The price
安いよ‼️
水宮です。
安いよ‼️
こう呼びかけられてピクッと反応しない人は少数だと思う。
では、何が、一体、どのように、どのくらい安ければ、あなたの心にグッとくるのか。
食品、生活用品、ガソリンに給料、服やバッグやアクセサリーに靴化粧品、楽器にソフト、中古品に車、何かに参加する費用、はたまたうまい投資の話。
骨董の大家でもあった白洲正子は、生涯でずいぶんと痛い目にも遭ったがそれが無ければ骨董とは何かを自分なりに知ることは出来なかったと述懐していた。
レッスン料だって詐欺に遭った話だって、人によってはきちんと養分にできる。教養、知識にもできる。
それを
「キショー持ってかれたぜ‼️」とぼやき続ける人。あるいはとっとと上の段階へ行って微笑んでる人。それも個人の選択。
例えばそこに百円の菓子がある。
一方、窯変天目茶碗のように天文学的数字あるいは値などつけられない品がある。
大抵の人はそのあわいをたゆたって、何かの代償を払い続ける。選んだのは自分、という場合、文句を言うのはお門違いだが、落語によくある苦界に沈められた女郎のように親の借金や因果を背負わせれる子どももある。
安く払えば済む。
耳をくすぐる言葉だ。
こんなに安く手に入る、なんて言葉も。
しかしその数字だけを追いかけ始めた時点で多分、本当に欲しかったものはとうに見失われているだろう。
金はそれを得るための手段だった筈だ。その手段が目的に入れ替わる典型的な例。そして最期に焼き場で言われる。
「あいつは金の亡者だったよ」なんてね。生きてる内から死んでたわけだ。
妙な話だわ。
大切なひとがいる。私にはまずいちばんに夫、旦那さんのT兄だ。
だが私たち、お互いをお金で手に入れただろうか?
もちろんある程度お金は双方かけた。デートするのにも交通費から食事代から、おめかしにもお金は払う。
私は元々計算に弱いうえあまりお金に執着がないのと、恋の盲目でさらにサイフの中などどうでもよかった。だが相手のサイフの中は気になる。つまり、負担をかけたくない。好きなひとなんだから。
それまで誰かと食事をした時はたいてい割り勘が習いだった。
T兄と出会った頃、会計でいつものように私もサイフを出すとT兄は激怒した。
「俺が払う‼️」
大丈夫かなあ、と思った。心配した。様々なマテリアルを好きでもある彼だ。
かといって、私もお金持ちじゃない。そもそも貯金すらない。そんなこと自慢するな私も。
でも、いつもこんな調子だった。金のない同士で飲んでずっと話したり、なんてして生きてきた。
一緒に暮らし始めて、あんまりお金はないけど私は野の花を摘んだりして飾った。
まるで子どものおままごと。出来るのは家事と、花を生けることと、ふざけて踊ったり楽器を奏じること、一文にもならない文や絵を描くこと。
あとはいつも笑うこと。学び、笑うことを選ぶ。過去と未来と現在をつなげ、夢見、老獪に無邪気な計画を企てる。釣りしよ野球やろしゃぼん玉やろ。ずっと遊ぼう大好きな人。
相手もそうだったと思うけれど、こんな歳でも多くの人はまだまだ修行中だ。人との付き合いもその都度その都度手探り。そこで諦めて不貞腐れないようにするのは、案外ホネだ。我を通すか。折れるか。
そして、双方が折れる時、奇跡が起こる。
どんな奇跡?
この世界が美しくきらめき、その値段がまったくのただになる。思いやり合う二人の人間のあいだでは。
素晴らしい人生の秘密のショーへの、無料の招待券が手に入る。
たとえその時、もしも私たちが硬貨いちまい持っていなくてもね。
来月はバレンタイン、ちょっとフライングだったわ。なんにも心配しないんだ。信じていれば、お互い望むような人になれるし、なろうと努めるもので、そこが無料のレッスンのいいとこ。
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