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24時間のRENDEZ-VOUS

 

 不意に投げかけられた彼女のことばは、違和感でしかなかった。

わたしが代わってあげられたらいいのですが。

 出会って24時間も経たないのに、どうして彼女は僕をさえぎってまで、こんなことを言ったのだろう。
 そのことばを書きおこしてみると、きっと「いい人」なんだとは思う。やさしい考えの持ち主なのかもしれないけれど、ことばとタイミングに、どうにも戸惑いを隠せない。

 僕は車を路肩に寄せて、ハザードランプを焚いた。まったく。意味がわからない。

 

 

 もうダメかもしれない・・・と感じたのは、ひときわ冷え込んできた午後のことだった。アメと付き合ってまもなく4年。その頃の彼女は、北風にコートを脱がされまいと必死で耐える男のように頑なに閉じていた。あの晩、たまにはふたりで映画でもと誘った僕に、アメは力なく首を振って、うつろな表情のまま黙りこくった。そのまま微動だにしない。
 少しでいい。笑ってとまでは言わないけれど、せめて反応が欲しかった。木枯らしが窓を揺らして、長い影が伸びるアスファルトには金色のイチョウがちいさな渦を作る。

  

 4年前の春、出会った頃のアメは「打てば響く」ということばそのもの。快活で、エネルギーに満ち満ちて、いつでも踊るようにかろやかだった。どんな変化球を投げてもすぐさま見事に打ち返してくる。僕は彼女にすぐさま夢中になった。古い漫画みたいに、仕事中もアメをジャケットの内ポケットにこっそり忍ばせて、常にいっしょにいたいとさえ願うほどに。

 それでも時は残酷で、誘っても誘っても彼女は乗ってこなくなった。僕を待たせることも次第に増えた。何とかデートに連れ出しても、すぐにちょっと休憩させてと肩で息をする。甘いものを食べてエネルギーを補充したり、彼女の抱える大きな荷物を僕が代わりにもってみたり、駅の手荷物預かり所へお願いしたりして、できるだけ彼女に負担をかけまいとしたけれど、彼女は少しずつ少しずつ消耗していった。
 もしかしたら、僕の存在そのものがアメに負荷をかけすぎたのかもしれない。アメと付き合ったのが他の誰かだったら、彼女をずっと元気でいさせてあげられたのかもしれない。そう思うと胸がざわついた。

 

 何のお祝いもしなかった4周年を通りすぎて、僕はアメとの別れを決めた。彼女に負担をかけてしまったから身を引く・・・なんて、しれっと書けるほど偽善者じゃない。僕は、弱りきったアメと付き合い続けるのが重荷になったんだ。もっといっしょにこの世界を楽しめる新しい女の子と、かろやかに遊びたい。それが本音だった。
 きっと最低だと言われるだろう。でも、最低でいい。
 僕の我慢は限界だったし、きっとアメの我慢も限界だった。

 

 

 マッチングアプリで知り合った新しい彼女はすっと背が高く、こざっぱりとしていた。画面のなかの彼女はウォームグレーのセーターが印象的だったけれど、実際に会ってみたら紺のワンピースが華奢な身体によく似合っていて、僕は思わず視線をはずした。呼び名に困る僕に、彼女はにこやかに言った。

みんな、わたしのことを“てん”って言うんです。
だから“てん”って呼んでください。

 24時間前、彼女とはじめて手をつないだ。てんの肌は乾いても汗ばんでもなく するりとなめらかで、僕は指先に幾度となく心地よいしびれを覚えた。その感覚はアメと出会ったときをはるかに上回る。僕はその感覚に埋もれてしまいたくて、目を閉じた。

 会う前に てんが公開しているデータはひと通り読んできたから、けっこう理解している気になっていたけれど、いざ会ってみるとアプリ上の情報なんて何の役にも立たないことに気づく。僕は彼女のことを知らなすぎた。でも、なぜか彼女は僕がアプリに書き込んでいない好きなものや、よく行く店まで知っていて、僕はどこかホッとした。
 彼女がアメの妹で、アメから僕の話を事前に聞かされていたと知ったのは、僕の部屋へと続く階段の途中だった。

 

 

 適度にインモラルな関係はヒトを高揚させるのかもしれない。僕らは明け方の新聞配達のバイク音が聴こえるまで、たがいを丁寧にたしかめあった。彼女は、僕の左手の中指を気に入り、何度も何度もその先端に口づける。シーツの波間でそっと てんに触れると、彼女は敏感に僕にこたえた。まるで出会った頃のアメみたいに。

