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木漏れ日 (4)

 コテージを出て、星空を仰ぎながら本部の別荘に向かった。ひんやりした夜風が気持ちよくて、足取りも自ずと軽くなる。本部では、撮影のコアメンバーが大型テントの中で宴会しているらしい。ぼわっと明るい一画がわいわい賑やかだ。その喧騒から逃れるようにして、小柄な女性がじっと夜空を見上げていた。監督さんかな。沓澤くつざわさんて言ったっけ。これまでも作業中にちょくちょく見かけたけど、サングラスとサンバイザーで顔が隠れていて、どんな人だかよくわからなかったんだよな。

「監督さん、ですか? 三村ですけど」
「沓澤です。ごめんね。休んでるとこを呼び出して」
「いえ、仕事が終わったら暇ですし。この時間だと描ける絵も限られてるので」
「あはは。さすが画学生さんね」

 暗くて顔がよく見えないんだけど、かなりの美人みたいだな。思ったより若い。あらさーくらいだろうか。

「あなたは、映画は見る?」
「たまに。DVD借りて、部屋でちょろっと見るくらいです」
「映画館には?」
「お金が……」
「そうかあ」
「どうしても画材とかに突っ込んじゃうんで」

 その割にアウトプットがなあ。へたっていたら、沓澤さんがさっと話を変えた。

「さつきちゃんに、あなたの絵を見せてもらったわ」

 げ。知らなかった。ちょっとお、僕のはいたずら書きみたいなものなんだから、勝手に人に見せないでよう。島野さんに文句を言いたいけど、後の祭り。暗いからよかったものの、僕は恥ずかしさのあまり真っ赤になっていたと思う。

「うう、お恥ずかしい。ほんの走り描きなんです」
「そうね。でもさつきちゃんがショックを受けたのはよくわかるわ。不思議。とても不思議な絵。だって、あなたがどこにも感じられないんだもの」
「……ええ」

 自動書記と島野さんに言ったことが、そのまま沓澤さんにも伝わっていたんだろう。

「意思の縛りがない状態で、何かを絵として生み出すことは絶対に出来ないわ。あなたが無意識に描いていると思っているならそれは間違いよ。あなたは自己主張とか自己表現とか、そういう皮相的なものとは異なる場所に立って筆を動かしてるの。うまく言えないけど……超越者、なんだよね」
「うーん」

 そんな凄いもんじゃないと思うけどなあ。首を傾げた僕を見て、沓澤さんがひょいと肩をすくめた。

「あはは。まあ、いいわ。絵画素人のわたしなんかが偉そうに言うことじゃなかったわね。それより、さつきちゃんをスランプから救い出してくれてありがとね。本当に助かった」
「あの……」
「なに?」
「彼女、すごく実力のある女優さんだと思うんですけど」
「素晴らしい才能の持ち主よ。でも、わたしには合わない」

 合わない……って。ぎょっとしてしまう。

「そうねえ。わたしは自己表現の手段として映像を使うけど、そこに既存の外枠をはめたくないの。誰かに枠をはめられるのはもっと許容できない」

 さっきの超越者っていう言い方もそうだったけど、独特の感性とこだわりを持っている人みたいだ。沓澤さんは夜風に淡々と言葉を溶かす。まるで自分自身が映画の出演者であるかのように。

「だから。役を作る、役にはめる、どっちも嫌い。かと言ってアクターの素性をダイレクトに露出させたら、がちゃがちゃになってしまう。けものじみた本能と感性を備えたアクターじゃないとわたしのオーダーをこなせないの。そんな人、いると思う?」
「……そうかあ」

 沓澤さんが、ないないと言わんばかりに手を振る。

「大御所っていうならともかく、わたしは駆け出しの新人だからね。アクターの選択肢は多くない。仕方ないわ」
「でも、島野さんなら……」
「ええ。『組み立てる』タイプの監督さんにとって、彼女はとても強力な切り札になる。役を深く理解しようとするし、造形も安易に妥協しない。演技もとてもうまい。なにより」
「すごく存在感がありますよね」
「そうなの。作り物感のない、とてもリアルな人物に仕上がるの。劇団上がりじゃない素人アクターとはとても思えないわ。一種の天才ね」
「それでもダメ……なんですか?」
「合わない」

