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Joy

私は息子を捜す旅をしていた。

私の愛息は、羊たちと駆け回るうちに、行方がわからなくなった。幼い子どもであるから、そう遠くまでは行けないだろうと考え、妻や仲間たちと、近隣をくまなく捜した。木の陰や、大樹のうろ、近くの森のしげみ、小川の淀み……思いつく限りのすべてを捜した。
一度のみならず何度も、何人もで捜しまわった。祈りは毎夜、熱心に捧げられた。しかし息子は見つからなかった。
人さらいとは思えず、事故の痕跡も見当たらなかった。小さな平和な村での不穏な出来事。訝しく、どこか不可思議でさえあった。まるで神隠しのようだった。

私は、彼が命を落としたのではないと、強く強く信じていた。どこかで、なに食わぬ顔をして生きている、と。

しかし妻は、そうとは信じなかった。息子は亡くなったものと深く嘆き、神を恨み、私を責めた。彼女は、私が息子から目を離したからだと、ひどく詰った。半狂乱に泣き叫び、私は妻のそばに居ることさえ許されなくなった。

私たちは、かけがえのない、かすがいの子をなくし、別れた。そうするよりほかになかった。
私は羊飼いだったが、羊たちはすべて妻に渡した。羊たちを世話していれば、貧しくはあっても、これから先も生きてゆけるだろうと算段した上でもあった。

そして私は無一文同然になり、着の身着のままの体で旅に出た。もちろん息子を捜す旅だ。誰にもなにも告げずに、もう二度と戻ることのない故郷をあとにした。

旅に出てからも、息子が生きていることを、私は心のまなかで、むやみにも確信していた。息子に会いたい一心で旅を続けた。
とはいえ、時折、一抹の不安が過り、その思いを振り払えぬ夜もあった。その暗く永い夜は、一夜ではなかった。雨に濡れ、寒く凍え、飢え渇く夜には、特に不安が押し寄せた。
それでも、信じていた。

私には信仰があった。生まれたときから、毛頭疑うことなく、神を信じていた。神は、決して私と息子を見捨てはしないと、固く信じていた。
いや、そう信じるために、半ば神を試すように、旅をしていたのかもしれない。

息子の影かどうかも惑う影をたどる旅。
そのうち、何者かが私のあとを追ってくるのを感じた。気配や視線のような、息を潜めて佇むような何者か。初めは気のせいだと思っていたが、気配は日に日に強まった。

ある月夜、私は青白く透けながら光る羊をみとめた。森のなかの清流の岩場に腰かけ、わずかな木の実をかじっていたときだった。不意に、上方の空ではなく、前方に明るさを感じ、目を上げると、光る羊がじっと私をうかがっていた。空腹と疲労、茫とした月明かりから、まぼろしかと思ったが、私が呼びかけると、羊はそばに来て、しまいには私にすり寄ってきた。

青白く光る羊は、見た目には現実感が乏しかったが、触れてみると、羊毛のごつごつと縮れるのや、ふわふわとあたたかいのを感じた。呼吸や体温、筋肉の動きも伝わってきた。
羊飼いだったこともあり、羊はいまでも特別いとおしく感じる。懐かしい思いも抱いた。羊を撫でているうちに安らいで、その夜は間もなく寝つき、いつになく深く眠った。

目覚めた朝にも、羊は私のそばにいた。夜よりもはるかに透明な、仄かに発光するような姿だったが。
私を追うような、背後に感じてきた気配は、どうやら、この羊だったらしい。そして、その日を境に、羊の気配は、前方に感じるようになった。私は、透明な光る羊のあとを追うようにして、旅を続けた。

往来のある道の途中、立ち寄る村々で、私は息子の消息をたずねてまわった。事情を話し、息子の特徴を伝えると、どの人も、記憶をたどり、熱心に思い出そうとしてくれた。まったく見当違いと思われる情報も少なくはなかったが、皆、親身になって案じてくれた。そのことが、ありがたかった。いたわりとあわれみの思いが、心身に、滋養のように沁み入った。