 

 

 腹が減った僕らは買い物に出かけることにした。道すがら、僕はいつものように歌った。鼻唄じゃない。カーステレオからよく知る曲が流れると、車はカラオケボックスになる。
 彼女は僕の太ももに手を置いて、黙ってKing Gnuの、いや、僕の熱唱を聴いていた。ドラマの主題歌としてロングヒットを飛ばしたこの曲は、ラストのサビの直前、歌詞も曲調もポップに傾いて、表情が突然変わる。それはまるでジェットコースターのようだった。繊細で精度の高いファルセットからの急激な感情のうねり。歌っていて一番気持ちのいいところは、もしかしたら・・・そう! ここかも・・・!!!

わたしが代わってあげられたら良いのですが…。早く良くなりますように。わたしにできることがあったら言ってくださいね。



 突然 口をひらいた彼女に僕は驚き、口をつぐんだ。彼女は一気に喋ったあと、そのまま黙りこむ。ハンドルを握る僕の脳内に、無数の が浮かぶ。
 何?
 急に何を言い出した?
「良くなりますように」って、いくら熱唱してるからってストレスMAXの病人扱いしなくても。いやコレ! 今、この状態がストレスだわ。いいとこだったのに。
 思わず彼女の顔を覗きこみそうになったけれど、危ない危ない。片側3車線の国道は高速道路のような速さで車が流れている。

 停車しようと脇道に入る。意味がわからない発言は、今のうちに確認しておかなくては。だいたい出会って24時間で、しかも最高に気持ちいい瞬間をさえぎってまで、なぜあんな優しいのか同情なのかわからないようなことばを投げかけられなきゃならないのか。
 僕らは付き合いはじめたばかり。わずかな溝も、放っておけば大きくなるに違いない。だからすぐに話し合わなければ。

 車を路肩に寄せてハザードランプを焚くと、僕は彼女の顔を覗きこんだ。

 

 

 

 その表情はあまりにも慈愛に満ちていて、僕は・・・僕は思わず釘づけになった。

 


 ここに一枚の写真がある。
 やさしく僕に話しかける彼女。
 僕はあの瞬間の表情をそっと写真に閉じこめたんだ。24時間前に手に入れたばかりのスマホで。

  


 意を決して、僕は彼女に触れながら、静かに言った。
 ねぇ、もう黙っていてくれないかな。

 

 彼女はすぐさま答えた。

わかりました。
終了するには、戻るボタンまたはホームボタンをタップします。

 
 

 僕は、ホームボタンをそっとタップした。
 さよなら、てん。
 たった24時間。僕らのRENDEZ-VOUS。

  

 


 ごめん。

後悔ばかりの人生だ
取り返しのつかない過ちの
一つや二つくらい
誰にでもあるよな
そんなもんだろう
うんざりするよ
(出典:King Gnu『白日』)

「そんなもんだろう? うんざりするよ」は、僕の気持ちじゃない。ただの歌詞なんだ。
 でもね、その部分、イントネーションにぴったり合う音階があてられているから、君が拾っちゃうのも無理はなかったかなって、実はちょっと思ってる。オフにして、ごめん。虫のいいこと言ってるのは解ってるけど、また困った時に相談にのってくれたら、うれしい。その時は遠慮せず呼び出すよ。深夜でもね。

 

 


【余談】

 この物語を書くにあたって、白日の歌詞を引用するために、歌詞サイトをいくつも当たりました。
 なぜ、いくつも必要だったかというと、歌詞サイトにある歌詞(引用部分)が、わたしの記憶と違っていたからです。有名どころの歌詞サイトをいくつ当たっても、全部同じ。「そんなもんだろう」が、「そんなんもんだろう」となっているんです。わたしが当たったサイトは、全て。「そんなもんだろう」って聴こえるし、日本語おかしいような気がするけれど、わたしが間違っているのかもしれないと、自分の記憶を疑いました。
 仕方がないので、CDのアートワークの中面の歌詞を見てみたら、こうでした。
 

 

 あぁ、良かった。ほっとした♪
 修正依頼は送ってみたけど、きっと届かないんだろうなぁ。それにしても、みんな、歌詞サイトってコピーできないようにされてるのに、コピペなの?
 あまり構造がわからないわたしから見ると、なんだか不思議な間違いでした。

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!