 ばっさり、だ。少ない選択肢からでも選べるんなら、島野さん以外の俳優を選べばいいんじゃないの? そんな僕の疑問符は、沓澤さんの説明でひたひたと塗り潰された。

「彼女は、一度自分を溶かして役の人物の型に流し込むの。造形が緻密だから素のさつきちゃんは残らないわ。でも、抱えている熱量が多すぎて型からはみ出してしまう。キャスティングがとても難しいアクターさんね」
「濃い役にはぴったりだけど、ふわっとした軽いイメージには向かないということですか?」

 ふるふると首が振られる。

「違う。彼女は作れる役ならしっかり作る。儚げな役割、薄い人物でも上手に演じるよ。三村さんの前でも何度もスタイルを変えてるでしょ?」
「あ、はい。すごいなと……」
「だから合わないのよ。わたしは型を用意しないから」

 あっ!

「わたしは、もし自分がなんとかさんだったらという型を置かせない。こういうイメージでという誘導すらしない。シチュエーションだけを見せて、中から湧き出るもので造形してもらう。だから、役作りに正面から取り組むアクターとはもともと相性が悪いの」

 知らなかった。確かに技量とか個性とかの問題じゃない。沓澤さんのアイデアやイメージに無理なくシンクロできないと、誰がやってもダメだってことか……。

「彼女は真面目だから、どうにかしてイメージの『型』を作ろうとする。それはダメよって型をぎりぎりまで小さくすると、彼女が抱えている莫大なエネルギーが制御できなくなるの」

 うわあ、そりゃあしんどいわ。沓澤さんが、ふっと小さな溜息をついた。

「今回の出演者全員にそういうのを求めていたわけじゃないけどね。でも、さつきちゃんが演じている聡子さとこ役はこの作品のキモ。妥協はできない。それなのに、スポンサーからさつきちゃんを聡子役で使ってくれって最初に枠をはめられちゃった。わたしも彼女もその枠は取っ払えないの。わたしはともかく、さつきちゃんは辛かったと思うわ」
「じゃあ、どうやって彼女は難題をクリアしたんですか? 僕のへなちょこな絵が絡んでるとはとても……」
「ふふ。そうね。それはロケが終わった時に直接聞いて。必ずさつきちゃんがあなたにアプローチするはずだから」
「はあ……」

 どうもよくわからない。なんとなくここらへんなのかなあという予想はできても、それをうまく言葉に変換できない。むずむずする。嫌だな。こういう感覚。僕が顔をしかめたのを見て、沓澤さんが苦笑した。

「ごめんね、わかりにくい話で」
「いえ、僕の感性が寸足らずなんです。どこにもうまく梯子をかけられないっていうか」
「ま、そこらへんは三村さんが自分でアウトラインを引くしかないわね」
「わかってます」
「そうだ。一つだけ言っておきたいことがあるの」
「なんですか?」

 手が真っ暗闇の奥に伸ばされた。ほんの少しの距離なのに、手の先がふっと闇に溶ける。

「誰にでも沼にはまる時があるし、沼に沈んでしまいそうな時には恐怖しか感じ取れない。だけど、それすらもまるごとアートなの。覚えておいてほしいな」

◇ ◇ ◇

 わかったようなわからないような。闇とないまぜになった混沌を引きずりながら、よたよたとコテージに戻った。

「お? なんの話だった?」
「お礼を言われただけですー」
「なんの礼だい?」
「さあ。僕にはちっとも」

 ごまかすつもりはなかった。僕の絵で島野さんと沓澤さんが何かヒントを掴んだっていうことはわかる。でも、僕には「どうして?」という戸惑いしかない。そんな僕を見て、馬場さんがふっと笑った。

「いきなりデートの申し出だろ? 俺もびっくりしたけど、島野さんのデートの相手は三村さんの絵だったんだよ」
「僕の絵に興味が?」
「そう。三村さん、端材に何か描いてただろ」

 空中に筆で何か描くジェスチャー。うわ、さぼってると思われたかな。思わず弁解口調になってしまう。

「すみません。空き時間がもったいなかったんで、つい」
「それを島野さんが見つけたんだってさ。三村さんの描いた絵をもっと見たかったんだそうだ」
「うわ……やたらめったら描き殴るもんじゃないですね」
「バンクシーみたいに有名になるかもしれないぞ」
「僕は、そういうのはいいですー」
「欲がないなあ」

 持っていたビール缶をくしゃっと握り潰した馬場さんは、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

「出口が見つかった時にはすでに枯れてる。そういう考え方もあるってことだな。沓澤さんには、俺も脱帽だ」
「……」


The Wood Song by Indigo Girls

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