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先生、もう一度会えたら、その時は。

ティーン・・・とグラスの音がかすかに響く。
「結婚おめでとう! 本当は言いたくないけどね」と顔をくしゃくしゃにして、先生は笑った。
その時、かすかなプラトニックの残り香がした。

老舗ホテルのレストランからは、冬枯れの庭園と白鳥の浮かぶお堀が見渡せる。
晴れていたら、きっと素敵な景色だったのに。
晴れていたら、もっと先生に特別なひとときを味わって頂けたはずだったのに。
あぁ。私はどうして・・・。

乾杯のグラスは、ほろ苦い味がした。
ただの水のはずなのに。

 

 

私と先生が初めて言葉を交わしたのは、新卒で就職した大学の歓迎会でのことだった。
出身校ではなかったから誰ひとり知り合いはいなくて、しかも、教職員には体育会系の酒豪が多かった。
当時はまだアルハラなんて言葉もなく、新入職員は全員にお酌をして回るのが当たり前の時代。
先輩に促されるまま、私は大瓶を片手にお酌をして回った。

ひと通り挨拶が済んで料理を食べ始めると、今度は次から次へと人がビールを注ぎにやってくる。
私の頬はすでに火照って、真っ赤だった。
「すみません。お酒弱くて・・・。もう飲めないのでウーロン茶でもいいですか?」とお願いするけれど、「まぁまぁ、そんなこと言わずに、練習練習! ほら、飲まないと注げないよ」と、来る人来る人飲ませ上手でなかなか断れない。

そんななか、飲めと言わなかったのが先生だった。
「みんな飲め飲めって言うけど、困っちゃうよね〜。ボクも飲めませんから。ほら、ウーロン茶で乾杯しましょう」と、小さなウーロン茶の瓶を片手にやってきて、私はそのシワだらけの笑顔にホッとした。

  

先生は美術学部の教授で、専門は染色デザインだった。
先生の研究室には、いつも他の学部の先生やゼミの学生が来ていて、楽しそうに談笑している。
何かの用事で伺うと、先生は必ずといっていいほど「まぁまぁ、コーヒーでも飲んでいきなさいよ。戻ったら、また忙しいんでしょ?」と、白髪交じりのさらさら前髪をかき上げながらくしゃっと笑って、私を仲間に入れてくれた。
こぽこぽと音をたてて、コーヒーが滴り落ちる。
光沢のある黒い革張りのソファの手触り、ZIPPOの音、煙草とコーヒーの香り、染料に染まった先生の爪、みんなの笑顔。
今でも目を閉じると浮かんでくる。
他の学部の研究室には見られない、独特で、Welcomeで、気楽で、居心地のよい空間だった。

 

夏はテニス、冬はスキー。
先生の周りは芸達者なおじさん先生やその仲間たちでいっぱいで、長期休暇はいつも、スポーツの上達かはたまた宴会か、目的が曖昧で楽しい合宿をしていた。
先生は、テニスはちょっとだけ、スキーはやらなかったけれど、いつも合宿に参加していて、大きな一眼レフでみんなの写真を撮っていた。
私たちはそこで、お酒や料理や人生の味を、先輩がたから教わったような気がする。
そういえば先生から「ボクが子供の頃は戦争で食べ物がなくてさぁ・・・。イモかカボチャしか食べられなかったんだ。だから、いまだにカボチャ嫌いなんだ」なんて話を聞いたのも、そんな合宿でのことだった。

 

結婚が決まったとき、私には心に決めていたことがあった。
退勤後、先生の研究室を訪問して、私は不躾にこう切り出した。
「先生。私、結婚することになりました。そこで、お願いがあってまいりました」
「そうか・・・おめでとう。それで、改まっちゃってどうしたの?」
「こんなお願いしていいのか、わからないんですが、先生に私の訪問着を描いて頂きたいんです。もちろん、お代はちゃんとお支払いしますから」
「訪問着のルールの範疇で描くから、決して突飛なものにするつもりはないけれど、ボクの好きなように描いていいの?」
「もちろんです! むしろ、好きなように描いて頂きたいんです。すべて先生におまかせします」

先生は式典以外は常にシャツか黒のタートルネックにデニム姿で、誰とでもフレンドリーに話してよく笑う、少しも威張ったところのない人だけれど、友禅の描き手としてテレビ取材を受けたり賞をもらったり、毎年のように個展やグループ展を催す芸術家だった。
若くて世間知らずだった私は、畏れ多くも、憧れの先生に自分をイメージした着物を描いて欲しかったのだと思う。
今思えば、何というエロティックな願望だろう。
そんな私の言葉にならない思いを知ってか知らずか、先生は二つ返事で制作を快諾してくれた。

  

