【小説】にわとりたまご🥚 第12羽
🥚武田みか - みいあちゃん
わたしがYouTuberになったのは、動画を投稿しはじめたからで、何か決定的な意思や意図があったわけではなかった。
取材を受ける、みいあちゃんという名前のついたイベントが実施され、ブランドがつくられ、本が書店に積まれていく。
取材。
──どうしてYouTuberになろうと思ったんですか?
みいあちゃん もともとメイクが好きで、動画を投稿してみたら伸びちゃって、どんどんはまっていって気づいたらこうなってましたね(笑)
わたしはこの繰り返された質問に、「動画を投稿したからで、とくに理由はないですね」と答えているはずだった。
インタビュアーは大抵、その場ではにこにこしながらその時点では聞く。
そのまま使ってもらえるのがうれしいし本心なのだけれど、なにかわたしがもともとこういう姿になりたかったクリエーター気質の人間なのだと言わんばかりに編集されてしまう。
わたしだって、「メイク好きで動画投稿が好きで、好きなことをして生きている人気インフルエンサー」でありたかった。
世の中はそれ以外を許さない。
果たして、「ただ家を出たくて逃げ出したい、と思ったとき、わたしが手に取れた手段が偶然インフルエンサーだった」という人間の話をを世の中はどうとらえる?
受け入れない。それは人が求めていない。
物語、ストーリーとして綺麗ではないから。
でも、そうならそれでいいの。見てくれればいい。次々にあたらしくなっていくわたしを、みいあちゃんを、見届けてくれればいい。
わたしの今の腹に、顔に、ナイフを突き刺す。血が流れていく。
汚い血がすべてできったら、皮膚を張り替えて、メイクをして、あたらしいわたしになっていく。そしてその姿を世の中に出していく、見せつけていく。
これはわたしなりの復讐だった。
決して好きなことを仕事にしているたのしい人間だという自認がなかった。
みいあちゃん、と呼ばれている人間が、わたしであるという認識をどんどん失っていった。足を地につけて歩いている気がするのだけど、体がなんだか浮いていて、みんなと足並みがそろっていかない。
わたしが中心にいて、わたしではないなにかのためにもがいている。
たまごは、卵白も卵黄も、ひよこになるための養分でしかない。ひよこになるのはあくまでも、卵黄に乗っかっている小さな点のような胚盤の部分。
小さい胚盤。
それがどんどん膨らんでいって、わたしは気づいたら何か大きなうねうねとした細胞の栄養でしかない気がしていた。
わたしの体、思考、精神、からまって、なにか一つものとして統一されていかれないようなものが、吸われて、自分以外の栄養になっていくような。
どうしてなんだろう、どうしてこの人には肉体的にも精神的にもかかわろうとしても、体が透明で手がそのまま通り過ぎていってしまいみたいで。
「はい、武田です」
マットな酒焼け声が耳に響く。体全身に毒針をもった芋虫がうごめいて、わたしを内側から壊していくみたいで。
「何なの?」
言葉が出てこない。口はパクパクとするだけで、うまく肺に息が通っていかなくて、息をなんとか吐いていく。
「そこにいるのがみかなのはわかってんの。そのゆっくりなしゃべり方。馬鹿っぽくてイライラするからやめてってゆってるでしょ」
すべてを勝手に理解していると思い込む、傲慢なことばづかい。
「収益のいくらか、渡す気になった?」
「まだそんなこと言ってるの」
どうしてわたしはわざわざここまでやってきたのか、50万人登録者がいるYouTubeチャンネルを育てたのか、アイドルになってファンをつくったのか。
「高校まで出してやったのは誰だと思ってんの」
「わたしの体のあちこちに傷をつくったのは誰のせい、わたしがそれを隠して高校いかなきゃいけなくなったのは、誰の、せい」
高校1年生のころの記憶がよみがえる。
突きつけられるカッター、「武器をもつの卑怯だ」ということばは退けられて、わたしとこの人はとっくみあった。
麦茶の結露がグラスのまわりに滴りきるような梅雨明けの、暗く、息を吸いこむだけで肺にゲロがまわりそうなくらいの、空気。
見るも無残な二人の女相撲、ささくれだった畳に無抵抗にたおれていく、そのときにこの人が手ににぎったカッターがわたしの頬をかすめた。
受け身のできないわたしは床に頭を強くうちつけて、後頭部からじんじんと痛みがめぐっていった。
あ、この世からいなくなるのかもな、と瞬間的に思う。頬が線状にあたたかみを帯びていく感覚だけが頭の奥に、遠く遠く響いていた。
目を覚ましたときには、この人はわたしが横になっていた万年床の寝床のもとで正座をしており、みか、ごめんね、ごめんね、ちがうの、と今のChatGPTよりも不適当なことばをしゃべり続けていた。
外は激しい夕立だった。しぶきを上げて地面を雨粒がたたきつけている。
お笑い番組がやっているテレビを細目でみるとまだ20時だった。わたしは制服のまま家を出て、自転車をこいで15分のドラッグストアに向かった。
わたしはその日はじめてファンデーションとパウダーを買った。
次の日から、右頬に走っている、線状の情けない傷を隠した。
近所の焼肉屋でバイトして、その対価をリップやファンデーションに変換して、顔に塗る。
わたしの努力で、情けないわたしを塗りつぶしていく姿を鏡で見るのが好きだった。かわっていく自分をみるのがこれ以上ない幸福だった。その頃から少しずつ、みいあちゃんという名前でSNSに投稿し始めた。
さて、この人に何を言ったら伝わるのだろう。
ブルーベリーヨーグルトの香りがただようロムアンドのティントリップの塗り心地は50万の登録者のために解説できるのに、母親1人にはなにひとつことばが通っていかないみたいだった。
この人がほしいのは、何なのだろう。わたしはこの人から、何がほしいんだろう。
まだわたしにはわからない。
もう、しばらくわからなくてもいいかもしれない。
「わかりました。100万渡します」
すぅ、と電話越しに息を吸う音が聞こえる。
『いいの、みか』
「だから、もうしばらくかかわるのをやめよう、お母さん」
わたしは電話を切り、武田信子と書かれた連絡先を着信拒否の設定に変える。銀行アプリから、まず30万をお母さんの口座にいれた。
振り込みが終わるまでにはあと3日あった。これが終わったら、携帯の電話番号も変えよう。
好きなお寿司はなんですか?