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そのとき、ようやく過去は勲章になる ーこんちゃんとの往復書簡ー


 こんちゃん、こんばんは。前回から少し時間が空いてしまいましたね。
 家と職場を往復してる間に陽射しに若葉がきらめいていて、季節のうつろうスピードに驚きます。新緑ドライブしたい気分だけれど、まだまだ我慢です。

 前回のお手紙で、質問をいただきましたね。

うたさんが今大切にされている言葉ってありますか?

 これね、なんだろう?って考え込んでしまいました。書くときに大切にしていることはあります。でも、生きていくうえで、揺るぎない座右の銘はないんです。

 「それは誰かの役に立つことか?って常に念頭に置いてます」なんてかっこよく言ってみたいけれど、残念ながらそんなに出来た人間じゃないんですよね。わたしはわたしのためにしか生きられないから。
 でもね、こんちゃんのお手紙にあった「過去」=「少し重くて邪魔な荷物のようなイメージ」を読んで、ひとつ、こころに浮かぶ言葉がありました。今夜はそのことについて、お話ししたいと思います。

 

 この往復書簡は、こんちゃんが standFM✕note で展開している企画「ひとつ質問してもいいですか?」から生まれました。
 まだまだ寒かった2月半ば、こんちゃんとじっくりZoomでお話しさせていただいたんです。相談した結果、わたしのわがままを聞いていただき、音声配信ではなく、全3回の往復書簡というかたちで参加させていただくことになりました。
 今回は2往復目。こんちゃんから頂いた、このお手紙へのお返事です。

 

 昨日、おとちゃんと電話で話していて、わたしが言ったことに対して彼女が「あぁ、そっか」って言ったんです。そしたら、彼女のPCが反応して「【足下】とは、足の下。ーに踏まえる。あしもと」ってしゃべりだして、思わず笑いました。
 それなんですよね。
 いま、自分の足もとにあること。
 それが大切なんじゃないかと。

 こころに浮かんだ言葉は「今を生きる」です。
 今、何を選択して、どう行動するのか。
 わたしはどうしたいのか。

 人生は選択の連続です。親と物理的に距離を置くために、こんちゃんが実家から遠くはなれた土地へ住まいを移したことは、人生の大きな選択でしたよね。その距離が、今の楽な呼吸をもたらしたんですから。
 以前、今のこんちゃんと同じ年齢のときに、周囲の反対に耳をふさぎ、自分で決めて、ピアスをあけた話を読んでくださいましたね。今のわたしは、あの頃悩んでいた自分を抱きしめて、褒めてあげたい気持ちです。今も未来も、わたしの耳にはその勇気の証が輝いています。

   

 

 時の流れは変えられなくて、5DのSF小説や映画のように逆向きに過去へと進むことは今のところないでしょう。わたし達はもう、母の手におおわれた苦しい青年期に戻ることはないし、いつかの幸せな恋のただなかに戻ることもない。時の流れというX軸に無限の「今」を刻みつづけ、一瞬先の見えない未来へつなげていくしかないんです。

 それならば、先の見えない未来を少しでも照らせるような「今」を生きたい。足もとにある「今」の「どうしたい」を大切に生きたいのです。

 数学は苦手ですが、説明のために少しだけ数学のチカラを借りてみようと思います。昔なつかしい一次関数。
 X軸が時間なら、Y軸は距離です。時間には思いをかけ合わせます。
 目的地はここ。

わたしはどうしたいのか。
誰に出会いたいのか。
何に出会いたいのか。

 もっと遠くへ行こうとしたら、一歩踏み出す思いをより強く持たなきゃいけませんよね。今をひたすら感じながら、一歩ずつ一歩ずつ。


 どうしたいのかが見えたら、やってみるんです。
 もしかしたら苦しいかもしれないし、傷つくかもしれない。そう思うと怖い。それでも、行動して、体験することこそが大切なんだと思っています。結婚や出産や転職したことも、そのひとつ。noteを書くことも、そのひとつ。書き手の私設イベントに参加してZoomでお話しすることも、そのひとつ。過去の勇気の先に、今があります。
 
