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裁判記録を読んで-特別養子縁組

特別養子縁組で迎えた子どもの裁判が先日終わり、正式にうちの子になった。
男の子で養子だからヨーヘイと呼ぶことにしよう。

裁判記録の閲覧と複写の許可が出たので、夫が裁判所で記録をコピーしてきてくれた。
わたしたちは初めて、ヨーヘイがうちにきた経緯を知ることができた。

詳細を書くことはできないから、一言で書くと「貧困の連鎖」というものだった。
テレビや小説でなんども見た状況だ。
でも、それはわたしから離れたところの話でしかなく、それが現実としてここにあるというのは初めてだった。
養親研修のなかの、養子となる子どもの背景を説明する章で「容姿や学力を高望みしているのではなく、普通の子を望んでいるだけだと皆さん言われるのですが、普通の子は養子として託されません。養子になる子は特殊な状況の子どもばかりです」と言われたことを思い出した。

ヨーヘイを託したことで、生みのお母さんの生活が好転していればと願っていたけれど、記録を読む限り変わっていないようだった。ドラマのようにはいかないのか。経済的に困窮した状況が続いていて胸がつまった。

今までも生みのお母さんの幸せを願っていたけど、記録を読んでさらにその気持ちは強くなった。
経済的に不自由なく、親ガチャにも恵まれたわたしたちにそんなことを願われても、ウザいだけだろう。
今はそれでいいから、この世界に自分の幸せを願っている人がいることが励みになる日がいつか来てほしいと思っている。

そしてヨーヘイへの気持ちも変わったように思う。
今までは「うちに来てくれた守るべき存在」という思いだった。赤ちゃんという無力な存在を周りの大人が守ってここまで来てくれたと思っていた。
でも、あの記録を読んで「よくぞよくぞ、うちにたどり着いた」とヨーヘイにお疲れさまと言いたい気持ちになった(ジェーン・スーさん風に)。
赤ちゃんのヨーヘイが、生きるために周りの大人を動かしたように感じたのだ。

ヨーヘイは強運と生きる力をもっている。
中絶の選択をすり抜けた。
妊婦健診をなかなか受けられなかった状況でも、大きな病気がなかった。
特に生みのお母さんの知り合いが受診を勧めてくれたのは、メガ級の幸運だ。生みのお母さんのお母さん(ヨーヘイの祖母)は病気があってサポートできず、その近くにいた人が助けてくれたのだ。
それがきっかけで、特別養子縁組のあっせん団体につながり、孤立出産や生まれてすぐに命を失うという最大の危機を脱した。
普通の赤ちゃんにしてみれば遠くにある危機が、ヨーヘイにはすぐ身近にあった。
ヨーヘイはまだ生まれていないうちから周りを動かして、安心して生活できる(可能性の高い)環境を手に入れたのだ。

快適な胎児ライフ(?)ではなかっただろう。
喜びよりも困惑が伝わってくる日々だったかもしれない。
タバコやアルコールの影響があったかもしれない。
栄養は足りていただろうか?

そんなのも全部背負って、ヨーヘイはうちにたどり着いたのだ。本当にお疲れさまだ。

赤ちゃんにそんなのできるわけない、という人もいるだろう。
でも、解釈は自由だ。
「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」という話だってその類だろう。
わたしはずっと選ばれなかった側だからその解釈に傷ついてきたけど、救われる人もいるはずだ。

同じように、「ヨーヘイは強運と生きる力がある」と思えるのは、これからのヨーヘイの人生が光り輝くものであってほしいと願うわたしの力になるのだ。

わたしに向けてくれるヨーヘイの満面の笑みが、今日はよりいっそう愛しく感じた。

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