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連載 スイスの歴史⑤ ゲマインデ(共同体)

スイスの建国がハプスブルク家支配への抵抗から始まり、今もなお、ハプスブルク的な汎ヨーロッパ主義へのアンチテーゼがスイスのアイデンティティの一部となっているのは先述した通りである。それでは、ヨーロッパの中央に位置しながら、ハプスブルク家に象徴される強大な外圧に抗し続けた、その核にある精神とは何なのだろう? 言い換えれば、建国以来700年に及ぶ歴史の中で、スイス人たちは何を守ろうとしてきたのだろう?

その答えを一言で表すのは難しい。しかし、あえて言うならば、それは厳しい自然環境や生活環境の中で形成されてきた地域共同体(ゲマインデ)に根ざす、スイス独自の「自由」と「自治」と「民主主義」なのではないかと思うのである。

スイス独自の「自由」「自治」「民主主義」とは何か? それに関しては、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の孫にあたり、欧州に住んでスイスに長期滞在し、難民支援活動にも尽力した作家である故・犬養道子氏の名著「私のスイス」に、示唆に富んだ記述がある。スイスの郵便局(PTT)と郵便バスの高い信頼性に言及して、そこからスイスにおける民主主義について考察した部分である。少し長い引用になるが、御容赦いただきたい。

犬養道子著「私のスイス」(中公文庫)

『スイスにおいて民主主義は、最底辺からの政治の具体的やり方であると同時に、そのやり方によって行われる政治(例えば連邦政府直轄の郵便・郵便バス制度)が、子どもにも関わりを直接持つ極めて日常的な卑近性・具体性を帯びて、生活の中に入りこむもの、なのである。スローガンではない。理念・抽象ではない。
 ……スイスにとって決定的な意味を持つ1291年後になってはじめて、原初三州間に郵便・郵便局管轄交通機構が、盟約によってつくられた。……今日なお、PTTバスの、特に峠や氷河谷に入る運転手は、厳しい技術訓練と試験を経た、とっさの判断力に富む、沈着な、且つ山や谷を知り尽くした一定の年齢以上の人間に限られている。……山のバスの運転手は、昔風の案内人と共に、最良のスイス人の典型である。

スイスのPTTバス(Busworld Phographyより)

 バスには裏方がいる。天候・状態(岩崩れ、落石、雪崩の可能性等)、道の整備に全責任を持つ裏方である。すなわち、谷の各共同体と、共同体と一体である山岳警察。「ここからあそこまでは」この共同体が責任者。「あそこからどこそこまでは」この共同体が責任者。五十戸四百人であろうと、三百戸千人の共同体であろうと、全責任を担う点で一つである。これをも、「民主主義」と彼らは名づける。責任と自治、それによって往来・交信をも含める「自由」の保持――民主主義。
 ……九州ほどの大きさの国土に、あらゆる谷、あらゆる山ぶところをくまなく包んで、3072の、中央連邦政府より強力な最高主権・最高責任を持つ共同体がばらまかれるスイス。この共同体(常に警察と一体)を、人はいろいろに言う。近代的でないとか、閉鎖的だとか、否定的批判の方が、ことに批判するのが外国人の場合、ずっと強い。私自身、閉鎖性を認めるのみならず、ほとほと手を焼き困らされた経験を持つ。にも拘わらず、私は共同体の存在意義と、その性格の肯定的な面を見るのである。と言うより、それなしのスイスはない。……とりあえず言及しておきたいのは、少なくとも山を巡ったとき、共同体あればこそ、山の住人も山の旅人も、安全をとことん保障してもらえる、という一事である。……言い換えれば、最も基本的な相互扶助保障・政治システム――ゲマインデ(共同体)。有名な直接民主主義の屋台骨。
 だから、「スイスの民主主義は、起きあがりこぼしに似ている。いくら上で揺れてもひっくり返らぬ。トップ・ヘビーでないボトム・ヘビーがスイスである」(英国ケンブリッジ大学歴史学部スタインベルグ教授)

スイスの地方自治体(wikipedia.jpより)
26の州(カントン)が更に小さな基礎自治体(ゲマインデ)に分かれている

 だからすべてのスイス人は、世界いずこのどこの地に何十年住もうと、各人各本籍ゲマインデに所属している。万一何かの災難・失敗・挫折に遭遇して尾羽打ち枯らした際は、その所属するゲマインデに戻ればよい。ゲマインデは彼(彼女)に対し、「死ぬまで」の扶助責任を持つ、そしてそれを果たす、のである。……要約すれば、すべてのスイス人は、「(帰るべき)根を持つ」土地に密着した、稀有の国民、なのである。
 ……ほんの十数キロでも、4000メートル級の山に囲まれた地では、たちまちに環境条件はちがってくる。どんづまりゲマインデと、次のゲマインデとでは、したがって、「生のためのルール」は、いささか異なってくる。いわんや、平地のゲマインデのルールとは、全く違うルールでなければならなかった。
 各自のいま選び取った土地・自然・山岳・谷の条件に見合うルールを守り抜いたときにのみ、各ゲマインデは、自由に、生きることができたのである。「自由・自治・責任」は、かくて一体となった。
 そしてこの、それぞれが、責任を持って守る自治(と自由)のゲマインデおのおのが、互いの持つ「異なるルール、異なる生き方」を認め合いつつ、相互共存のために、対等に立って関わりを持ち合う生き方を始めたとき、それはそのまま、民主主義にまっすぐ通じたのである。
 ……ゲマインデは、決して大きくならなかった。なろうとしなかった。「大きくなること」は、あまりにも限られた条件下、致命傷であったから。
 今日なお、私たちはスイスの各地に、各谷に、何百人という小さな単位のゲマインデを見出す。スイスのような地において、またその土地条件が長い年月をかけてつくり上げた独特の発想法において、「小さいことは善いこと」なのである。この条件と発想法は、さらに進んで、マスプロの大量生産や、大マスコミというものを、強く拒否するところまで行く。
 ……いくたび、私はスイスの、属する階層や年齢の全くちがう友人たちから聞かされたことだろう。「ごらん、このスイスのアルプスを。山地を。谷を。氷河土を。それらが、われわれを宿命づけたのだ」と。』

(犬養道子著「私のスイス」より)
アッペンツェルのランツゲマインデ(青空議会)
住民の全員参加が原則(swiss infoより)

ここに活写されているスイスの「自由」と「民主主義」は、アルプスの厳しい自然条件の中での生活を通して必然的に生み出されたものである。それは古代ギリシャ・ローマの特権階級であった「自由」市民による「民主主義」とも異なるし、近代以降の自立した個人を主体とした「自由」や「民主主義」とも異なるし、欧米に追いつき追い越せということで形から入った日本の「自由」や「民主主義」とも異なるものだ。一見、不自由に見える共同体を土壌として、そこに根づいた独自の「自由」と「民主主義」。それこそが、ハプスブルク的なもの=「大きいことはいいことだ」的発想に抗して、建国以来、スイスが守り続けてきたものだと言えるのではないだろうか。


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