そのうちに、有力な情報も得られた。息子らしき少年が巡礼の列のなかにいた、ということが複数の人によって記憶されていたのだ。
橙色の袈裟を着た、異教の巡礼のうちの、十歳にも満たない少年。
息子である確証はなかったが、その巡礼たちの足跡をたどり、異教の中心地の街へ向かう旅を、私も続けることにした。
光る羊も、私の向かおうとする先を歩いていた。私は躊躇なく歩みをすすめた。

息子らしき少年の見聞は、行く先々で得られた。巡礼者たちをあたたかく迎えては送り出す定点のような村の人々は、年端のいかない少年をめずらしく思い、気にかけ、よく記憶していた。
ある村では、息子らしき少年は、「いなくなった羊を捜して迷いこむうち、導かれるように巡礼者たちに出会った。彼らに拾われて、一緒に旅をしている」と話したという。
私は確信した。彼は生きている。生きて異教の巡礼に列している、と。
その日から、私の先導をつとめてくれていた光る羊は、いなくなった。私はいよいよ一人になって、異教徒たちが大半をしめる異国へと入っていった。目指すところは一つだ。巡礼の終点、異教徒たちの憧れの地、そこが私の目的地でもあった。

私の信仰とは異なっていたが、敬虔な思い、帰依の思いは、私も、異教の巡礼者たちも、変わりなかった。私は、異教の神にも丁重に頭を下げ、敬意を表した。

しかし、私の神は、たった一人だけだった。目立たぬよう、異国風の旅装束に身を包みつつも、胸に十字架を秘めて隠し持ち、密やかに熱心に、朝夕に祈りを捧げた。

どれほど旅しただろう。
時間も距離も、もはや気にもとめなかった。

やがてたどり着いた街には、中心に、荘厳なまでの壮麗な寺院がそびえており、その周囲は巡礼者たちを歓待する宿や商店がひしめき、華やいでいた。人々はみな朗らかで、開けっ広げに明るく、活気に満ちていた。そして、意識されない意識の深みで、同じ信仰で固く厚く結ばれていた。皆、胸のうちに、深く厳かな信仰心を持っていた。

私と彼らの信仰は、対立こそないものの、この地にあっては、全くの異教徒である私は一人ぼっちだった。しかし不思議と、孤独感や孤立感は感じなかった。むしろ、私の神が私のそばにいてくれるような気さえした。

しばらくすると、私は信仰を同じくする仲間にも恵まれた。街になじみきれぬ私を見出だしてくれる者がいたのだ。あてもなくさまよい飢えていた私は、はからずも彼らの地下のねじろへ招かれ、迎え入れられた。彼らも肩身の狭い思いをしていたはずだが、街に違和感なくとけこんで暮らしていた。堂々と居るのはためらわれるなかで、慎ましく信仰を維持していくのには、心強い仲間たちだった。

私はしかし、仲間よりなにより、私の息子を探し求めていた。息子が巡礼者たちとともに寺院のなかに入ったことは、ほとんど確かなことだった。そのあとの行方は知れなかった。考えられることは、彼が異教の寺院の若い修行僧になった、ということだった。状況や年齢を思えば、合点される結論だった。

私は、異教の寺院へ何度も赴き、息子の消息をたずねた。身の上も明かして懇願した。命懸けだったといっても過言ではない。しかし私は、己の命など乞わなかった。初めは大変に訝しがられ、無下ではなかったにしろ、半ば追い返されるようなこともあった。しかし何度か通ううちに、私の必死さと熱意に圧されてか、異教の寺院の僧たちは、私を迎え入れ、話を親身になって聴いてくれるようになった。

