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小説『We laugh in the innocent world』


長い夢を見ていた。


テレビから流れてくる、ビッグアーティスト死去のニュース。悲しみに暮れるファン、旧友からのコメント、通夜、葬儀、お別れの会、出棺。

「日本の音楽シーンを駆け抜けた人物が、また一人旅立ちました」手垢がつくほど繰り返されてきたアナウンサーのコメント。

そこでぷつりと場面は切り替わる。

そのアーティストのライブの中に俺はいた。なぜ死んだ人間のライブを俺はいま見ているんだろうか、そんな大きな疑問は、観客から湧き上がる大歓声と乾いたギターのリフにかき消されていった。

刻々と様変わりしていくステージの上で、その人は一心不乱に音楽とぶつかっていく。絞り出すような声、野太い声、煽り、すべて計算されているのかと錯覚するほど、あっという間にそのパフォーマンスに魅了されていく。


おかしいな、
おれは今までいちども
この人のライブに行ってないんだけどな、

ああ、これは、
親父にかしてもらったライブの姿だ

ブルーの下地にラメが入った花柄。ファンにだけはわかる特徴ともいえるあのエレキギターを抱え、澄み渡るような声をアリーナ一杯に響き渡らせる。閃光のように鮮やかに駆け巡っていく色彩と演奏は、俺の脳裏を無残に炙り焼いていく。

ああ、ステージのうえを、
思う存分走り回っている、

もう、この人を、みれないのか、
かなしいな、


意識はそこで途切れる。

目を開けると、いつもと何も変わらない自分の部屋が広がっていた。
頭が随分と重たい。前の夜にセットしておいた睡眠解析アプリは、快眠度を「56%」と指し示した。随分と浅い眠りで、とても気分が悪い。


天気予報を確認する。今日も夏らしくいい天気になりそうだ。降水確率は午後少し高い。折り畳みの傘を準備する。


シリアルで雑に朝食を済ませると、クリーニングから帰ってきたばかりのジャケットとワイシャツに腕を通す。今日は週に一度、がん中央センターに行かなければならない日だ。ゆうべからそのことを考えていたせいなのだろうか。だからあんな夢を見てしまったのかもしれない。

なるべく少なめの荷物にして、右足から家を出る。

最寄り駅から電車で1時間。そこからバスで30分。
【府立がん中央センター】
彼女の入院先である。

受付で面会だと伝え、7階の病室に向かう。
ドアを開けると、ベッドに横たわる彼女。元気だった頃よりも、随分と青ざめた顔になってしまった。血の気が感じられなくなってきている。


頭を撫でながら、優しく問いかける。

「調子はどう?」
「うーん、良くはないかな」
「そっか」

ベッドの脇の椅子に腰を下ろし、僕は彼女と話す。

「ちゃんと食事できてる?」
「あんまり。熱もひどかったし、かなり弱ってるよ」
「栄養付けないとだめだよ?」
「わかってるよ」

まるでまどかの母親みたいな口をきいている。
わざわざ俺が言わなくてもまどかは十分わかっているはずなのに、かける言葉が見つからなくておざなりにそんなことを話してしまう。

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「様子はどうなんですか?」
「一応、手術で出来るところまで切除はします。ただ、後は本人の体次第としか言えません。どこにも転移しないことを祈るばかりです。」
「そうですか……」

担当医は、いろいろな資料をとっかえひっかえしながら、まどかの病状を俺に説明してくれる。しかし、発症から何か月経っても実感が伴わない。まだ心のどこかで、今置かれている現状を信じ切れていない自分がいる。

医者の話は正直苦手だ。

真剣に聞いているつもりでも、頭の中がぐるぐる混乱してきて、結局ロクに理解できない。それではまどかのためにならないと、心ではわかっている。現実は一秒たりとも待ってくれないんだなぁ。

「・・・駿一さん?」
「はい?」
「大丈夫ですか?」
「ああ・・・すいません、ちょっと考え事を」
「そうですか?・・・とにかく、まどかさんは、他の患者さんと比べてもかなり持ちこたえている方です。我々としてもなんとか完全な回復に向けて治療をしていきたいと、憂慮しているんですが……この手術に限っては、本人の体力次第なので」

頭のなかを色々なことが駆け巡っていく。

「なんとか、よろしくお願いします。まどかが少しでも回復できるように。」

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先程、担当医に言われた言葉をふと思い返す。
まどかの体をがんが蝕んでいることが分かって、既に2年が経っていた。予期されていた進行速度よりははるかに遅いものの、病状は良くない。

内臓の状態も深刻でついに切除を余儀なくされ、まもなくまどかは手術に入ることになる。

まどかの不安が見事に移っているようで、俺も不安を隠せずにいる。彼女の前では気丈に振る舞っていたいのだが、心が付いてきてくれない。

「お医者さんは?」
「ん?」
「お医者さんはなんて言ってたの?」

「ああ・・・」

「・・・まどかの体はかなり頑張りきれてるみたい。手術の結果によっては、いい方向に進むことも見込めるかもって。」
慎重に言葉を選んで話す。
少しでもいい意味で捉えられるように、でも、嘘にはならないように。

