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オリエント・中東史㉙ ~アフガン戦争~

ロシアの南下政策と欧米列強の帝国主義植民地政策に振り回された19世紀の中東。文明の十字路と呼ばれたアフガニスタン地域は、その地政学的条件から英国とロシアの露骨な利害対立の舞台となった。18世紀にはイランからの独立を果たしていたアフガン王国は、19世紀に入って王朝交代があり、政情不安定となった。南下を狙うロシアを牽制し、植民地インドでの権益を守るために、1868年、イギリスはアフガン王国へと出兵する。抵抗するアフガン王国軍との間で3次にわたる戦闘が繰り広げられた。アフガン戦争である。

1838年に英軍はアフガン王国の首都カブールに入ったが、その蛮行に対してアフガン人(パシュトゥール人)の反発が強まり、1841年には激しい反英闘争の末、撤退する16000名の英軍を追撃して全滅に追い込んだ。翌年に英国は再出兵してカブールを破壊したものの、アフガンを完全に支配下に置くことはできなかった。その後、1878年に露土戦争が終結すると、ロシアは再び南下への動きを見せ、イギリスも再び介入を強め、植民地インドからアフガンに侵攻。第二次アフガン戦争が勃発する。翌年、英国はアフガン王国を無理矢理保護国化して外交権を奪った。国王は英軍に屈服したもののアフガン兵士たちの抵抗は収まらず、1880年に英軍は再び敗北する。その後、英国とロシアは妥協し、1893年にアフガンにおける互いの勢力範囲を分割するが、それは現地住民の生活圏を無視したものであり大国間のエゴによるものでしかなかった。こうした外部の大国による身勝手な主導権争いは世紀を超え、20世紀初頭には第3次アフガン戦争、さらに二つの大戦を経た後も、20世紀後半のソ連によるアフガニスタン侵攻、21世紀の米軍によるアフガニスタン侵攻と続いていくのである。

名探偵シャーロック・ホームズの相棒であるワトソン博士は第二次アフガン戦争に従軍した軍医の経歴を持つ医師として設定されているが、作者のコナン・ドイルは、作中でワトソン博士に「アフガンではひどい目にあった」と言わせている。当時の英国にとってアフガン戦争が泥沼の惨事であったことは間違いないだろう。にも関わらず、その後100年以上にわたって、英国のみならず、大国のアフガン介入と戦乱は果てしなく続いていくのである。単に「アフガン戦争」というだけではどの戦争を指すのかわからないほど、戦乱が常態化しているのだ。最近では、アフガニスタンの復興に力を尽くした日本人医師の中村哲氏暗殺という悲劇もあった。それは19世紀以来連綿と続く大国同士のエゴの衝突の舞台となり、戦乱の十字路と化してきたアフガニスタンの精神的外傷(トラウマ)の表出であるようにも感じられるのだ。

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