やはり息子らしき少年は、この寺院に身を寄せていた。特徴などを照会して、息子本人であることはほぼ確実となった。
聴けば、彼は自ら志願して厳しい修行の道を選んだという。「ここにたどり着いたのは、導きであり運命であり、一切の迷いはない」と。僧たちは誠実であり、息子を思っても、嘘など微塵もない真実であり、心のどこかでは納得していた。「それが然るべき流れであり、彼の運命なのだろう」と、すでに気づいていた。
しかし私は、胸の深みに、えもいわれぬかなしみを抱いた。刺すような、強烈に明々と射す光のような痛みだった。私たち親子は、信仰を異にしたのだ。しかも息子は修養中のため、親であろうと一目の面会もできないとのことだった。

とはいえ、息子が生きていてくれたことが、なによりのさいわいだった。

それからの月日、私は息子が修行を終えて僧となり、街に出られる日を、その街で待ちわび、待ち続けた。

頭を丸め、ひょろりと背が伸びた息子を、托鉢の列に見つけたときの感慨は、なににもたとえようがない。確かに私の子であった。遠く離してしまい、遠く離れてしまった子だったが、いとおしさに変わりはなかった。
私は異教の民たちに紛れ、列なして歩く僧たちに頭を下げた。地面にひれ伏すように身を低くした。滂沱の涙が流れていた。そうして息子が私の前を通りすぎていくのを見送った。顔は伏せて隠していたが、嗚咽を隠すことはできなかった。身を震わせて慟哭する老いて痩せた男に、息子も、父とは思わずとも、気づいたにちがいなかった。

その後も托鉢の日には、必ず最前列に列した。遠くからでも息子をすぐに見分けられた。食い入るようにまなざし、その姿を目に焼きつけた。彼らが近づいて来ると、慣例と礼儀として顔を地に伏せた。厳かな無言の列。異教徒であろうと、おのずと身は糺された。

ある日、夏の暑い日だった。汗が流れ、蜃気楼が揺らいでいたのを覚えている。托鉢の列に列していた際、不意に肩に手を置かれ、伏せていた顔を上げると、息子が私をまっすぐに見つめていた。声はなかった。しかし息子の口は「おとうさん」と呼びかけていた。私は驚き、喜びに胸が詰まり、とめどなくあふれる涙で視界がぼやけた。息子の顔をしかと見たいのにもかかわらず、涙は止まらなかった。息子は真剣なまなざしで、まっすぐに私を見つめていた。吸いこまれそうなくらい澄みきったまなざしだった。そして最後に少し微笑んだ。ほんの数秒の出来事だった。

僧が一市民を気にかけることは稀なことだ。周囲には、若い僧が、哀れによろめく、老いた貧しい男を憐れんだように映っただろう。

息子はその後も、なおも遠かった。信仰が私たちを隔てていた。私にとっても、息子にとっても、それぞれの信仰は、然るべきことであり、明け渡せないものだった。
信仰は、自分ではどうしようもなく、導かれたなら従うしかないものであり、決して棄てられるものではない思われた。父と息子であるのに、隔てられ、わかりあえない、ということ。拭いきれぬ痛みだった。

それから間もなくして、私は貧しさと老い、長年の心身の疲労からか、瞬く間に衰弱した。しまいには、息子と会える唯一の托鉢にも参加できなくなった。信仰を同じくする仲間たちが、土壁の薄暗いねぐらに私を運び入れ、交代で私の世話をし、私のために日夜祈ってくれた。

ほどなくして意識も途切れ途切れに朦朧とするようになった。いよいよ最期なのだと自分でも自覚した。

うつらうつらして気づいたとき、私を覗きこむ仲間たちに並んで、息子の顔が見えた。驚いたが、驚きをあらわすことさえ、もうできなくなっていた。息子は橙色の袈裟の姿のままだった。
彼は、私の手をしかりと握り、顔を寄せてやさしく言った。「おとうさん、会えてよかった」。
彼の顔は、朗らかに輝いていた。照り映えるというのだろうか。満面に喜びの色が表れていた。
ふと、名の通りの顔だと思った。

