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「やせ=ステキ」の価値観 ちょっとかわしたら楽になるかも

4月30日に開かれた、モデル&ボディメイクトレーナー佐々木ルミさんと文化人類学者の磯野真穂さんのワークショップのレポートです。

180cmで同じ人間とは思えないところから足がはえているルミさん。ご自身も過食の経験があって、今回のワークショップを開催したそうです。

20代からモデルとして活躍。その頃は、「30になったら、結婚してモデルの仕事は終わり」という雰囲気だったそう。
20代後半で、自分の仕事への不安や、彼氏と別れたこともあって、だんだんと食べることでストレスを発散するようになったそうです。

オーディション前にジム行ってダイエットして、終わったらストレス発散で食べる、の繰り返し。

ルミさんは「暗黒の30代。過食とやせることを繰り返して、体も心もボロボロ。おいしくご飯を食べたことがないし、体形だけで自分を判断することに疲れてしまった」と言います。

「普通に健康になりたい 幸せになりたい もう『やせ』とかどうでもいい」

そんな思いが募って、子どもの頃に食べていておいしかったものを口にするようにして、徐々にトレーニング(運動)を始めたそうです。

今日は何もしたくないなと思っても、「とりあえず一個筋トレやってみる」。そうすると、「始めたんだからもう一個やるか」と思える。

小さいステップを積み重ねて、達成感を得て。気づけば、過食していた頃には失っていた自信が戻ってきたそうです。

「ヨガでもランニングでもいいから、体を動かしてみて。スッキリするから」と言うルミさん。(確かにそれは分かる。わたしはホットヨガに行くんですけど、汗かくと嫌なことも一緒に流れていく「気が」する)

トレーニングを始めてから3年ぐらいは過食の波があったけれど、「<食べた自分>も許しながら、少しずつ元気になった」と振り返ります。

同じ体重でも、身長や筋肉量で、全然違って見える。「1キロの増減で『あー』と思わないで、自分が心地よくいられるかたちを見つけて」とアドバイスしていました。

文化人類学の視点から 磯野真穂さんのお話

磯野さんは、ボディメイクトレーナーでありながら「ダイエットから距離を置いて」と話すルミさんが「面白い!」と感じて、このコラボを決めたそう。

アプローチはがらっと変わって、文化人類学の視点でこの社会を見つめてみます。

雨漏りのひどい家の中で困っている女の子。長靴と傘を買ったけど、どんどん水があふれて床上浸水。ついに風邪を引いちゃう。風邪薬をのんでも寒くて全然よくならない…どうしたらいいの?

みんな「家から出ちゃえばいいのに…」と考えたのでは?

日本社会の「やせ」への視点って、実はこの家の雨漏りと似てませんか?というのが、磯野さんの視点。

夕方のテレビ番組では、「あのお店がおいしい」といったグルメの情報が流れ続ける。その一方で、「糖質制限」「ダイエット」の情報があふれる。ふっくらすれば「太った?」と言われる。体重が重いことが「ネタ」として笑われる……。

「すごくやせたい!」と思ってしまう人に対して、

「うまく(適度に)やせられないあなたに問題があるよ」「自分の考え方を変えてみたら?」というアプローチは結構あるのに、

「日本社会の価値観(家)から出たらいいんじゃない?」というアプローチはあんまりないよね?、という指摘。うなずいちゃう。

磯野さんは、「今の日本の<やせた方がいい>という価値観から、完全に外に出るのは難しい。でも、この社会の仕組みを知ることで、『価値観をかわす』『どれだけ影響を受けるのか決める』ことはできるのでは」と提案します。

キーワード①【差異化の欲望】

せっかくだから難しい言葉を覚えていって、と磯野さん。文化人類学への愛がビシバシ伝わってきます。笑

この「差異化の欲望」ってなんでしょうか?

