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ダイエット(DIE-T)をやめるダイエット

どうも。
ダイエットでお嘆きのあなたに、人生と自らの人体実験を捧げてもうやめた水宮から、何かのヒントになれば幸いかと。



10代から20年以上、深刻な摂食障害であったことは以前書いた。
その年月と苦悶を一言で言うのはムリだ。敢えて言えば『地獄』だ。それはほかのあらゆるアディクションの人達と変わらないおぞましさだ。


その当時、ことに「デブ」な女性に人権はなかった。外でも家でも、女性は太っているだけで情け容赦なく叩かれ、蔑まれた。S.キングのデビュー作、『キャリー』。ひどい場合はあれに近い。でなくても終始いじられる。


私は少し固太りくらいの、健康体の、よく食べよく遊ぶ児童だったが、十になるかならないか位のその頃親から待ったがかかった。そのままでは少し体重がオーバー気味だから痩せるようにしろ、と。その日から、決して終わることのないダイエットが始まった。結果、私は述べたように
「おかしく」なった。


食べ物は体を太らせる恐怖の対象、異物、毒物となった。なのに体に入れなければ死ぬ。
カロリーを、グラムを、体重を、いつも計測する日々。おれは電卓じゃねえ。数字が苦手なことに加えて私は、あらゆる「エクササイズ」というものが大嫌いだった。
どうやればどこに効くか熟知しながらも「イチ、ニイ、サン…」。それを何回、何日間行って、体重は何キロでウエストは何センチで…。またまた大嫌いな算数とにらめっこの連続。


世には過度に美味い食べ物があふれ、同時に痩せてスタイルのいい美人でないとモテないよと脅すあらゆるメディアもひっきりなし。そんなん欧米圏と、日本みたいに欧米化した文化圏のみの話だろ。ごちそうを目の前に置いて、首から下を埋めた犬を発狂させて殺し、その霊を使役する犬神の呪術みたいだ。

美味いもの、YES❤️
数字カウントにエクササイズ、NO❌
キレイになってチヤホヤ、YES❤️
デブスと罵られいじけて生きる、NO❌



人間というよりは生き物としてしごく当たり前の答えが数十年の時を経て導き出された。
私は体重計を撤廃した。いらい、体についての数字は年齢以外知らない。
好きな食べ物を作って好きに飲み、タバコを愉しみ、幸せのあまり踊る。

信じられないかもだが、これで体型はずっと理想のまま。太ったら…とか病気になったら…なんて恐怖もまるでない。そんな、誰しもが今日死ぬかもしれぬ生き物なのに心配してどうする。今日が勿体無い。ダイエット?痩せるためのエクササイズ?くだらなすぎる、私にとっては。
苦悶は放り投げて、一所懸命になるなら好きなこと。好きなひとをいっぱいに想って、嬉しくなって笑って。
懸念せずとも私は世界の頂点に立つことなどなく、なればこそ私は我が心の王国のあるじだ。


ダイエットは卒業した。で、リバウンドなんかしない。だって、ダイエットしてないのだから。


それにモテるモテないは、笑顔と心意気しだい。自分や相手の腹が多少出た程度で嫌うなら、そもそも「好き」なんかではないんだよ。
愛されたいなら、こっちから「大好き❤」の先手を軽く、取る。
ゲームではない。楽しく「真剣」。そこまで思わせてくれる大した相手に、せめて可愛くありたいな。一緒に美味しいものを味わい、人生の甘(うま)さを味わいながら。

十八番、アマトリチャーナ。仕上げにバターを少し落とす。

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