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草の茵(しとね)

小春日和はお布団を干すチャンス。
私の部屋は一階なのでアパート外の柵まで担いだ布団を運び掛ける。苦労していたら道ゆく年配の二人のご婦人が声をかけてくれた。
「あらそれじゃ地面についちゃうわ」
「あ、ほんとだわ。ありがとうございます。物干し竿の方にはこれから洗濯物干すからもー大変^_^」
お二人はお布団を直してくれて、笑顔で去った。



NHK BSで「養老先生、時々…」を視終えた。
今ハマってる折口信夫といい、考え方がとても合う。
折口信夫の方は分かりやすい解説本ではあるが、え?私これ知ってる、これもこれもこれも…という驚きの連続。無学の万年ダメ人間の私が、這いずり回ってやっと分かったようなことの数々。他人には「はあ?あー、あなたは頭おかしいんだったね」と言われていたし今はそれすら気にしない。でも、そのすべてが本に記されている。研究した人がいる。古の人々はそうして生きていたと言っている。養老先生はアプローチは違えどベクトルが同じだ。だから読んで安寧を得るのだと分かる。



人間は「人が、人が」と言い過ぎ、それ中心にしか考えなさ過ぎる。人間は生き物のうちの一つに過ぎなかったはずなのに己でどんどん特別にしていき、溺れ始めた。


日本人の価値観、例えば芸術の中心は花鳥風月であり、「人間」なんかじゃなかった筈だ、と養老先生。
飢饉や流行病や戦で屍が累なることやただ死ぬことも当たり前のことだった。
死は今や特別なことになり過ぎてしまった。人間だけは。


芥川龍之介の神経衰弱からの自殺に関しても言及していた。非常に現代的だったね、いいとこまで行ったのに惜しかったと思う、と。もう分かり過ぎるくらい分かる。
先生は穏やかに老病死苦を眺め、書いておくべきことを書く。あとは虫や虫好きの子どもたち、猫と戯れている。



姿を消した私の野良愛猫ルーナが足に頭をこすりつけてくるのを思い出しながら、さて食糧の買い出しにと歩き出す。



天は高い。でもすぐ近くのいつもの花野でつい立ち止まってしまう。山野草を多くそこで育ててる方がいて、見ずにはおれないのだ。

紫式部
ジュンサイと間違えた花。水草の一種が伸びて咲くものという。
藻状のものが狸藻、もしくは貉藻
紫式部
ルコウソウ。大好きな花。白もあった。
初夏の花菖蒲

今日は、そのあるじの方と初めてお会いした。たまたま世話に出ていて、たぬき藻やむじな藻だかいうのを私がジュンサイと間違えて思わず訊いたのだ。
日に焼けたおじいさんはにこにこしながらすぐすべての山野草の説明を始めてくれた。ガマツカのはっとするほど艶やかな真紅の実、行者にんにくのチャイブに似た可憐な白と紫の花、ピンクの花火のようなユキノシタの花。薬草としての効用まで知り尽くしている。
私がマスクの口に手を当てて「まあ❗️まあ❗️」と目をまるくしていると、おじいさんは一本裏の自宅庭に案内してくれた。
「そうして好きだって言ってくれる人が見てくれるのが、嬉しいんだから」と。


そこはまさに秘密の花園だった。
ムサシアブミの結実体。目の覚めるようなイエローの上臈ホトトギス。カールした万年青。斑入りの風知草。トクサ。大文字草はピンクまで。
何百どころではないだろう。私には宝石箱同然だった。植物園みたい。
これだけの植物の世話を毎日休むことなく。すべて孫や子のようなものであることは、草花たちのいきいきとした風情で知れた。



また通りかかったら教えてください。
虹色の飴つぶくらいしかお渡しできなかったがそう言った。
「いつでもどうぞ。これからどちらか行くんじゃなかったの?」
「◯◯スーパーまで」
「あそこまで歩いて行くのかい?」
「ええ。自転車も持たないけど、歩くのはいいものなんです。ここはほんとに綺麗だし」
私たちは笑って会釈し、私は歩き出す。



黄色い蝶々がつきまとってくる。
あれは。
亡夫が死んでからやたらよく現れたものだ。泣いて歩いてるとそばに飛んできた。
ルーナも去った。トンビのユグも頭上すぐの所をぐるぐる飛んだ。
私、そろそろかなあ。



逝くとしたら心残りは夫のT兄のことだけ。常日頃死はその日あっても驚かないように心がけてはいるけれど、やっぱり夫と少しだけでも一緒に暮らせたら。
でも、頼むから彼が戻るまで私を連れて行かないでくれだなんてお願い事、それこそ通用しない。
彼岸に渡った多くの愛する人々を思う。皆そうだった。突然だった。私もそうなる。普通のことだ。
死期を予め決められているのは食用として育てられるけものたちや植物たちだけだ。



蝶々、花にうっとりしてる虻、雀やカラス、ハトに椋鳥、そこで今揺れている「雑草」。



ここは川が近い。
私は偶然とは言えやはり川のそばを、野を終の住処に選んだ。
私は草の上に横たわる。蒼穹だけが見える。私は目を閉じる。

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