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あなたもわたしも、いずれいなくなるのだから

わたしから見える世界は、いつも靄がかかっていた。

子どもの頃はどこを見渡しても先が見えなくて、自分がはたしてこの世界に存在しているのか世界がなんなのか見当もつかなかった。

それでも、学校も行ったし仕事もした。友達と遊んだり、恋人と呼べそうな人と過ごしたりもした。気がつけば世界の騒々しさの中に身を投じ、あらん限りの力を尽くしてきた。いわば、なんとか普通に生きてきたと思っていた。

でも、この靄がかかった状態のまま、普通に生きなきゃと思うと苦しくて苦しくてたまらなかった。いつ自分が力尽きて倒れてしまうのか、そんなことばかり心配していた。

唯一救いだったのは、わたしが「光」に目を向けるタイプの人間だったということだ。物心ついた頃から、この不思議な感覚がいくらわたしを襲ってこようとも、わたしはいつも「それでも未来はよくなっていく」という漠然とした希望だけを信じてきた。そして幸いにも、未来はつねによくなっていた。いや、よくなろうとしているのかもしれない。

ここに至るまでのいくつかの過程を経て、30歳になろうとする2020年、突如コロナがやってきて世界中が閉ざされた。人との接触は断たれ、孤独に苛まれる人も多くいたことだろう。明らかに、世界は変わっていく。今までとは違う方向へ進んでいく。信じていたものがなくなり、常識が変わっていくかもしれない。それにわたしたちは軽やかに対応していくことを求められるだろう。少なくともわたしにとって、この数ヶ月はかけがえのないものだった。閉ざされた世界の静けさが心地よく、わたしはそこに空間を見いだした。少しずつ、自分の中に空間ができたのだ。その空間の中で、わたしはひとりっきりで過ごした。誰の言葉も感情も必要なかった。ただ、自分だけがそこにいた。たったひとり自分と向き合っていたことで、失っていた自分の好奇心が蘇ってくるのを感じた。それはその昔、「それでも未来はよくなっていく」と信じ続けた子どもの頃の感覚だった。

「書きたい」

猛烈に湧き上がってくる気持ちを見過ごすことはできなかった。それは、子どもの頃に周囲との繋がりを見いだせなかった自分が唯一持っていた方法だった。遠い遠い昔のこと。書いているときだけが、自分と世界の繋がりを見いだすことができた。わたしは大人になる過程で、その感覚を忘れ去っていたことに気づいた。

それが、今わたしがこれを書いているひとつの理由である。

あなたもわたしも、きっとここに来るまでたくさんのことがあっただろう。あなたもわたしも、きっと抑えられない感情が溢れたり社会で生きる1人の人間としてその感情に気づかないふりだってたくさんしただろう。その決断の全てに拍手を送りたい。

いろんな人がいて、いろんな家庭があって、いろんな家族がいて。いろんな不幸があって、いろんな幸福がある。その形がどんなものであっても、決して自分を後ろめたく感じたり恥ずかしく思ったりなんかしないでほしい。普通になりたくてがんじがらめだった自分が、ようやくそう思えるようになってきた。


あなたもわたしも、いずれいなくなるんだから。だからどうかそれまで、幸せに生きてほしい。幸せがなんだとか、そういう話は今はいい。上っ面のポジティブな話をしようとも思わない。現実の残酷さとか、そういうことも今は触れたくない。

あなたもわたしも、いずれいなくなる。それは紛れもない事実。だからこそ、それまでの時間を、どう過ごすか。あなたとわたしが、世界をどう見るか。この世界で自分をどう生かすか。それが重要なんだ。

何一つままならない人生だったけれど、それでも美しく生きていきたい。いくら世の中の不幸を並べたって、嘆いたって、それでも未来はよくなると。そう信じてやまなかったわたしは、その空間の中で美を見いだした。いや、見いだしたいのかもしれない。ばかみたいに、まだそう信じ続けたいのかもしれない。

あなたもわたしも、いずれいなくなるのだから。だから、今日この1日を一緒に生き抜きたい。あなたの1日が、美しいものであるように。あなたの心が、美しさと向き合えるように。あなたの瞳が、世界の美しさを捉えるように。わたしは、あなたとわたしの全てを受け止めたい。

あなたもわたしも、いずれいなくなってしまう。その瞬間まで。

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