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海外生活メンタルサバイバル術②「冷たい」ドイツ人を解く

しばしば耳にする「ドイツ人は冷たい」という言葉。今回はこの現象についてのサバイバル術を導き出したい。

1.冷たいとはなんぞや

まず「冷たい」と聞いて率直に思い浮かぶのは「思いやりがない」という言葉だ。では逆に「思いやりがある」というのは何か?

相手が自分のことを、あたかも自身のことのように考慮してくれること

ということであろう。これは「相手のことを自分のことのように考慮する」ことが良しとされる日本で生まれ育った人間にとってはある意味当たり前であり、大抵の場合心地いいものとして受け取られる。

さらに上の定義に敢えてもう一つ重要な点を追加するならば、それは「こちらから言わなくても」という点だ。必要にかられて「私にはこういう事情がありますので、これこれを考慮していただけませんか?」などと事細かく説明しなければならない状況に陥った場合、あなたはその相手を必ずしも察する力のある思いやりにかけた人物だとは思わないだろう。つまり思いやりを持つというのは「言わずもがな」察するということになる。

この定義が合っている前提で話を進めると、この行為、ドイツでは逆に失礼に当たるかもしれないという視点の持ち方はどうだろうか。というのも、

相手は自分にとって大事なことをしっかりと口に出して伝えるだけの(大人としての)能力を持っているでだろうに、それを敢えてこちらが察して相手から引き出すというのは(子供相手でもあるまいし)なんともどこか失礼

かもしれないからだ。

2.「冷たい」と感じさせるもう一つの要素

もう一つの要素は、ドイツ人がコミュニケーションにおいてとてつもなく「はっきり」している点だ。何か曖昧さを許容しないような鋭さがある。その反面日本人はかなり「あいまい」である。なぜそのような違いがあるのかについて2つの観点から見てみたい。

一つ目は言葉のしくみ。ドイツ語の文章は基本「誰が」が欠けては成り立たないし「何を」が必ず必要となる(英語、ポーランド語などその他の多くの言語もしかり)。もちろんドイツ語でも曖昧な表現も存在する¹が、日本語に比べると少ないと思われる。

一方日本語では、文章の多くの要素を割愛しても、相手が話についてきている前提で話を進めることが出来る。

例えば突然「昨日これこれこうと言ったらね」という文章で日本語を始めても、文法的には成り立つだろう。しかしこれをドイツ語に直訳するのならば「誰が(言ったのか)」を補足しなければひと言目を発することもできない。(口語ではまず出で来ないであろうEs wurde gesagt という風に書き換えない限り)。つまり、ドイツ語で話す時ははっきりしざる負えないのである。

二つ目。日本人は長い歴史の中で「はっきりしてはいけないこと」を身に着けたのではないか。はっきりしない、はっきりさせない、余白を残すというのには大きなメリットがある。それは自分や相手の立ち位置を曖昧にしておけば、相互の反応を基に互いの立ち位置を模索することができる。必要であれば自分の意見を会話の中で修正することができる。つまりのところ、曖昧であることにより、相手との葛藤を極力さけ円満に物事を進めることができるのだ。

つまり「曖昧であること、はっきりしないこと」は日本人が長い歴史の中で身に着けたコミュニケーション術の一つなのだ

3.曖昧であることをはっきり示す

それでは、そんなにも文化的背景の違う日本とドイツの文化の狭間で、どうすればより心地よく暮らせていけるであろうか。

私が提案したいのは「曖昧であることをはっきりと示す」方法。ひと昔前とは違い、必ずしも「郷に入っては郷に従え」だけが健全ではないということが明らかになりつつある現代においては、異国の地での新たな振舞い方を試すのもありなのでは。

具体的には、このドイツ的でない「曖昧さ」を恥じることなく、今すぐにはっきりしたくない、させたくない、させる必要性が見えないなどということを堂々とはっきりと大声で(!)伝える。これこそが今の時代に合ったコミュニケーションにおけるストレスを軽減するひとつの方法であるように思われる。

4 結論

さて、今回のサバイバル術的結論です。

ドイツ人は必ずしも冷たいのではなくとにかく「はっきり」しているのだと見るのも一つの手。一方で日本文化の重んじる「曖昧さ」を誇りとして堂々とした態度を示すのが良い。

久々の投稿でありましたが、少しでも何かのお役に立てましたら幸いです。それではまた次回。


出典および注釈

Photo by Anthony Tran on Unsplash

1.例として Lass uns dann so machen. Dann verbleiben wir so.

注)この記事を含め異文化関連のテーマに関する記事では、「ドイツ人」「日本人」等カテゴリー付けするような表現を使っていますが、あくまでも話を複雑にしすぎないことを目的とした呼び方であり、私個人が人種による短絡的なカテゴリー付けを支持しているということではありません。

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