見出し画像

贅沢とは

ココ・シャネル曰く。
「私は贅沢が好きです。贅沢とは、お金を持っていることや、けばけばしく飾り立てることではなく、下品でないことを言うのです。下品こそ、最もみにくい言葉です。私はこれと闘う仕事をしています。」


いや、ココ、闘わない方が。私が闘うのは自分自身のみ。


贅沢を、小さく、お金をかけずにするには色々ある。

ブルスケッタ

いかが?ワインの量は玄人だけど。それ自体もう一升爆安のもの。カップは百均グラス。フランスパンは一本98円、野菜は直売でとびきり美味くてとびきり安く、バジルなんかは鉢植えの自前。あとは酢と塩胡椒、油くらいのもんである。
あ、しらすはね、ミョウガとねぎのみじん切りとごまを、ごま油で和えただけ。昔通ってた店の突き出しで一番好きだったのを真似した。トマトの方もしらすも、キンキンに冷やすだけでもうコレが。


どうにも止まらない。泣くほど美味え。



でも、ほんとに美味しいよう、とじーんとしてると、たくさん食べなくても満ち足りる。そもそも歳も取ったし、そんなに肥えた舌でもないし。大好きなひとや、大好きな友達と一緒に食べてる気分になって、一人話して笑ってる(お許しあれ。現在躁期)。今日はKISSのアルバムかけて、時々踊り出す。


クルクマ


週に一度の贅沢品、花。安くはないがなるべくおつとめ品の中で、面白いのや好きなのを見つける。
クルクマはミステリアスで、何考えてるか分からなくて割と昔から気になってた。これの食用は、私ら酒飲みの友ウコンである(あれ、まずいから飲まない)。シャムチューリップ、ヒンズーリリーとも。これはシックな色。


眺めながら、つまみながら、音楽だの、雨を聴き、飲んで、細(ささ)やかながら、至福の贅沢。


テレビやTwitterも選んで見ないと辛くなってきた。
つい、辛くなって、消して、フアフアと浮かんでしまう。
そんな時、ほんとの友達の声が聞こえる。
私を優しく諌めてくれる。
カネをかけなきゃほんとうの贅沢も味わえないだの、貧乏だったら人非人なんて考えてるひとは少ないはずとは思うのに。そんな人たちが多数派のような錯覚をしてさ。
友人たちは、浮かんでる私の手や脚を優しくひっぱって、この世の愉悦をいっしょに遊ぼうとする。


ウン。そうね。あそぼ。シャワー浴びてくる。私の背中に、誰かが笑って言う。


「イヤな奴なんか、気にするなよ!」


ああ。それはすごーく軽くて、とっても贅沢なことね。やるべきこと、今日はもうやったし。それができるのも、うんと贅沢。大好きなひとやものがあることも。死や病が怖くなくなったことも。この雨すら気持ちがいい。見てやって、バジルとしその鉢植えの嬉しそうなこと!


ささやかなたまの贅沢。女神にでもなった気分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?