【小説】にわとりたまご🥚 第11羽
🥚笹本ひだか
メモアプリに記録していた番号を入力し、電話をかける。
スイーツコーナーをながめていた青髪の橋本マネージャーのポケットが振動し、肉付きのいい体がびくっと揺れて波打った。つながったんだ。
それを確認して僕は発信をやめ、隣にいたアタラさんに小さく目配せをした。彼はうなずき、自動ドアの電源をこっそり落とす。もう、扉は自動で開くことはなくなった。
「橋本ゆうきさんですね」
レジから僕は出ていき、彼に近づく。
不審者に声をかけられたと思っているのだろう。彼は眉をぴくりと動かしたものの、こちらの方を向かず、今度は菓子パンを見始めた。彼は無視を決め込むつもりのようだ。
「少し、僕にお時間をいただけませんか」
「……何なんですか、あなたは」
「コンビニ店員の笹本ひだかです」
彼はこちらを決して見ようとしない。ジャム入りのコッペパンを、正面から、右から、左から、つぶさに観察している。
「一方で、3Dの映像作家・Sasamotoの一面も持っています」
橋本マネージャーはようやくコッペパンの観察を終えて顔を上げ、こちらを向き目を何度もまばたきを繰り返していた。
「そういう意味では、お久しぶりです、先日はみいあちゃんの動画のオープニング映像の作成の際には大変お世話になりました、とお伝えすべきでしょうか。お互い顔を直接合わせたことはありませんがね」
もやしみたいに細い僕のからだには肌寒いくらいには店内はクーラーが効いているのに、彼の額には大粒の汗がじっとりとにじんでいた。
「少しご確認したいことがあるのです」
僕はポケットからスマホを取り出し、Xのアカウントが表示された画面を彼の顔の正面に見せつけた。この紋所が目に入らぬかと言わんばかりに。
「こちらのアカウントで、みいあちゃんに誹謗中傷を繰り返し、殺害予告をする過激なユーザーに彼女の住所を手渡したのは、橋本ゆうきさんではありませんか?」
はっ、と高笑いをし、彼はぐるりと顔をまわした。その声は少し震えていた。
「そんなわけないだろ」
「……そんなわけ、ないよね」
みいあちゃんは彼のTシャツの裾をひっぱり、彼の目をじっと見つめた。冷蔵商品棚の蛍光灯が彼女をつつんでいる。
「……みいあ?」
彼は彼女を見つめたまま、呆然としていた。笑いと困惑と寂しさが3:3:3で混ぜ合わさったような目をみいあちゃんに差し向けていた。
きっとこの状態ならば話を聞いてくれるだろうと思い、僕は話し続けることにした。
「僕らは、みいあちゃんの卒業動画と卒業公演をあと数日に控えています。
できればこれまでにこの誹謗中傷問題を解決できたら望ましいだろうと思い、誠に勝手ながらいろいろと調査を進めさせていただきました。
ちなみに、もちろん誹謗中傷をした個人に対して開示請求を行う案もありましたが、請求するために3カ月ほど要するので、自分の身の回りでまずどうにか解決できないか、なんて思い模索を始めました。
また、こうした事例の特徴として、実際に情報を開示してみたら知り合いだったという例が案外多いので、それもまた僕をやる気にさせちゃったんですけどね。
前置きが長くなりましたが、調査のご報告をさせてください。
直近2年間のツイート180件相当をざっと確認したところ、Xで過激な誹謗中傷をしていたのはたった6アカウントだったことがわかりました。
そして特に過激、さらに彼女のことをよく知らなければ難しい誹謗中傷ばかり繰り返していたのは2アカウント。
うち1アカウントが橋本さんだと推察します。
Xは、パスワードを忘れて再設定しようとすると、メールアドレスの最初の2文字と@以降の1文字が、電話番号なら下2桁が表示されます。
その性質を利用して、メールアドレスと電話番号を軽く見てみました。
ほとんどがアスタリスクで埋め尽くされていましたが、僕には何か見覚えがあるものでした。
以前、みいあさんの橋本マネージャーから直接ご依頼いただいたことがあるので、そのときのメールの署名欄を見たのです。
すると、最初の二文字はha、@の後ろはwh。
かなり近しいものがあると判断しました。
今度は、もう一方の誹謗中傷アカウントについてもお伝えしましょう。みいあさんから、特定された住所が付与されたDMをご共有いただきました。
こちらは、住所を特定したから殺害しにいくと旨のDMです。
こちらも、このアカウントのメールアドレスと電話番号を確認しました。ただ、メールアドレスの最初の二文字はtaであることはわかりましたが、この情報だけではなんともいえず。
ですが、掲示板とXで、全く同じ投稿を見かけたのです。
Xと掲示板とで、同じ内容の投稿を行っています。どうも、かなり執念深く、徹底的に追い詰めたいみたいですよね。
そこで、とにかくみいあちゃんを抑圧することに喜びを感じているのなら、同族が増えたらよりよろこびを感じるのではないか?と思い、この方にDMで、誹謗中傷の活動に加担するから彼女の住所を教えてくれと言ったのです。
そしたらするすると答えてくれました。
そもそも、みいあちゃんが僕らと出会う前までは、この住所は彼女自身と橋本マネージャーしか知らないはずです。
なぜこのように流出するようなことがあるのでしょうか?」
「そう、そうだよ、ここの住所知ってんのゆうきしかいないはずで、わたし、地元から家出してきたから、友達ももう全然いないし」
みいあちゃんの肌は普段から羽のように白いけれど、透けてしまいそうなくらい顔がみるみる真っ青になっていった。
「どうして、なんで、なんでそんなこと、ゆうきは、ゆうきだけは、わたしのことをうらぎらないって、言ったのに」
