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Feeler is just a child

昨日の月いちの精神科医とのセッションでふと悲しくなったので、まあよくあることと思いつつ、精神の病についてつらつらと思った。


白状すれば私も夫・T兄も、依存症者だ。アルコールだのパチスロだのタバコだの仕事だの、そして共依存。元、のもあるし、抜けてないのもある。


T兄や私のような人間たちのことを、かつて私を診ていたベテランのカウンセラーがため息混じりに言った。
「あなたみたいに女の子はこうして医療にかかったり入院するの。でも、男の子はね、それ以前に刑務所に行く子が多いのよ」


先生なぜです、と私には訊くことも出来なかった。情けないことに御多分に洩れず、若い私は自分のことで精一杯だったからだ。ひとのことなんか知らないよ、苦しいのは私なのよと。


遺伝でこれになった可能性が高いと言われても、環境が私をこの病へ、そして各種の依存もちへと誘ったのは否めないし、そして何より私たちは、実は自分の意思で病を決定する。精神の場合は顕著だ。


患者が期待する医師の仕事は、「患者に病名を与えて安心させること」だ。
戦うものの名前とかたちが決まれば、嘆いたり憎んだり戦ったりすることで、やっと前に進めるようになる。


それまでその人がいる場所はひたすらに「混沌」というほかはないのだが、もう一つ呼び名はある。だがほとんどの医師や患者はそれを無視する。


私は、まだ「その」さなかにあって安定していることを、たぶん今の担当ドクターも確認してくれているかもしれない。


面白いことに、そうした専門知識が全くない人々は時に、私に対して同じことを言った。いい意味でも悪い意味でも、時に恐怖しながら、時に憧憬さえたたえて。

「おまえは子どもなんだ」と。


血縁は、徹底して私を信じないということを続けてきた。
「偏差値が75もあってピアノも絵も文章も上手で生徒会までやったお前が、こんな悪い子であるはずがない。これまでにいくらかかったことか」

私は金や習い事を要求した覚えはないけれど、そういうことになっていて、それで彼らは安定する。かつてのエースが落ちぶれて迷惑だ、恥だ、なんと情けないという、あんなにした「のに」思考に固着していれば、安心なのだ。幸福ではないだろうが、私の話もろくに聞かない、学ぶ姿勢もないなら、仕方のないことだ。離れて幸を祈るしかもうできない。


私が「悪い子」になったのは、親が言ったひどい言葉を、「ではその通りになろう、あなたの望みなら」と決意した時に始まった。
実はその言葉を私は罵られながら知らず、部屋に戻ってから辞書を引いた。
それから荷物をまとめた。出て行けと言われたし。17だった。その晩、家を出た。


それがそもそもだったことを親に言ったことはない。だが、知的障害の子どもたちにインタビューすると、みんな明確に「自分がバカになった日付」を覚えているそうだ。


親、教師、きょうだいや友達などに、「バカだ」と言われた日がその日だ。


精神科にかかる子どもたち、そしてかつての子どもたちは、歴代そうして忠実に、親の、上の言いつけを恐れ守って叶えてきただけだ。


そして次に、世間という化け物の言うことを恐れる。そこで外したら生きていかれないからだ。分かりやすくて大多数の本音混じりの建前はこうである。


「ダメなものはどんどん取り締まり、罰をうんとこさ設けて監視カメラを山ほど設ておこう。なぜならダメなものはダメだし、それに忖度してやる情けも必要もない。ルールを破り金も紡ぎ出せないものはろくでなしなんだから」


そうして、子どもたちに沢山のダメなものを見せて教えて育て、お前もどうせダメという風に励まして育てる。日々のニュース、メディアにも漫画アニメにも、そんなのと暴力の美をたっぷり用意して。
べつに私も暴力好きだけど、プロは試合以外でよそには決してふるわないよ。つまり、昔知ってた友人はプロボクサーで、そういう人だった。私もその基礎の心構えはそのひとから習ったのだ。ケンカは絶対、絶対、しちゃだめなんだ。ひとを責めたら絶対ダメだし、そんな気持ちを持つ自分の弱さと戦うようにと。


だがたいてい力は他者を打つために使うように、メディアは日々教え続ける。それもひどく強く、より酷く使うように。

そうしておいて、ちょっとでも子どもが病気だの社会に合わないということになると、「ほらやっぱりこうなった!」と喜ぶ(?)。
あなた方の「心配」とやらの言いつけを守っただけだって。あなた方と、あなた方の作ってくれた世間のね。


夫・T兄がそんな世界に生きてきて、純さを保ってきたのは稀有なことと言えた。初めて見た時、仰天した。大人には普通あり得ない美しい色で、私も見たのは初めてだった。
そしてもちろん、落伍者の気持ちを私は分かった。
そうして生きてきたのだし、そこから上がっていくやり方も知っている。それは別に経済的なことでは全くないが。(ここで¥マークがないことにがっかりした人は、読了していいですよ)


そのやり方を教えてくれたのは、医師、カウンセラー、ケースワーカー、教師、には、残念ながら至極少ない。肉親は壊滅的。私のケースはね。


教えてくれたのは優しい、心深い一般の普通の人たちだ。登場も遅かった。それまで生存していることは、文字通り地獄で生き残ることだったし、周りにも死人なんか珍しくない。でも生きてこられたから、とてもラッキーだ。


若い頃から部屋が埋まるほど精神関連の本も読んだし、入退院も繰り返した(ブチ込まれんだからしょうがない)。そしてすべてを経て、まだ私は何も知らない子どものままだ。


少し、知っていることはある。分かることも。使命もある。
何もT兄だけのことじゃない。


でも、いつも、後ろでか、上なのか、そしてうちなるものか、静かな声がする。



「逃げろ 隠れろ 消えろ おまえを見つけるのは耳目のある者だけ」


その意味はまだよくは分からない。

そして、高校の時から大好きだったLAのバンド、Bulletboysのある歌の一節を思い出す。LA大地震のあとに書かれたものだ。



「俺は俺たちの壊れた街を走り回った

(中略)
老人は言った
『聞きなよ、せがれ
お前ができることはほとんどないんだ
だが、歌を歌ってくれ
歌を歌ってくれ
俺とお前、みんなのために』」


「ねこ子。お前は俺にとって大事な恋人で奥さんで、娘で、猫なんだ。これまで意地悪ばっかしてごめん。ごめん。
ずっと一緒に、できるだけ長生きしよう。大事にする。約束する。猫を飼おう。2匹だよ。
李白のいい歌を見つけたんだよ」


最近のT兄の連絡である。李白の歌を教えてもらった。


子どもはいい。
いつでも知らないことばかりで、いつも教えてもらえる。
そして何もかも忘れて遊び、恥ずかしくもなく喜んで踊り歌える。



誰かの声がする。誰?
「お前はそう生まれついたんだよ」

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