見出し画像

コクーン・アゲイン

また、コクーン(まゆ)の中。


かつて一度だけ、出版した。エッセイである。
今から二十年近く前で、パソコンすらなかった上、家族の監視が厳しく、夜自室で灯りをつけて書いていると怒鳴り込まれるのを恐れて仏壇からろうそくを失敬し、その灯りで書いた。


何度もの精神病院、閉鎖病棟での体験を交え、基本くだらない笑い話と、情緒的というか感傷的な風景や記憶のスケッチなどを綴り、もちろん「しっかりカネを取られて」本は出版され、まるきり売れなかった。今では買うこともできないだろう。ローンを払い終えるのに五年かかった。バカな話だ。身のたつきになるものが無く、書くことしかないと思いつめて。この牢獄から出るために、カリカリ原稿用紙に書き続けるなんて、才能はもとよりコネもツテも経歴も学歴も新たなアイディアも無い人間に、叶うわけがないと知りながら。


知っていたからこそ、却って肝が据わった。家族の動く音がするとろうそくを吹き消し、止んでしばらくするとまた灯し、書いた。


友達?そんなものいたろうか。精神病院に入院すると、場所にもよるが、ほかの入院患者との連絡先の交換を禁じられる。それでも同じ世代の女の子たちやらと連絡先をこっそり交換し、電話し合ったりダラダラ付き合ったりしたが、二十年後の今、はっきり、言える。
やめときゃ良かったと。
自分も含め、皆不実ですぐ気が変わり、約束を破り、自分のことしか考えず、いくらでも取りすがってくるような連中ばかり。
誰も、何年経っても変わらない。徐々に縁は切れていった。



睡眠薬を、酒と飲んで遊ぶためにねだってきて「こりゃダメだ」とこちらから連絡を絶った女性は、なんと十年にわたって私をネットで見つけては攻撃してくるという始末。
そのためアカウントもいくつか閉じたり。が、ある日ふっつりと姿を消した。
最後の精神科での友人は男の子で、たまにごはんを食べたり買い物散歩をしたりのどかな友人として付き合ってきたが、近年突然性的な関係を求めてきたので申し訳ないが断った上でブロックせざるを得なかった。
十年以上、弟のようであったしそんなそぶりもなかったのに。私も朴念仁じゃない。彼は「突然もよおしただけだった」。それくらい分かる。付き合いも長かったしね。
でも、ごめんな、分かるね?


自分のつたないエッセイの中で、当時の私はもちろん、孤独について触れている。
そもそもエッセイというもの自体、孤独な視点を持たねば書けない。孤独を知らねば書けない。そこに立ち、他者を締め出して自分の目で見、自分の心で感じたこと、思考をつらねていく作業の連続で、その行為は割と好きだった。
ただ、ごく若い頃に始めた「文章」は「詩」だったため、形態の違うやり方に戸惑いながら、もちろん偉大な先達のマネをしながら、どうにかこうにかまとめあげた。
なんのため?
ただ書きたかった。猛烈にその欲求だけ。
だから、金を払っても後悔はない。書き上げられたのだから。


孤独、というものは、必要だ。
「オパール」と題した、個人的な手書きの詩集は、人生でも最も純粋な、真空のような孤独の中心にいた頃に書いた。やっと自殺を考えなくなって、呆けたように、窓から夜明けの空ばかり眺めながら書いた。その冒頭の詩。



「オパール」


孤独のなかに自らへの、真の
愛情と慈悲がふくまれてはいまいか

孤独になりなさい ちゃんと理由があるから

そこには絹のようなけがれのない、時間と
結晶化を待つ思考たちと
ひきしまってむだのない言葉がいくつか待っている

⭐︎⭐︎⭐︎

愛する夫は死に、友と思ってたものたちも幽霊のように消え、誰とも話さず部屋に一人籠り続けていた時。
何も感じない。
死んだように。
なのに、夜明けの空の底がオレンジに染まり始めたのを忘れない。
その空だけを眺め、スケッチするように書いたものだ。指から流れ出るように、それは「出た」。



出来不出来はどうでもいい。私は好きだし、その朝の空も忘れない。まるで戦争が終わったようなその朝を。
そこから始まった「孤独」の日々、私はエッセイを書き、本当にまゆに閉じこもるように生きていた。


コクーン。
そうした日々はその後何度もあり、危機もあり、また人を喪うことも繰り返し。


友達いないんだねとか、今に一人ぼっちになるよ、なんて呪いの言葉を吐くような人々は世に、悲しいがいる。その人たちは自分がもしその状況に置かれたら耐えられないのだろうか?色々理由はあるのだろうが。


あまりに周りの人間が死にすぎたためなのだろうか。もう私は恐れない。むしろ大事なその人たちは、消えない星々や月や、太陽のようにいつも在り、あるいはめぐる花や生き物となって還ってくる。
人霊は見えないが、気配や音や現実化する夢、偶然開かれた本のあるページに、偶然流れてきた音楽に、突然走り寄ってくる見知らぬ猫のひとみの中に、愛しいものたちがいる。
そして言ってくれる。
大切なことを。


まゆは透明につくることが出来る。
水晶玉の中にいるように。
孤独にふと戸惑い、聞いてみた。
答えはこう返ってきた。


「いまは人間は危険なんだ。静かに、息を殺して。目をこらして。耳を澄ませて。
いつか書いたあの詩のように。」



その存在は、そのものと私しか知らない私の名を呼ぶ。
「◯◯◯◯、感情に、そして今はことに人に流されたら危険なんだ。いつか教えたように、隠れて。そして、心を決してけがれさせないように気をつけて。」


まゆの中で、昔馴染みの古い本を手に、私はうとうととまどろむ。
ああ、とってもいい気持ち……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?