見出し画像

ドクター・ドクター

ちゃおお。いや↑バニラ(レバニラ)が上手く出来たから。玉袋筋太郎さんの町中華視てたらたまらなくてさー。安ワイン合うよ、鶏レバ使うと。


お医者さまに行きづらくなって久しい。
理由はもちろんコロコロコロナ。
それは結果、実に私を健やかにしてくれた。



自分の体にとって一番いいもの、いいことは自分の体と心が一番知っている。
絵に描いたような健康な食事や生活、精神状態が最良モデルか?そんなことはない。
たとえばある種の病の薬は人によってレシピが違う。
場合によるが苦悶しながら酒タバコを我慢するより適度にやった方が心身にいいというのもある。私はやるよ。程度の問題なのよ、だから。


お医者さまは心身の悪い所を見つける商売。それで処置したり薬出すことでお金を貰う。私は人生で4回複数の医療機関で働き、40年間重めのめんどくさい精神疾患患者として世話にもなってきて分かったことだ。
あちらも当然、人。
こちらより余程病んでることも珍しくない。ちなみに発症したばかりの16歳の私を最初に診察してくれた精神科の女性の先生は、四十そこそこの若さで自殺された。



コロナ禍。病院に行くのはためらわれる。大変な人が沢山いるのに。
そうやって心臓発作やくも膜下とか持病の発作、大怪我なんかで亡くなられたすべての人の鎮魂を祈りながら。
痛いほどそれを知りながら休む間もなく今も勤めておられる医療の方々の安らぎが来ることを祈りながら。


ポツンと一軒家ってあるでしょ。
あれ、感動するのよ。だって家、道具、電気や水道の故障不具合、たいてい自力で直すしかない。
畑やって食べ物ある程度時給して。
もちろん、たいていの体の不具合も自力で治すようにしてるだろう。でなきゃすぐ死ぬ。


旧時代や戦後の物のない時代は?
多分同じ。医療や薬など無いに等しく、あっても金がなきゃ世話にはなれないからまじないがあった。なおかつ素直に死んだ。死ぬことは当たり前のことだった。飢饉、災害、戦、病に老い。家の中でも外でも。
死は隣にあった。特別なことじゃなかった。ピー音がかかりモザイク処理される、見てはいけないものではなかった。自然の一部に過ぎなかった。保険?あるわけねえだろ。
一休さんの正月説法が生きてくるわけだ。杖の先にしゃれこうべを引っ掛け、
「みんなこうなるぞ、覚悟覚悟」と。
和尚も余計なお世話だが、人間は阿呆だからそういう賢者に言ってもらって初めて
「…そういえばそうだよなあ」
と、冷静になれる。
死へ向かっての旅が生で、死からまた生が始まる。


自分が自分のことを大切に面倒を見てケアする。なら私が私のお医者さまだ。コロナはホント、それを教えてくれた。それ、当たり前だったと。そして、私もいつか死ぬんだわ、いっけね忘れてたと。


借り物のこの体もちゃんとメンテをして磨けば世界に一つだけのヴィンテージ。老い?それがどうかした?そんなに自然に逆らいてえのか?美魔女とか意味分からねえな。歳食って二十歳に見えたらそれは化け物だ。私はただの生き物だ。普通に老いて死にたい。そして、年経た者の聡さ美しさを、皆忘れている。年輪の美を。
私は大いに学ばせて貰ってきている。


お月さまとか眺めてると何故かすごく血流が良くなって気持ちよくなって癒されて、しかも嬉しい。
エステみたい?
お医者さまに行くのにそんな喜びはふつう無い。
あればいいな。
お医者さま側にも。
私は笑わせてあげたいな。
かかりつけの精神科のせんせは毎回笑かすことにしてる。ほんの10分。
来る日も来る日も泣き言ばかりの狂人相手をしてる優しい彼に、お笑いをプレゼント。
「あなたのような患者さんがごくたまにいる。自分で全て見てきて、理解して、自分で生きていこうとする…哲学者みたいな患者さんがね」
ここに来る前の、元マリアンヌにいた博士の先生に笑って言われた。そして、おめでとう、とも。


最初の非常事態宣言の時、事故で左腕の広範囲に重い火傷を負った。
病院という病院が診察を断る。その間も、腕はもげそうに痛み、悲鳴をあげないでいるのがやっと。皮膚はケロイドになりズルズルに剥け、ままよと駆け込んだ近所の皮膚科が「まあっ!大変」と診てくれた。
(一応救急でなんとか外科には行ったが、ワセリン塗られて包帯されて、皮膚科行ってくださいと言われたのみ)


女性のてきぱきした先生は、「良かった、うちも明日から閉めるとこだったわ」と言いながら包帯を外した。
「…あなた、今痛くないの?」
「あ、ハイ。もう痛くないです」
「まずいわね。真皮まで死にかけてるってことなのよ?この処置したの◯◯病院?」
「あ、ハイ、そこの外科の。外科の先生しかおられなくて」
「何コレ。ワセリン?あなたね、この火傷、二度よ。コレで感覚ないって、まずいのよ。感染症が今は一番怖いの。なのにワセリン?本当に医者なの⁉️
申し訳ないけど、うち一人でやってるから看護師もいないけど、ちょっと我慢できる?」
私は先生に指導されつつ、二人で私の腕の処置をした。
「薬局に指示書と処方箋出しておくからすぐ行ってね。で、ひと月以上はかかる。うちがそれまでに復帰できるか分からないけど、あなたなら自分で処置出来ると思う。今のでいいの。あなた、何かやってたの?」
「いえ、大して」
先生はカルテを書きながら住所をあらためて見たのか、言った。
「あら?あなた、あそこの角の家のお嬢さんなの?」 
「はい」
先生はニッコリした。
「三小だったら、同じ学校の後輩ね。両親がここで内科小児科やってたのよ。父は亡くなったけど。私、後継いだの」
「大先生なら、覚えています」私も笑った。



一人でやっていく。
それは別に悲壮な決意じゃない。
わくわくする。
先生方とは良き友達でいたいけど、私の体も心も、気持ちよくできるのは私だけ。自死はしないけど、いずれ来る死さえも怖くはない。
火傷は名医のアドバイスに従って自己処置し、完治。今は跡形もない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?