 木べらで栗を裏ごし器に押しつけると、栗は裏ごし器のうえでほろりと崩れる。網目にこすりつけるたび裏ごし器がずれてしまうので、妹がそれを押さえていた。
 さすが鍛えあげた姪っ子。パワーが違う。裏ごしという作業はとても力と根気が必要で、へたれのわたしはつい面倒くさがってしまうけれど、彼女はどんどん裏ごしていく。

「お砂糖入れて、一緒に裏ごししないと、あとから混ぜると偏るからね」
「え、お砂糖どれくらい?」
「そんなの適当適当!」
「そんないい加減なー」
「大丈夫、途中で味見すればいいし」
「それ、味見が止まらなくなるやつじゃない?」
 母は、ざっくりすくった砂糖を裏ごし器にのせた。

 真剣な表情の姪と、それを見守る父と母と妹とわんこ達。家族全員がそろってるわけじゃないし、みんなそれぞれにいろんな何かを抱えてはいるのだろうけれど表情はおだやかで、部屋はしあわせな香りに満ちていて、窓の外は気持ちよく晴れている。

 

 

 淡い黄色の栗粉が山盛りになるころ、母はちいさく切って茹でた餅を座卓へ運んできた。
「まだちょっと、お餅硬いかなぁ」
「そう? もう少し茹でようか」
「まぁ、やってみようか。作ってるうちに鍋に入っているのは柔らかくなるだろうし」
「はい、じぃじ」
「私がやるの? やりますよ、何でも」

 菜箸を渡された父が餅をそっとつまんで栗粉をまとわせていくと、歓声があがった。
 角度をさげた冬の陽射しに、淡い黄色が浮かびあがる。

 

 

「いただきまーす!」
 手を合わせて、栗粉をこぼさないようにそっと口へ運ぶ。一瞬の静寂は、すぐに「んーーーー!!!」という言葉にならない声に破られた。
 ほわほわの感触と、しっとりした栗の舌ざわり、とろりと柔らかいお餅、栗の味を引きたてる控えめな甘み。口のなかにいるのは、ずっと焦がれてきた ねこもちやの栗粉餅だった。飲みこむのが惜しい。

 

 

「煙草やめるくらいなら死んでもいい」と言い放ち、何度となく禁煙に失敗してきた父。母が5年前に肺腺がんの診断を受けたその日から、彼はすっぱり煙草をやめた。母はその後すぐに手術で肺を切除、翌年は父が前立腺がんで陽子線治療を受けた。会社勤めのような、週5日✕4クールの治療。往復2時間の道のりは、母が車で送り迎えして付き添った。

 父と母は昨年、金婚式をむかえた。
 50年・・・その重み。結婚生活が破綻しているわたしには、半世紀連れ添ってもなお瑞々しい両親の関係は、どこかまぶしく映る。
 今年のお正月、父は笑いながら言った。

「今はな、毎朝かならず目が覚めたときに、ベッドのなかでぎゅーっとハグすることにしてんの。今日も生きててよかったねって確認みたいなもんだな」

 75歳を過ぎたふたりが今も元気に栗を買いに行き、こんなふうに笑っていられるのはいくつもの幸運と偶然が重なった結果にすぎないし、あと数年もしたら姪も巣立っていく。父と母から始まった家族は増えたり減ったり形を変えながら続いていくけれど、あの完璧なひとときはもう二度とないかもしれない。だから、夢中でシャッターを切った。
 その一枚一枚はきっといつか、わたし達の記憶のインデックスになるはずだから。

 冬の陽だまりに浮かぶ栗粉餅は、涙がこみあげるほど美しかった。

 


 

 


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