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映画「ハナレイ・ベイ」が教えてくれるのは愛情への向き合い方と青年の尊さ

※一部踏み込んだレビューあり、これから鑑賞予定の方はご注意を。最初の方は大丈夫なので薄目で読んで、ヤバいなと思ったら目を閉じればいいと思います。

寒々と小雨降る渋谷に居たわたしは、屋内で暖かくのんびりした時間を過ごしたくて右手に握ったスマホに頼った。宇宙空間にかなりの角度倒した椅子で漂えるプラネタリウム、たったの100円で乾燥した冬の世界から十分すぎる湿度の空間に入れる植物センター、なるほど。そして見つけたのが小さな映画館、UPLINK渋谷。シネコンとは違った味のある館内の雰囲気と作品チョイスが魅力的で、わたしはここで「ハナレイ・ベイ」を観ることにした。

「ハナレイ・ベイ」は村上春樹の『東京奇譚集』に収録された短編小説。残念ながらわたしは未読のため、原作との違いはレビューできない。原作は文庫でわずか42ページらしいので、映画として生まれ変わらせる際にはもちろん原作にはない演出があったことだろう。

主人公サチ(吉田 羊)は、息子タカシ(佐野 玲於)がハワイでサーフィン中にサメに右足を喰われて死んだという連絡を受け現地へ飛ぶ。そこはカウアイ島のハナベイ・レイ。以来、彼女は息子が亡くなった時期になるとハナレイ・ベイへ赴き、海辺近くの木々の下に椅子を置き読書をするようになる。その行為は10年に及んでいた。

10年目、彼女はハナレイ・ベイでサーフィンをする日本人の二人の若者に出会う。高橋(村上 虹郎)と三宅(佐藤 魁)だ。死んだ息子と歳が近く、屈託なくハワイでのサーフィンを楽しむ二人と触れ、サチにも笑顔の時間が増えていく。彼らは日本に帰る前、サチに「片足で立つ日本人サーファーを見た」と話した――。

人間の生と自然、相手への嫌悪と愛

この映画はハワイの美しい景色と音楽で主に構成されていて、わかりやすく「これが主題ですよー!」とはマーキングされていないので、解釈は人それぞれ異なるのかもしれない。わたしにとって強く心を打ったのは「自然は人の命を奪うが、そこに恨むべき対象はない」という事実だった。

遺品の確認の際にサチに同席している現地の男性や、タカシが生きてきた証として手形を取ることを勧める現地の女性。彼らがそれを口にするのだ。「ハナベイ・レイでは時に自然が人の命を奪う」「それは自然の循環に還ること」「息子の死が受け入れがたくても、この島を嫌いにはならないで」

また、もうひとつわたしにとっての重大な事実は、好き嫌いと愛情はイコールではないこと。何度か挟まれるタカシが生きていたころの母子のやり取りの回想シーンでは、大抵憎まれ口のたたき合いで、仲のいい親子とはあまり言えない様子がうかがえる。さらにタカシの父親は薬物中毒者で、他の女とセックス中に死んだという。サチは夫に恨みを抱えながらシングルマザーとして、タカシを育てることに苦労をしてきたのだろう。タカシが死んだ後も涙は一切見せず、虚無すら感じる表情で過ごしている。

ところで、10年間ハナベイ・レイで「自然の脅威」と「息子の死」とに向き合ってきているようにも見えたサチは、実は浜辺には一歩も足を踏み入れていない。その境界線を踏み越えて、浜辺、そして海へと進んでいくきっかけとなったのが、高橋と三宅が話す片足で立つ日本人サーファーの噂だった。

死を受け入れること
自然を受け入れること
そして
その場その場の憎悪の感情ではなく、単純な愛情を受け入れること

サチが自分で定めていた境界線を超えて、少しずつ海へと近づいていくのは、自然に向き合うことと息子への愛情に向き合うことを見せているようだった。

高橋の村上春樹的「大人と子どものアンバランス青年像」の魅力

鑑賞前にいくつか観客の評価を見ていて、目についたのが「途中から出てくる男の子の演技が下手で白ける」というコメントだった。鑑賞後のわたしの感想としては、え?高橋と三宅のことを言っているんだとしたら、ほんとわかっちゃいねぇな、である。

三宅ののんびりとした朴訥な雰囲気は、観る人によっては「棒読み」で、高橋の大人ぶったり子どもぶったりする眩しい自意識は、観る人によっては「わざとらしい」ようだ。実際はどうだろう。彼らが見せる「大人と子どものバランスが崩れた状態」は非常に思春期的で青年的だ。村上春樹が描く「自慰に耽る男の子」を、下ネタなしでフィルムの中で映像にするとこなるのかと感心した。

特にストーリーの中でキーパーソンとなる高橋に、その表現は顕著だ。例えば、サチの悪口を言った現地の白人に対して喧嘩を買いに行った高橋は、サチに「何もわかっていない若造」(セリフはうろ覚え)などと叱られ、それに対し「何もわかっていないのはオバさんのほうだよ」といいながら飄々と立ち去る。一方で別のシーンでは、サチに「童貞だろ」と言われた高橋が「そんなわけないだろ」と慌てた様子で否定する。

この、青臭いくらいの純粋さと、大人になりかけている内面が、彼らの揺らぐ演技でスクリーンに映し出されている。この青年の存在とハナベイ・レイの空と海の輝きが眩しくて、サチの心に漂う仄暗い気持ちや戸惑いを対比として浮き上がらせているようだ。

生死と自然、憎悪と愛情、そして村上春樹的青年像の詰まった作品「ハナレイ・ベイ」。ひとつひとつの描写に意味を感じながら観る幸せを。

ちなみにサチの夫役が栗原 類だと知ったのは、鑑賞後。まず日本人だと思わなかったし、狂った演技すごいな。

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