結婚を1ヶ月後に控えた1月、先生から仕立てあがった着物を受け取った。
「お代は材料費だけ頂くから。ボクが描いたのは、お祝いの気持ちだからね。その代わり・・・と言っちゃなんだけど、うたさんが結婚しちゃう前に一回デートしよう。フィアンセには申し訳ないけど、ランチくらいいいよね? その着物、着てきてね」

 

 

約束の日は、明け方から雨がしとしと降っていた。
着物を着て出かけられるよう準備は万端だったけれど、土壇場で母がそれを止めた。
「こんな雨の日に着ていって、せっかくのお着物に泥でもハネたらどうするの!」
しばらくモメたけれど結局折れて、私は思いを胸にくすぶらせたままスーツで出かけた。

雨上がりの森のような公園で、先生はお堀の白鳥にカメラを向けていた。
振り向いた先生の目が、にっこり笑って細くなるのを見て、胸が痛くなる。
「先生、ごめんなさい。雨でシミになるといけないから着て行くなって、母に言われちゃって・・・」
「なんだ、そんなこと気にしたのか、お母さん。シミがついたらボクが綺麗にシミ抜きしてあげるから、全然気にしなくてよかったのに。さぁ、行こう」
樹々の横を通りぬけてホテルのレストランに向かう道すがら、時おり先生は立ち止まって私にポーズを要求し、シャッターを切った。

あぁ。どうして私は折れちゃったんだろう。
母を振り切ってでも、私は先生の着物を着てここに来るべきだった。
思いを込めて花籠文を描いてくださった先生に、私の着る姿を見せる最初で最後のチャンスだったのに。
待ち合わせにこの場所を選んだのも、私が袖を通すことで完成した作品を、このロケーションで撮りたかったからに違いなかったのに。
申し訳なさ過ぎて、母に負けた自分が不甲斐なくて、泣きたい気持ちでレストランに入った。


「お祝いだし、何か飲む? あぁ。苦手だったよね。ジュースか何かにする?」
そう聞かれて、私は「ううん。お水をいただきます」と答えた。
きっと、顔に「しょんぼり」と書いてあったのだろう。
「そう、しけた顔しなさんな。ボクはうたさんとデートできただけで嬉しいんだから」と先生は笑った。
その後、先生と何を話したのかは覚えていない。

 

 

あれから20年以上。
毎年の展覧会にはできる限り伺っていても一緒に飲むことはなかったが、一昨年の2月、久しぶりに先生と一緒に飲む機会が訪れた。
それは当時の合宿仲間だった教員の退官を労う飲み会で、酒豪が並びいるなか相変わらずウーロン茶で乾杯しながら、私たちは旧交をあたためあった。

「電車が無くなっちゃうから、ボクお先に失礼するね」と立ちあがった先生は、あの冬のような黒のタートルネックとデニム姿だったけれど、何だかちょっと小さく見えた。
「改札まで送ってくるね」とみんなに声をかけ、私は先生と歩き出した。
あのことを、謝りたかった。

「ねぇ、先生、昔デートしたときね、着物着てこいって言ってたじゃない?」
「そうだったね。お母さんに止められちゃったんだったよね。
あの花籠の文様ね、中国のお話で美しい仙女を意味しててね、幸せを呼ぶ縁起物なんだよ。うたさんにピッタリだと思って、あの文様を選んだんだ。
今はこんなに劣化しちゃったけども!
まぁ、ボクもジジィになっちゃったから、うたさんのこと言えないけどね」と、先生は顔をくしゃくしゃにして笑った。
一緒になって笑いながらも、自分では調べもしなかった文様の意味を聞いて、胸がいっぱいになってしまう。
「私ね、先生。あの時、着物を着て行けなかったこと、ずっとずっと後悔してきた。
せっかく先生が描いてくださった着物だったのに・・・。
本当にごめんなさい。でもね、大切に着てきたし、これからもずっと大切に・・・」
不意に言葉に詰まった私の背中を、トントンと温かい手が撫でた。
改札の前で、「またね、先生。気を付けて。展覧会行くから、連絡くださいね!」と軽くハグして、私はみんなのところへ戻った。

 

 

今年の春。
先生は約束どおりグループ展の葉書を送ってくれた。
3月下旬、街なかにある県美術館での展覧会だった。

でも、医療機関と連携している勤務先から、「生活のための必要最低限の外出」以外を自粛するよう命じられていた。
迷った。
先生の年齢を考えると、いつまで展覧会を開けるかわからない。
観ておくべきではないか。
会場にいるだろう先生に、会いにいくべきではないか。
迷いに迷って、結局、私は行かなかった。
先生に、お詫びと残念な気持ちを手紙にしたためて。
またしても私は、後悔をひとつ胸にしまった。

仙女の花籠が描かれた訪問着の似合う美しいモデルには、もうなれないけれど。
先生、もう一度会えたら、その時は。
また、酒豪たちの片隅で、ウーロン茶で乾杯しよう!
ありったけの祈りをこめて。

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!