「そっか」
努力が伝わったのか、そうでないのか、まどかの表情がすこし緩む。

俺は痛々しい気持ちになり思わず目をそむけたくなって、窓の外に目をやった。7階からだと、千里丘陵に広がるなだらかな街並みがよく見える。遠くには太陽の塔もある。


「なあ、まどか」
「なに?」
「手術の前に、何かやりたいことある?」
「なに急に、どうしたの?私死ぬの?」
「その冗談にならない冗談やめてくれよ」
「ごめんって。許して」

俺はふくれっ面になる。まどかは吹き出しそうな感じで口を抑えて笑う。

「じゃあもっと真剣にやりたいこと考えて」

しばらく考えて、まどかは口を開いた。
「じゃあ……」

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数日後。
「まどか!持ってきたよ。」

今日の俺はかなりの大荷物だ。
大きなスーツケースを病室に持ち込む。開くと、中には大量のCDと古ぼけたノートパソコン。中身が傷つかないようにかなり慎重に整理して入れている。

「すごい!!こんなにCDあるの!?」
「まあね~~。どれから聴く?」

「これ!このあいだ見たやつ!」
選んだCDは、羅針盤が大きく描かれたジャケットのものだった。

【旅立ちの唄】

「じゃあこれにしようか」
CDをパソコンの中に挿入する。イヤホンを準備して、彼女と自分で半分ずつ使う。
桜井和寿の優しい声が響く。

「いい曲だね…」
「きっとまどかは全然知らないだろうと思って。聴かせてあげようってね。」

「これ、いつの曲。」
「2007年ぐらいかな?」
「大昔だね……。60年も前の曲?」
「でも、色褪せないだろう?」
「うん。やっぱり昔の曲は疎くてさ…。でも、不思議。ちょっと元気出た。」

パソコンを彼女に渡し、曲を聴かせてあげる。

「親父がよく聴いてたんだ。実家にCDが残ってたからさ、洋服とかのお下がりみたいにしてよく俺も聴いたよ」

ボーカルの死を受けMr.Childrenの活動が終焉を迎えてから、もう何年もの月日が経った。今では、音楽の歴史の一ページとして取り上げられるぐらいで、脚光を浴びる機会はすっかり少なくなっていた。日本の音楽はすっかり様変わりしていた。

「まどかが【Mr.Childrenが聴きたい】って言ったからびっくりしたよ。何かきっかけでもあったの?」
「……テレビで見たの。懐かしの平成名曲特集、みたいな企画で。すごく素敵な声だったから、印象に残って……。」
「それであの時お願いしたんだ」
「そうなの」

まどかは夢中になって音楽に聞き惚れる。
時に笑顔で。時に泣き出しそうな表情で、また時には神妙な面持ちで。ころころ変わるまどかの表情に、俺も思わず笑みがこぼれる。

何年ぶりだろうか、こんな姿を見るのは。
ああ、やっぱり、まどかが好きだ。
きらめく夏の日差しのような、若く弾けていた頃を思い出す。

「私も桜井さんと同じ時代を生きたかったなぁ」
まどかは呟くように言った。

「もっとたくさん、元気でいよう?
そしたら、もっと長い時間ミスチル聴けるから」
「何それ?変な理由……。」
「こういうのダメだった?」
「ふふ、全然いいけど。なんだか康介らしくないクサい台詞だなぁって」
「悪かったなクサくて」
「ごめんって」
まどかの顔に笑みが戻る。
こんなに無邪気に笑ったのも、いつぶりだろうか。
全て、懐かしい。

「うん。ちょっと元気出た。ありがとう。」


遠い過去に置いてきたはずの気持ちが呼び戻される。
もっとこの人と一緒にいたいと、苦しいほどに思った。

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あっという間にその日が来てしまった。
心構えはしていたつもりだったのだが、やはり怖い。
手術を受ける側のまどかより、俺の方が怖がってるぐらいだ。

「どうしたの?さっきからぶるぶる震えて変だよ?」
「いや・・・緊張しちゃって」
「おかしいでしょ。私の方が怖がらないといけないんじゃないの?」
「いや、心ではわかってるんだけどさぁ」
「ほんといつも通りだね。面白い」

あの日から、たくさんのCD達はまどかの手元に残されたままである。今では珍しくなったCD対応のラジカセとイヤホンを買ってあげて、それを使って毎日のように聴いているそう。

Mr.Childrenを初めてたくさん聴かせてから、まどかの表情は前よりもやわらかくなったような気がする。体の力がほぐれ、リラックスしたようなところをよく見る。治療に対しても前向きになってきたみたいだった。

あまりにもあっさりした変わりようで俺もとまどってしまうところがあったが、それはそれとして、まどかにいい変化が現れたことをいまは素直に喜んでいる。

ストレッチャーは手術室の手前についた。
俺が立ち入れるのはここまでである。

「じゃあ、頑張って」
「うん。また会おうね」
「たくさん準備して待っているから」
「わかった。ばいばい」

彼女の手を、痛がりそうなほど強く握りしめて見送った。彼女も小さく手を振りかえし、そのまま手術室に消えていった。

彼女に手が届かなくなっても、心の中で、強く、強く、何度も背中を押す。

もう二度と会うことはできない憧れの人に、
強くお祈りをする。

どうか、天国から、
まどかの無事を祈っていてください。
少しでも彼女との時間が長くなりますように、と、
欲張りな願いも込めて。

どうかお願いします。
俺の大事な神様。

[完]


※この作品は小説投稿サイト「カクヨム」で2019年6月2日に公開した「We laugh in the innocent world」を再掲したものです。