見出し画像

40年間も口下手であることに悩んでいた僕が「説明上手」・「理路整然と話す」と言われだすようになって、感慨深くなった話

最近といってもここ1年位からだと思う。まわりの方から「説明上手」や「理路整然」と話すと言われるようになりました。素直に嬉しかったので記事にします。

僕は人に褒められても、ついつい受け流してしまうクセがあります。ただ最近は、褒めらたこともしっかりと味わって自分の糧にしていかなくてはいけないと思うようになりました。そういこともあって、記事にする次第です。

とにかく、幼少期から人と話すのが苦手でした。理由としては、

  • 人前で話すとかなり緊張してしまう

  • 論理的思考が苦手だと思っていた

この二つが挙げられます。

中学生のときに、ターボファイルというファミコン用の外部保存装置が欲しくなりました。ただ、この装置は、電話受付の通販でしか購入できません。とても緊張しながらも、僕は電話をかけました。しかし、緊張のしすぎと、説明の仕方が分からずに、支離滅裂なことを受付の人に言ってしまい、まったく内容が伝わりません。横にいた母が見かねて電話を替わり、なんとか購入することはできました。このときに自分の口下手さをかなり意識するようになりました。

いまでも、このことを思い出しては、自分がいかに口下手な人間であるかを思い知らされる時があります。

男子校だった高校を経て大学生になっても、人前で話すのがとても苦手でした。男の子なので、女の子にもモテたいし、このままでは、本当にまずいのではないかと焦りばかりが先行していました。

まずは、この緊張を何とかしようということで、度胸を付けるために演劇を始めます。舞台で演技を披露もしました。このおかげで少しは緊張せずに話せるようにはなりました。とはいえ、なんとか人前で体裁を取れる程度だったんですけどね。

こうして社会人になってからも、なんとか人前で話すのですが、うまく話せているということはなかったです。説明とは少しそれますが、社会人になってからは文章の指摘もかなり受けました。

日報を書いても「意味不明」と上司から返されたり、議事録を提出しても「ひどすぎる」と言われ、その議事録を市中引き回しならぬ、部署内引き回しをされたこともあります。論理的に説明の組み立てができていなかったのです。

こうして、何冊か適当に見繕った文章術の本を傍らに、日報を毎日1時間かけて書く日々が続きました。通常なら15分もあれば十分な作業です。おかげで、少しづつ上達もしていき、普通に文章も書けるようになっていきました。いま思うと、このときに見繕った本が適当だったのがよくなかったと思います。

とはいえ、それでも話すときにはいつも違和感を感じてしまいます。相手に上手く伝わっている気がしなかったのです。こうして40年間、口下手であることを意識してしまいました。

さて、時間をいっきに最近にして2年前になります。ストレングスファインダーのコーチングで、あるコーチさんから「論理的思考力があるので説明はうまいはず」と言われます。僕はビックリしました。そして否定することに悩みながらも、正直に「説明は苦手です」と返答をしました。このときのやりとりがコーチング後も、ずっと引っかかったのです。

そして、この言葉を機に、僕は論理的思考の勉強とともに、あらためて説明の勉強をしなおそうと決意します。それこそ、ベストセラーの「1分で話せ」から読み始めました。

こうしていく中で言葉の向き合い方が変わっていきました。言葉を話すツールと捉えるよりも、思考するツールとして捉えるようになっていたのです。論理的思考を学んでいくうちに、言葉を道具として考えるようになりました。説明をすることが、言葉のパズルを組み立てるように感じるようになってきたら面白くもなってきました。

相手を感動させなくていい。相手に影響も与えなくていい。とにかくいまは、言葉のパズルを組み立てて相手に伝わる説明ができることに徹っして勉強を続けました。

こうして2年が経って現在にいたります。そんななかで、最近は「説明上手」・「理路整然」と話すと言われるようになって、この40年間を思うと感慨深くなってしまうのです。感情ではなく論理的な説明の上達に徹したので「理路整然」と言われたときは本当に嬉しかったです。

とはいえ、この文章を書きながら、読んだ皆様に上手く伝わっているのかと不安でいっぱいなんですけどね。もっと文字数を短縮できるんじゃないのかとか。また、いったん放置した、感動をさせる話し方についての課題も残っています。ただ、現時点での自分の成長をしっかり味わっていきたいです。

いまだったら、ターボファイルも何十台でも買えちまうぜ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?