わたしのグループの女性が「同じ冷蔵庫が100年もっちゃったら、誰も買わないよね」。確かに。何かを少しでも変えていかないと、経済が回らない。みんなお金を使わないし。

ちょっとでも今より、他人よりよくすることで、経済がまわっていく。

女性の身体は、差異化の欲望の中で絶好のターゲットとのこと。ダイエットで少し体重を落としても、まわりが同じぐらいやせていたら、「やせた」ことにはならない。磯野さんが以前インタビューで言っていた「やせは競争」という言葉を思い出しました。

磯野さんは、違いを追いかけている間に、「自分がどうなりたいのか」がなおざりになっていないか?と問いかけます。

「シンデレラ体重」と呼ばれるBMI18の数値。これは、英国では栄養失調の基準のひとつなんだそうです。糖質制限も、もともとは糖尿病の治療法でした。「エビデンス」と呼ばれるものが変わることもありますもんね…。

キーワード②【数字の性格】

次は「数字の性格」です。

数字って「レベルづけ」にもなりがち。身体は多様性があるのに、その多様性を排除して、順番づけする力があります、と説明する磯野さん。

「この数字とどのぐらいお付き合いしたいですか?」

体重、偏差値、年収……。便利な面もありますが、行き過ぎてしまうとちょっと怖いかも、とわたし自身は思います。体重を100グラム落とすことにこだわりすぎると、だんだんご飯も「糖質20グラム」といった数字に見えてくるかもしれないし、大事なものを色々見落としてしまうような気がします。

キーワード③【身体の力】

磯野さんは、「自分の身体の力を信じてみませんか」と提案します。

紹介してくれたのが、数字や色という概念がないピダハンというアマゾンに住んでいた民族。夢がめっちゃリアルで、「精霊」が「いる」と信じているそう。どんな暮らしをしているのか、グループごとに妄想してみました。

わたしたちのグループからは、「他のコミュニティとやりとりするならお金が必要だけど、数字なかったら無理だよね」「他から何かを奪うとかいう考えはないのかな」「住んでる人が少なくてお互いの顔を知ってたら、数える必要ないよね」なんていう意見が出ました。

ピダハンは、どんなに教わっても、1桁の計算さえできなかったそうです。「数字は、思考のテクニックが必要。個々の違いを排除しないと数字にできない」と磯野さん。

色だって、ピンクと一言にいっても、それぞれ違うピンク。同じ色とくくる(抽象化する)ことができないと、確かに使えない概念です。

磯野さんは「私たちの社会は『抽象化している社会』」と指摘します。

糖質、脂質、カロリー……。数字は個性をとりのぞいて横並びに出来ます。

でもピダハンが大事にしているのは「体験できるもの」。だから夢はリアルで、現実なんだそうです。もし夢で有名人に会えたら「会えてよかったね!(実際に、という意味)」なんだそうです。(それってすごいハッピーかも…。)

磯野さんは「何かを<する>でも、<食べる>でも、どういうことを体験すると心地良いのか、身体の力を信じてみたら」と話します。数字にしばられた社会の価値観から、少し逃げられるかもしれません。

きょうは○○キロカロリー食べたのか、なのか、

○○さんと食べておいしかったな、なのか。

そんな話をうかがったあと、中目黒のはな豆さんで食べた野菜たっぷりのランチは美味しかった~。

大豆をテンペ菌でかためたメインディッシュは、まるでお肉みたいな歯ごたえ。ジューシー。

それぞれが、食やダイエットについてどんなことを感じているか、初対面の方ともいろいろ話せてとっても充実した時間でした。

こんなワークショップが中学生とか高校性ぐらいであったらなぁ。「自分の身体はダメなんだ」とがっかりすることなく過ごせたんじゃないかな…と思う。たとえ誰かの身体をうらやましく思うことがあっても、「みんな違ってるんだから、仕方ないこともある」って考えられたかも。

少なくとも、自分のまわりにいる人たちや子どもと話すときには、「こんな考え方もあるよ」って説明できる大人でありたいし、わたし自身も適度に数字とおつきあいする生き方をしていきたいな、と思うのでした。

みんなで楽しく食べるごはんは、おいしい。

しかし文化人類学ってとっても面白い学問。わたしは身体表象論のゼミだったんだけど、大学時代に出会ってたらのめり込んでいたかも。

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