「みいあちゃんは俺の救世主だったから」
「意味、わかんない」
「ずっと俺のものに、したかった、ということなんだよ」
はじめの横柄な態度とは一変し、口から魂を引っこ抜いたようにか細い声で話すようになった。
「はじめて出会ったのはみいあちゃんが19のとき。美容系インフルエンサーとして駆け出し始めてて、俺がプロデュースしたYouTuberとしては5人目だった。みいあちゃん以前に担当した人たちはことごとく失敗した」
大手ではないWHOOOMのプロデュースを受けるYouTuberは当たり外れが大きい。Youtube市場の熱が最高潮に達しつつあった、コロナ禍の少し前に設立された会社で同業種のなかでは後発だったこともあり、なかなか苦戦しているようだった。
「グルメ系のYouTuberに関してはあまりには商業化を急いで嫌儲主義のファンに嫌われ、おひとりさまのVlogerには富士急ハイランドのPRを勧め、広告コンテンツなのにネタにできないくらい嫌な顔をしていて炎上させる。
ネットニュースになりまくってましたが、その仕掛け人はあなただったわけですか」
「……そうだ。それもあって次第に会社での立場も失い始めた。俺が足を引っ張ってチーム全体の利益目標の達成に遠ざかって、もう何もできなくなりそうになっていた。
でも。そこでみいあちゃんが目の前に現れた。ゆっくり、ほんわかした雰囲気はあるけれど、どこかに芯のある感じがウケた。
だから、俺が何をやっても伸びたし、俺が何もしなくても伸びただろうと思う。イベント、グッズ販売、ポップアップストアの開店。すべてがうまくいった。
俺はここで初めて、利益目標を達成できて、仕事が楽しいと思えた」
橋本マネージャーは、さっきのぼそぼそとしたごぼうのような声とはうってかわって、過去の栄光やほとばしる情熱のことを思い出して、ことばのひとつひとつに力がこもっていくようだった。
「みいあちゃんと俺は似ていて、家族とか友達とのつながりをうまくやっていけないタイプだった。だから自然とお互いに惚れこんでいくようになった。
俺は、彼女としてのみいあちゃんも見たかったけれど、みいあちゃんのどんな姿も見たくなっていった。もっと彼女の姿がみたかったんだよ。
俺好みにもなるようにしてしまったように思う。既存ファンはあのほんわかした雰囲気が好きな女性が多かったけれど、それを無視してより一層お金をおとしてくれる俺みたいな30代近辺の男性狙いでアイドル化させた。
もっと、もっと俺だけを見てほしいと思った。だから悪口を書いた」
「意味わかんない、意味わかんないんだけど」
「苦しめて、自分がそのみいあちゃんの相談相手になって、依存させようとしていたわけですね」
橋本マネージャーはうなずいた。
「あのやかましい、もう一方の誹謗中傷しまくるアカウントにみいあちゃんの住所を提供したのも俺だ。やばそうなやつだったから、彼女と俺の関係性をより深められると思った」
みいあちゃんはただ、その話をきいて絶句していた。
彼女の目は、確実に橋本マネージャーのことを見ているけれど、飛んでいるハエでも見ているような顔をした苦しいものだった。
「以前上司と思しき人に詰められてましたが」
「それすら見られてたのか。そうだよ。結局みいあちゃんもやめるなんていう事態になって、また職場での立ち位置は完全になくなった」
「でも、でも、みいあちゃんを想う気持ちはどんなファンよりも人一倍あるんだ、だから、俺は」
みいあちゃんは、ことばもなく橋本マネージャーの前から少しずつ後ずさっていく。彼女の方に手を伸ばそうとするので、彼の片方の腕をつかんで止めた。
橋本マネージャーは再びわめき始める。
「お前に、お前にお、俺たちの関係性をどうこうと指摘される筋合いはないんだ、そうだ、今からアカウントを消してやる、お前に何ができる」
ここで僕は、自分がこれまで、なんでも無駄だと思わずに、適当さと真剣さを混ぜ合わせながら取り入れてきたことに感謝した。すべてが仕事に生きてくる。生き方に幅がうまれてくる。
僕は、たまごのように柔軟に、なんでも受け入れてどんな料理にでもおいしく出される。その自分の一貫性のなさを許し、好きな時にたまごになって、好きな時に鶏になる。
次々に僕は変わっていく。
自分を何かのことばに規定せず、今を生きること。特に理由もなく、ただ体が動く方へと手足を動かすこと。僕はそんな自分をこころから愛していた。
「僕のまた新たな仕事の一面をお伝えし忘れていましたね。僕は法学部を卒業して弁護士免許を持っています。必要とあらば僕が正しい経路をたどってみいちゃんを守る対策をお取りします」
さっきまで紅潮しきっていた顔がみるみる白くなっていく。
彼の片手をしっかりつかみ、涙がたまっていて今にも泣きそうな瞳をしっかり見据えた。
「もちろんスクショも全部取ってありますから。もう逃げられませんよ」
彼はそれを聞き、一つ二つ文句を言ったあと、へなへなと冷たいフローリングの上に座り込んでしまった。
僕はみいあちゃんの方に向きなおし、仕切りなおす。
「掲示板でも騒いでいたもう一方のアカウントもみましょうか。
そこにいるアタラさんが掲示板を運営しているので、執拗なアカウント「の」さんのIPアドレスを調べてみることにしました。
これ単体では、住所を特定できるものではありませんが、地域レベルでならなんとなくの検討はつきます。
そうすると、どうやらA県B町のあたりからの発信のようでした。何か、心あたりはありませんか?」
「A県、B市」
みいあちゃんはぼそっとつぶやく。
そうしておもむろにスマホを取り出し、電話をかけはじめた。
好きなお寿司はなんですか?