「ここにいる皆さんが、おとうさんの容態を知らせてくださったのです。そしてここへも招き入れてくれました。私は異教の僧であるのに。深く感謝します」

私も、息子を呼び、招き入れてくれた仲間たちに感謝ばかりだった。異教徒のねぐらに一人、訪ねて来てくれた息子の心情と勇気にも、万感の思いだった。深く厚く熱い思いが、皆のなかに流れていた。
干からびた私の、どこに水が残っていたのか。幾筋も涙が頬を伝った。声はもう出なくなっていた。涙が私の思いのすべてだった。

「おとうさん、ごめんなさい。しかし、私はしあわせです。おとうさん、私を捜し、見つけてくれて、ありがとう。ほんとうにありがとう」

そうして私の天命は、幸福のうちに尽き、閉じられた。仲間に見守られ、息子の胸に抱かれて。
これほどの幸福はなかった。

仲間たちは目を伏せすすり泣いていた。
息子だけは顔を上げ、涙のうちにも穏やかな微笑みを浮かべていた。

気づくと、私は光のような雲の上にいた。
若く美しい女性……天使だろうか……が私の傍らにいた。透けるように軽やかな彼女にも見とれたが、雲の下方に見える地球を見て、あまりの美しさに愕然とした。蒼と碧に耀く球体。大きな一つの生命のように息づく星。ああ、私はこんなに美しい星にいたのか、と感嘆した。
私は彼女に目をやった。驚きを伝えたかった。彼女は微笑んで応えたが、すぐにまた地球のほうを向いた。
なぜかそのとき、彼女のことを、いつかの羊のようだと思った。私たちは言葉なく……そう、言葉は必要なかった……共に、うっとりと地球を眺めた。

地球ははるか遠くではあったが、集中すれば、不可思議にも、息子の姿も見てとれた。
そして、にわかには信じがたい光景も見えてきた。私たちの暮らしていた街が、壊滅状態になっていた。どうやら大きな地震か、なんらかの災害が起きたようだ。懐かしい風景が無残に崩落したのを見て、つらく、息苦しさを覚えた。
しかし街や人々は、なおも力強く生きていた。息子はそのなかで、中心となって復興に携わっていた。信仰を同じくしていた仲間たちの姿も見えた。
私の生前には、ほんとうの最期に、暗いねぐらでしか、異教徒同士は会えなかった。
それがどうだろう。信仰を超えて、日の光のもとで、彼らは協働していた。輝かしい光景だった。いや、これが本来なのだ。

次の瞬間、私もその場にいて、息子たちと共に汗を流していた。同じ苦しみを抱えながら、同じ志を持っていた。この街を甦らせる、という一つの思いを共有していた。その思いは躍動していた。息子が近かった。近づけた、と思った。多くの困難を抱え、多くの大切を失ったさなかであろうと、それはえもいわれぬ喜びだった。

とはいえ、それは、一瞬のことだった。
死んだあとも、夢やまぼろしをみるのかと苦笑いしたが、傍らの天使が言った。
「いいえ。あなたは確かに、その次元にも生きたのよ」

そうだ、確かに、喜びが胸にある。夢でもまぼろしでも、やさしい嘘でもいい。奇跡は起きた。私にとっては、紛れもない実感であり、真実だった。

私は、生前には息子と信仰を別ち、わかりあえない痛みを感じながら生きた。しかしいまは、それを穏やかに俯瞰できる。朗らかに微笑める。それはもはや、痛みではなかった。

私たちは分かたれている。分からなくていい。しかし、ただ、分かたれているだけなのだ。
私たちは誰も分離などしていない、分節であるだけだ。在れと召された割れが我、とふと思った。

「あなた、喜びにあふれている。まるで息子さんのようね。似てきている」
と、天使が言った。
息子に似てきたなど、矛盾にも聞こえるが、そうではない。

「ああ、彼は《Joy》という名なんだ」
と、私は応えた。

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