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才能を持ってしまった者達の悲哀と運命。フェイブルマンズ感想

スピルバーグの自伝的映画。フェイブルマンズ(複数形になっていることに注目されたい)。幼少期から青年にかけて、彼の一家に起こったとりとめのない出来事を一本の映画にしていく。いかにして映画人スティーヴン・スピルバーグは完成したのか。その軌跡を描く。

この映画はスピルバーグ少年がカメラを回し、編集し、みんなに見せるという場面の繰り返しで進む。とりとめのない日常の出来事。映画を編集するかの如く彼の少年時の家族の生活を撮り、編集し、観客に見せる。その営みがメタ的に一本の映画になったのがこの作品だ。スピルバーグ自身、撮影中、自身の記憶の再現映像が目の前で流れるのは奇妙な体験だったと語っている。

フェイブルマン少年(スピルバーグ)は凄腕のコンピュータ開発者の父と、プロピアニストを家族のためにあきらめた母の間に生まれた。父のエンジニアリング思考、母のアーティスティックな情動を受け継ぐ。やはりその性分が映画作りの中でも生かされる。

幼少期に両親に連れられて見た映画の列車事故の場面に心奪われ、その再現映像を撮ったのが最初の作品だった。その後も、家族の記録映像のカメラマンになったり、友人たちを集めて映像作品を撮ったりと夢中になっていくのだ。
純粋に映像を作ってみんなに見せるのが楽しくてやっていたが、やがて自身の才能が人々に与える影響に恐れだす。映画を作るというのは、世界を暴き、あるいは捻じ曲げ上書きするXK現実改変シナリオKetel実体並の危険なもので、予期せぬ事態を引き起こす。初めは嬉々として観客の反応をうかがっていたが、彼の身に起こった数々の出来事を契機に、徐々に観客の顔を見るのを恐れていく。

彼の才能は優れた作品を次々に生み出していったが、同時に家族を含めて人々は彼のもとから徐々に離れていった。
「なんで映画を作りたいんだ?自らの心を引き裂くのに?」
叔父に言われる。
芸術家の血はライオンの血、エンジニアの血は猛獣使いの血。猛獣使いはライオンに首を嚙みちぎられる。お前の才能は栄光と引き換えにきっと人生の多くを要求する。それでもお前は映画をやめられないだろう。それが性なのだ。
叔父に予言めいた指摘をされる。
後に、両親が離婚をするという発表を家族の前で打ち明けられる。泣きわめく妹たち。家族の不和、学校でのいじめ。スピルバーグの心もまた引き裂かれていた。しかし、同時にその場面を俯瞰し、カメラを回す自分の姿も強くイメージしてしまっていた。ライオンの血がいよいよ開花した瞬間だ。

後に、キャリア形成を後押ししてくれた巨匠に問われる。芸術とはなにか分かるか?(その問いの答え合わせはせずに)地平線を画面の下に持ってくると面白い。逆に地平線を上に持ってくるのも面白い。だが、真ん中に持ってくると死ぬほど退屈だ。

人種の問題もあるだろう。家族の悩みもあるだろう。芸術とは、映画を作る意味とは何だろうか・・・。そんな問答はどうでもいい。ひたすらに面白いものを作れ。そう言っているのだ(と思う、常人には天才同士の会話を推察することしかできない)。勇気をもらったスピルバーグは何かを確信し、新たな地平に向かって歩き出した(カメラの構図を上にあげながら)。男一人、前を向きただ上を目指す。男一人、前を向きただ上を目指す。
彼の人生は激動の、しかし、面白いものになっていくのだった。

やはりスピルバーグ、光の使い方、場面構成、画作り、視線の誘導、映像の面白さと説得力が違う。言っちゃ悪いが、話自体は本当に、世の中にありふれた、どこにでもある話だ。しかし、カメラを通して役者が演じ、切って貼ってするとなぜかこうも面白く示唆に富んだものになる。天才が、いや、天才たちが集って作る、人生から沁みだした一滴の黄金の光の雫。それが映画という芸術なのだ。

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