 距離はね、時間とは違って戻せるんです。遠くへ足を伸ばしすぎたなと思えば、戻ればいい。0まで戻って、ベッドのうえで膝をかかえる日があってもいいって思っています。立ち止まって羽根を休める時間も、時には大切。そんな日は、立ち止まって周囲を見るんです。そのときに背中を押してくれる仲間が、手を差しのべてくれる仲間が、きっといるから。

 わたし達は、ひとりぼっちじゃない。

 こんちゃんは過去を「少し重くて邪魔な荷物のようなイメージ」と書いていましたね。それはきっと、過去に染みついた自分の考えグセが、今も時おり頭をかすめるからではないかと感じています。ただの想像ですので、違っていたら教えてくださいね。
 この「邪魔な荷物」は「復習の憎悪」であり「怒り」の感情を伴いますよね。思い返すと痛くて苦しくてしんどい。

 でもね、この過去も、今のあなたを作っている一部分であることには変わりないんです。この過去があったからこそ、あなたは移住するという選択をできたし、自分の生きる道をみずから開拓できたんです。
 だからね、どうか邪魔物あつかいしないで、過去といっしょに歩んでください。あなたの過去も、あなた自身なんです。

 誤解しないでほしいのですが、過去を思い出せということではありません。傷ついた過去を思い返して「あの時、わたしはこんなに傷つけられた!」と怒りと哀しみを再燃させることは、自傷行為のひとつだと思うからです。わたしはそこに留まっていたとき、とても苦しかった。そこに残るのは後悔と傷跡だけ。けっして勲章にはなりません。

 自分をさらに傷つけるためではなく、過去をただ抱いて進んでください。一歩ずつ歩み続けて、ここまで来られたって思えるところまで。

 この手紙を忘れた頃に過去を振りかえったとき、おそらく今とは違う「意味づけ」をすることができると思います。そのとき、ようやく過去は勲章になるのです。みずから傷つけた勲章ではなく、消化され、昇華されて、もっとかがやく勲章に。
 そのときは、一緒に祝杯をあげましょう。わたしはノンアルですが。

 

 最後にひとつだけ。

家族や子育てというものにもずっと興味があるのにすごく怖いものでもあります。

 この気持ち、よく解ります。わたしも結婚当初は、こどもを産むつもりなかったから。
 でもね、家族に傷ついた過去があるからこそできる、こどもとの向き合いかたがある。こどもの頃 欲しかった親にあなた自身がなるために、コントロールするんです。自分自身を。
 そうできたときに、親としての自分が、過去の幼い自分を癒やしてくれます。ほんとよ。これは体験談です。

 それでは、また。

【2021.5.5追記】
大切なことを書き忘れていたので、追記します。
こどもって、当たり前だけど授かり物ですよね。欲しいからって来てくれるものじゃない。わたしはこどもを迎えると決めてから妊娠するまでにかなり時間がかかりましたし、流産も経験しています。

だからね、向かえる気持ちになって、授かったら・・・っていうのが、親になる話の大前提です。

そして、親に無理になろうと思う必要もありませんよ。こどもとか父親とか母親は、家族を完全にするためのパーツじゃなくて、こんちゃんはこんちゃんで、すでにパーフェクトだから。

 

【追伸】

 中島みゆきの「時代」の歌詞を読んで、中学生の頃、定期演奏会のアンコールで歌ったのを思い出しました。あの頃よりも、今のほうがずっと歌詞が身にしみます。おとなになったんですね。
 彼女の書いた曲のなかで好きな歌詞は、定番の名曲ですが「糸」です。

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない
 (出典:中島みゆき「糸」)

 Bank Bandのカバーが好き。公式チャンネルの動画があったので、貼っておきます。ap bank fes '09 の映像です。今観ると、このフェスの空気感そのものにぐっときてしまいます。ライブ行きたい!

 

 

 


ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!