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社会

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#思考

人間というもの

人間ってのは、不思議なものでいついかなる時も、目の前にある現実に向き合おうとしないで、いつまでも淡い幻想に浸ろうとする。 こうなればいいなあ、ああなればいいなあという期待ばかり抱いて、今此処にある現実になかなか目を向けようとしない。 何の根拠も示されていないのに、皆適当な希望を抱いて、適当な事を言う。 なんか、全てがずれている様な気がしてならない。現実が此処に在る。でも、それと私たちは並列して歩こうとはしない。現実と私たち人間はもしかしたら、互いに何も触れあおうともして

子供の脳は疲弊している

小さい子供の脳というのは、まだ未発達。だからこそ、少しの刺激ですぐに子供は疲れてしまう。大人の様に脳がまだ出来ていないから、とにかく色々な刺激に対して、幼い子供の脳というのは、疲弊している。 その疲れが目に見えないものだし、大人の脳と、幼い子供の脳の発達にどれだけの違いがあるのか?も私たちはこの目で見る事は出来ない。だから、子供を大人と同じような刺激に平気で晒したりする。 子供の脳に、大人と同じ刺激を与えれば、子供の脳はそれを私たち大人よりもより強い刺激として、それらを受

皆がしているから自分も!の危うさ(私たちは全体に飲み込まれている)

何の為に、~するのか?どうして自分は~をしようと思うのか?それを私たちは、意外に何も考えずに、その場の空気というものに流されて、ただ何となく周りがしていいるからといった理由でする。 皆がしているからとか、世間一般の考えがそうだからとか、そう言った流れだから、ただそれに従うまでで、私たちは、特に何も考える必要がないと思ったらそれは大きな間違いだ。 自分で何も考えずに、ただ自分の周りにある環境に流されて生きて行ってしまえば、その中で自分が光るという事はまずない。 ただ何とな

真面目で従順な日本人というイメージがもたらす腐敗

人間なんて皆違う。同じようで皆違う。その皆それぞれ違うものを、一体どうやって統制しようっていうんだろう? 日本人は真面目だから言う事を聞くとかいうけれど、そもそも日本人という括り自体がもう古い気がする。真面目で規律正しく従順な日本人というイメージは、戦後の日本人が持っていたイメージなんじゃないかな?って思ったりする。その古い日本人に対するイメージを、私たちは今も何かと都合よく持ち出しては利用する。 今や、日本は、戦後の真面目で規律正しい従順な人間なんかじゃない気がする。い

誰かにとっての良いものが、果たして本当にあなたにっても良いものになりえるのだろうか?

私たちは、意外にこの世界の事を何も知らない。何も知らずに、この社会が私たちに与えるものを盲目的に享受している。 この社会が私たちに与えてくれるものは、皆いいものだと思って、与えられるその全てを何の疑いもなく、私たちは受け入れる。 何かを考えている様で、私たち人間というのは、意外に何も考えてなんていないんだと最近よく思う。 何に対しても盲目的で、何かを意識的に捉え考えてみようという事がない。私たちは、いつからか、考える事から逃げる様になった。考える、思考の力を使うという事

私たちが見ているのは、この世界のほんの一部。自分に都合よく切り取ったそのワンショット。それが世界じゃない。全てじゃない。

私、何をこんなに必死になって何かを買おうと、ショッピングモールの中をうろついているんだろう?ふと我に返って考えてみた。 何を買う訳でもなく、ただ無目的に街に繰り出して、ショッピングモールの中をうろつく。一体自分は何をしているんだろう?そう思って、色々な店を眺めてみた。 どの店にも、そうそう変わりのない似たかよったかの商品が並んでいる。どれを買ってみた所でよくよく考えてみれば大差ない気がした。 どの店にも多量の商品が並ぶ。あれだけの商品が、全て売れるわけじゃないよなと思っ

グローバルな視点を持たない日本人

私たち日本人というのは、世界で何が起こったとしても、その事に対してあまり関心がない。自分の見えない事には一切興味を示さない。グローバルな視点を持っていない。いつもいつも思う事なのだが、私たち日本人というのは、本当にその視野が狭い。 もっと広くグローバルな視点を持って、この世界を見てみれば、私たちが考えなければいけない事なんて山の様にある。でも、日本人は特にだけれど、そのグローバルな視点を持っていない。大きな視点を持ってもっと世界の事について色々と考えるべきだと思うのだが、私

考える事をやめた時、私たちは悪になる

一人でいると色々な事を考えてしまう。だから、外に出て色々な人と会う。そうする事で、色々な事を考えなくて済む。誰かといれば、余計な事に自分の頭が振り回されなくて済む。 私たちは、自分の思考や感情というものに、自身が振り回される事を極端に恐れている。自分の思考や感情というものに、自分が支配されてしまうと、それを自分ではどうにもコントロール出来ない。それが怖くてたまらないから、私たちは自分でも知らず知らずの内に、自分の思考や感情というものを避ける様になっていく。なるべく何も考えず

思考し続ける事で私たちは人間になる

私たちは色々な事を考えようとしない。何で?どうして?と考えようとしないし、それについて調べようともしない。 皆がこれが良いと言えば、それに右にならえで、そのものに何か疑問を持つ事もない。何か疑問を感じていたとしても、そこにある全体的な考え方に飲み込まれてしまって、私たちは考えるという行為を奪われる。 私たちは日々、自分で考えるというその行為を色々なものによって奪われ続けている。一体何で?どうして?と考えるという事が今は出来ている。でも、これからは、そうやって、自分の頭を使

世界平和を謳うデストロイヤー

もっと色々な事を考えろ!とそう言われても私たちには考える事が出来ない。何故か?それはいつも何も考えていないから。頭を使っている様で、実際には、その頭を何も使っていないから。 私たちは何も考えていない。ただ目の前にある事に反応しているだけで、それに対して何かしている訳ではない。 起こった事に対してただ反応しているだけで、それに対して主体的な行動がとれている訳ではない。ただそこに起こった事に対して、私たちはあーだのこうだのと言って反応しているだけ。 自分の意思を持ってそれに

人間としての誇りと尊厳をその胸に

自分たちが見ようとしないで目を背けてきたその全てが今、私たちの眼前につきつけられている。 私たちはこれまで向き合おうとしてこなかったその全てとこれから向き合わなくてはいけなくなる。 これまでなんだかんだで逃げてきたその全てから、もはやこれからは逃げられない。何をどういった所で、何をどうした所で、私たちはその全てを全部自分の責任としてその眼前にたたきつけられる。 誰も責める事は出来ない。何もかも全て自分の責任で行わなければいけない。 これまでは、これといって何かを深くま

我利我利人間

欲、エゴによって私たちの純粋な意識は鈍化し、そして麻痺していく。 欲、エゴ、それが私たちの全てを鈍化させていく。 欲、エゴ、それが私たちの意識、感覚を著しく低下させていく。 欲、エゴ、それによって私たち人間は人間ではない何ものかになっていく。 欲やエゴというものは、自分の中でどんどんと大きくなっていって、しまいには、その人の事を完全に飲み込んでしまう。そうなると、そういった人間はもう完全に欲やエゴの亡者となる。 欲やエゴの力というものは、本当に恐ろしい。その事があま