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承認欲求

依存症者には承認欲求を求める強い傾向がある、とよく言われます。私もあらためて過去を振り返り、人に認めてもらいたい。とか、自分を高く評価してほしい。という欲求が異常なほど間違った形であらわれていたのかを客観的にみることができました。


私は1990年代の非行少年の道を歩いていました。
1983年生まれ。小学校6年生の頃に、当時、公園にはホームレスが沢山いました。近寄って行って仲良くなり煙草を買って渡したことがあります。その時に私たちにも煙草を教えてもらいました。


中学1年の放課後、友達と遊びに行く時に冷蔵庫に冷やしてあった父親のビールを持って出掛けました。そこから当たり前のように飲むようになりました。特に私は記憶がなくなるまで飲みました。それでも周りの仲間は自制して飲むようにしているように見えました。
私は、心の中でそんな飲み方では面白くないと思いました。だから、自分は訳がわからなくなるまで飲む。そして、この時から気狂いに思われることが自分の価値を認めてもらえることだと思いました。


ある時公園でお酒を飲み、酔っ払って友達と喧嘩をしてナイフを出しました。本気で刺す気などありません。だけど周りで見てる仲間に気が触れたと思われることが狙いでした。

そうやって仲間に気狂いだと思われることが私にとって快楽になっていきました。

「アブナイ奴」だと思われたかったのです。

その深みにハマっていくと、薬物をやることはイコール「アブナイ奴」だと思われる。だから私は薬物をやってみたくなりました。


中学3年、大麻やシンナーに手を出しました。
シンナーを初めて吸った時から薬物がやめられなくなりました。

その内、アルコール中毒によくみられる手の震えが始まりました。頬はコケて、痩せていきました。
薬をやってるとハイになって、強くなれた気がしました。そして人を脅したりしました。
私は、認められているという承認欲求を飛び越えて、挙句の果てに精神異常を起こしました。

妄想、幻聴、幻覚。

薬物に出会う前の私は、人より凄い、人より面白い、こいつとずっと一緒にいたい、キレるとアブナイ奴。こんな評価を私は求めていたんです。
つまり仲間外れにされたくなかったんだと思います。みんなの注目を浴びて、みんなの的になりたかったんです。


寂しがり屋の私が取った思考や行動は異常な形であらわれました。


実母をなくし、義母に育てられたことでは、私の求めていた愛を埋めることはできませんでした。今だから義母が3人の子供を受け入れて、育ててくれたことを感謝してるし、ほんとにすごいことだと思う。

でも、当時の私は生まれてこなければよかったと思っていました。自分は不幸な子だと。

そして間違った異常な承認欲求はこんなふうにあらわれてきました。


自分を認めてほしい。自分を価値ある存在として認めてもらいたい。そう思うことは誰しもあることかもしれない。

だからこそ、自分は愛されていることを知ってください。

辛い時期や苦しい状況にあって、人から相手にされていないと思ったり、自分は存在価値がないと思っても、あなたを無条件でそのままを愛してくださる方がいます。

私は少年院、医療少年院、ダルク、精神病院を繰り返し、このまま人生に希望を持てないで生きていくと思っていた時、イエスキリストに救われました。
神様はあなたを愛してます。

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。
 わたしはあなたを愛している。イザヤ書43:4

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