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あいトリレビュー③名古屋市美術館 産む・生まれる、ジェンダーとは

「産む」とか「生まれる」という生物としての「生」とか、社会的な意味での性、ジェンダーとかを考えさせる展示が多かったな~という印象の名古屋市美術館エリア。

シャーレの中の刺繡のモチーフは、染色体で…

入ってすぐにあるのが、シャーレのような布のオブジェが天井からつり下げられている碓井ゆいさんの「ガラスの中で」。作品タイトルの英語名は「in vitro」。医療系の論文で勉強したなぁ…と遠い目(試験管レベルの実験などはin vitroで表現されるので)。

シャーレの中に刺繡されているモチーフがかわいい。染色体のように対になっているそうだ。天井の窓から光が差し込むととてもきれい。
生命がどんどん〝科学〟で解明されつつある、シャーレの中で命がどうなっているのか……。そういえばゲノム編集ベビーを生ませたと発表した中国の研究者もいたなぁとぼんやり眺めた。

人工授精で望まれた命と…

そんな命の誕生と科学についてさらに踏み込んで考察していた作品が、青木美紅さんの「1996」。

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彼女は18歳の時に、母から人工授精で生まれたことを知らされたという。そして、それはクローン羊のドリー誕生の年でもあった。

奇しくも世界初のクローン技術で生まれた羊の「ドリー」と同じ年に生まれた彼女は、以降自分を含めた「選択された生」にまつわる偶然と必然、与えられた祝福と呪詛について考察を続ける。(あいちトリエンナーレ作家解説より)

青木さんが「生ってなんなのか?」をたどった経緯が、ゾートロープや刺繡された絵で表現されている。ドリーって剝製になって博物館で展示されているのか……。

この↑記事には青木さん(1996)・碓井さん(ガラスの中で)作家本人の言葉があった。

1996年は、強制不妊手術を認めていた旧優生保護法が見直された年でもある。青木さんは「運命的なものを感じ、人の手が加わる命に関心を持った」と語る(太字は記事より引用)。
碓井さんは不妊治療のすえに長男を出産した。世界初の体外受精児が誕生したのは1978年。「約40年しか経っていないがいま広く行われている。自然に妊娠できないのに医療の力を借りてうもうとしていいのか」と葛藤した胸の内を明かし、「新しい情報から、新しい感情がうまれる」と話す(太字は記事より引用)。

「命」にどこまで「科学」が入り込んでいくんだろうか、その線引きはどこに、誰の基準でなされるのだろうか。悶々と考えてしまった。

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ドリーのぬいぐるみはかわいい。

同じ性別の生きづらさに共感した

そして別のnoteでもふれたモニカ・メイヤーの「the Clothesline」。

女性が否応なく遭遇する、数々の体験が吊されていて、同性のわたしは「分かる分かる分かる分かる」と共感した。小さな頃から「男に生まれたかった」と思うことばかりだったから。これまで「女に生まれたかったな~」という男性に会ったことないしなぁ…。

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でもだからといって男性に「楽して生きてずるい!キー!!」って言いたいんじゃなくて(そう思ったことがあるのも事実なので反省だけど)、差別による痛みに思いをはせてみない?そして一緒にしんどいことをなくさない?ってことなんだよね。逆に男性の呪いや生きづらさにもスポットを当てる流れになってきていると思うし。
いずれにせよ生まれた性別による生きづらさがまだ残ってるような社会、ほんと早く変えないとって思うよ……。

モヤモヤして消化しきれない展示

それが現代アートの醍醐味でもあるんだろうけど、モヤモヤが残ったままの展示も。
パスカレハンドロの「サイコマジック」は、どうとらえたらいいのか分からなかったな……。彼の元に悩みを相談に来た人へ、(わたしには理屈のよく分からない)儀式を与え、彼らが恐れている物事を乗り越えようとさせる〝アート・セラピー〟。
彼らがアレハンドロ・ホドロフスキーに送った手紙が展示されている。みんな言われた通りにやって、「見方が変わった」とか感謝している。

舞台に立つホドロフスキーが、客席に向かって「笑え~」と叫び、観衆が大声で笑い出したり踊り出したりする映像は………ちょっと宗教っぽくて怖い。でも彼らはめっちゃ開放的になって楽しそうですっきりした顔をしている。
人が「救われる」と感じるものって実は科学や医療じゃないのかも、とは思った。民間療法にも通じる話だよなぁ。

映像作品で見入ったのが、藤井光さんの作品
日本統治下の台湾でつくられた国策プロパガンダ映画を、藤井さんは、愛知県内で暮らす若い外国人たちに演じさせて最構築した。

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日本統治下の台湾で製作された国策プロパガンダ映画「国民道場」では、10分29秒の映像の中に、現地の台湾人が「皇民」、すなわち「日本人」になるための一連の訓練や宗教儀礼の様子が記録されている。それはまさに個人の感情を一切排除した「無私」「無情」の映像であり、当時の軍国主義・植民地政策の価値観をそのまま体現するものであった。(あいちトリエンナーレ作家解説より)

今このプロパガンダ映画を見るだけで、恐ろしいと思った。「絶対にもうないよ」なんて言えない気がして。うつろな表情で「再演」する現代の外国人の顔つきがとっても怖い……。

番外編、the発想の勝利

番外編。名古屋市美術館で「うぉー発想の勝利ーーーー!」と思ったのが桝本桂子さんの絵柄が飛び出す陶芸作品。大好き。家にモノを飾る習慣はないけど、これならほしい……かわいい……

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あと英語が分からないセルビア人たちに1984年にヒットした英国バンドの「Shout」を聞かせ、文字にしてもらう映像作品「Shoum」も、うーんすごい発想だな!とうなった。
小学生の頃、「耳をすませば」の主題歌カントリー・ロードにどはまりし、なんて言っているか分からないけど歌いたくて、カタカナで必死に構成したのを思い出した。

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こう振り返ると、名古屋市美術館だけでも見応えあったなぁ。

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